見出し画像

no name「#7 世界中の誰よりきっと」

前回までのあらすじ
私は量産型NIKKEだけで構成される小隊で衛生兵として働くNIKKE。同じものが何体も作られ戦って壊されるだけの兵器である私は思い出を遺すのが嫌で、特別な存在になることを拒否していた。名無しの衛生兵で終わるつもりだった私はこの小隊に配備されてから少しずつ変わり始めていた。今回の戦闘で小隊のNIKKEであるエブリンとナオは重傷を負ってしまった。


 1時間ほど前は完全に快晴だったがかなり雲が多くなった。少し空気が冷たく感じる。時間と共に無秩序に変わる天候に接すると、地上にいるのを実感する。ここはラプチャーが支配する地上だ。道路の向こうから迫ってくる何かにそれぞれの銃口を向けたまま、どれくらいの時間が経っただろうか。
 「うう、早くどうにかなってよ。もう撃っちゃおうかな」
 先頭にいるハンナが重そうなランチャーを担いだまま、少しだけ身じろぎしてウンザリしたように言った。
「あれがラプチャーだと分かった瞬間に好きなだけ撃て」
指揮官が張り詰めた声で言った。さっきまでエリカにふざけて軽口を叩いていたのとは別人のようだった。
「エリカ」
「エブラ粒子が濃すぎてこの距離でも無線は無理です。もう少しです」
 名前を呼ばれただけでエリカには指揮官の質問したい内容が分かったようだった。
「全員もう少しだけ待て。あれが味方だと判別する方法がない。無線の必要ない距離まで向こうが接近するまで待て。それと…いや、いい。とにかく待て」
 指揮官が何を言いかけたか分かる気がした。道路の向こうから来るものが無線の必要ない距離まで近づいてそれがラプチャーだと分かったら、その頃にはもう私たちになす術はない。仮にまた斥候ラプチャー3体であったとしても、今度はエブリンの火力を失っている。恐らく私たちは全滅するだろう。そして2度も斥候に遭遇する可能性はほぼない。本隊だとしたら30体規模のラプチャー本隊と量産型NIKKE5体では勝負にならない。あれが味方であることに賭けて虚しく銃口を向けるしかなかった。
 今度は助からないのかもしれない。強くそう思い始めた。楽しかった思い出が蘇る。苦しかった過去が浮かぶ。私は名無しの衛生兵で終わるのだろうか。
「死にたくない」
あれほど毎回地上に上がるたびに固めていたつもりの覚悟が実は全く出来ていないことに気づいた。
 名無しの衛生兵のまま死にたくない。みんなとの思い出を失いたくない。今ここにいる全員と生きて中隊本部の宿舎に帰りたい。エリカとコーヒーを飲みながら恋愛小説について話したい。中隊本部の中庭でミーシャとのんびり日向ぼっこがしたい。綺麗なロングヘアのハンナとシャンプーの話がしたい。ミシェルが集めている香水の話を聞きたい。エブリンがいつも食べているパーフェクトを一緒に買いに行きたい。ナオがいつか言っていた旧時代の自動車レースの話を聞きたい。指揮官の映画鑑賞会だって毎回楽しみにしてるし、もっともっと良い映画をたくさん観たい。生き残りたい。神さまどうかあの黒い影が味方でありますように。
 そこまで考えて自分が存在しないものにまで縋っていることに気づいた。壊さないでくれと神に懇願するAIなど聞いたことがない。死にたくないと祈る機械など冗談にもならない。しかしそれでも何かに縋りたかった。
 過ぎ去ってほしい時間は長く感じるというのはNIKKEも同様で、緊張感から長い溜息をついた。

ザザッガッ

 何の音だ?全員がエリカを見た。エリカの通信機からノイズが聞こえる。
「882441。882442です。…答願います。」
エリカが指揮官の指示を仰いでから応答した。
「882441です。聞こえます。どうぞ」
「…882441。882442ノースロップ1。第1小隊を目視。そちらの小隊長に代わって欲しい」
「隊長。第2小隊長です」
「ありがとう。全員銃をおろせ。その場で待機。警戒は続けろよ」
 指揮官がエリカから通信機のマイクを受け取った。
「ノースロップ1。882441エアポートだ。」
「エアポート。第1小隊を目視しました。周辺にラプチャー反応はありません。ノースロップ1」
「了解。着いて早々で悪いが重体のNIKKEが2人いる。手配を頼みたい」
「既に連絡を受けております。後送用の車輌を準備しています。我々が到着するまでそのまま待機願います。あと5分以内に到着します」
「了解。通信終了」
 全員の緊張感のレベルが1つ下がったのが分かった。助かった。まだ油断はできないが前方から近づいてくるあれは味方だった。良かった。私はまだ死なずに済みそうだった。

「聞こえたかもしれないが援軍が到着した。衛生兵メディックはナオとエブリンの様子を見てきてくれ。担架はまだあそこに置いたままで良い。それ以外は全員その場で待機」
 私は担架のおいてある壊れた自動車修理工場まで走った。担架を隠してある瓦礫をどけ、そこに横になっているエブリンに声をかける。左脚を失った彼女は担架の上で上半身を起こして振り返って私を見てから言った。
「私は平気。ナオを見てやって」
 ナオの担架を見る。とっくに意識はない。私の内蔵スキャンを起動してナオを診る。祈るような気持ちでコアの反応を確認する。良かった。まだ死んではいない。どんどん弱々しくなってはいるがまだ蘇生できる可能性はある。循環器系も動いている。自発呼吸もしている。
 しかし本格的なスキャナーがないと何とも言えないが、あと数時間で蘇生は出来なくなるだろう。それまでに設備の整ったリペアセンターに運ばなければならない。私は走って指揮官のもとに戻った。
「どうだった?」
「エブリンは動作面に関しては問題ありません。ナオは意識喪失してますがコア反応もあります。循環器系も動いています。呼吸もしています。ただしあと数時間以内に本格的な全身換装が必要だと思います」
「さっきも言ったがナオは全身換装が出来る施設に送ることにしている。MMRみたいな倫理観の欠けた場所じゃないから安心しろよ」
 私はどう返事をしてよいかわからず戸惑っていた。すると指揮官のすぐ後ろに大きなブレーキ音とエンジン音を立てて装輪装甲車が止まったのが見えた。待ち焦がれた増援部隊が到着したのだ。列を成して停止した装輪装甲車のドアが次々に開き、7人の指揮官たちが下りてきて私たちの指揮官の前に整列した。第2小隊から第8小隊までの小隊長たちだ。
「第1小隊、警戒を解け。全員集合して整列。担架はそのまま。」
 私たちは指揮官の後ろに整列した。指揮官をはさんで私たちと対面する位置に7人の小隊長たちが整列している。
 指揮官が私たちに背を向けて小隊長の方に向き直った時に第2小隊長が号令をかけた
「中隊長代理に対し敬礼!」
 指揮官が短く答礼する。
「手短かに済ます。まず重傷者を後送する準備。次に今後の作戦についてブリーフィングを行う。そして次の作戦地域へ向かう。以上だ」
「第2小隊長以下7名、了解しました」
 小隊長たちはそれぞれの持ち場へ走る。指揮官は今度は私たちの方へ振り向き短く言った。
「全員でナオとエブリンの後送準備にかかれ。準備は衛生兵メディックの指示に従え」
「了解」
 みんなに手伝ってもらいながらナオとエブリンの担架を運んできて装輪装甲車に載せる準備に取り掛かった。増援としてやってきた装甲車は8輌。最後尾の車両には側面に大きな白い十字のマークが塗装されている。中から医療スタッフNIKKEが降りてきて、私に救命装置の説明を始めた。ナオに装着するものらしいが、そんな装置は見たことがなかった。いま思い出したが、たしかこの車輌は車内に救命設備のある衛生大隊の専用車両だ。なぜこんなものがここにあるのか、今日だけで指揮官の繰り出す魔術を何度も見せられた私はもう考えるのは止めようと思った。ナオは相変わらず意識喪失だがコア反応はある。ただし危険な状態は相変わらずだ。
 エブリンが自分の機関銃を抱きしめて離さないと駄々をこねたのでハンナが笑顔で引きはがした。ハンナは背も高いしスタイルも良くバイザーの下は整った顔の美人だ。量産型だから同じ顔のNIKKEが世界に何千体といるし、私と同じテトラ製アイドールのフラワータイプ(私はオーシャンタイプ)だから同じ顔を飽きるほど見ているはずだった。しかしハンナはその中で誰よりも美しかった。他のみんなには悪いが小隊で一番の美人だと思う。そう思う理由は分からない。
 ハンナがエブリンから機関銃を奪い「あんたは寝てなさい」と明るい声で有無を言わさなかった。エブリンは何か言おうとしたがやめた。それを見て今まで疲労と緊張の極致にあったみんなにやっと穏やかな笑顔が戻った。こういう時のハンナは本当に頼りになる。
 ナオに救命装置を装着し仏頂面のエブリンと一緒に車輌に載せたところで、開放した後部ドアの外から指揮官が私を呼んだ。車輌から降りると指揮官が少し離れた所からこっちこっちと手招きしている。
「今後のナオとエブリンのことは彼女の指示に従ってくれ」
 指揮官の隣にはピンク色の髪を横で束ねた小柄な女性が立っていた。
 ん?と思った。この顔はどこかで見た気がする。しかし今は疲労と解けたばかりの緊張感のせいでそれ以上の思考を困難にした。
「よろしくおねがいしますっ!」
 白いノースリーブジャケットを羽織った女性は大きな声であいさつしながら小柄な体を折り曲げて勢い良くお辞儀をした。そのあまりの元気の良さに少し身構えてしまった。
「あの、指揮官こちらは?」
「ペッパーだ。セラフィムの」
 指揮官が全く声の調子を変えずに言った。まるで無機質に明日の天気を伝えるテレビアナウンサーのようだった。
「今度この中隊で少しの間お世話になることになりましたっ!ペッパーです!」
「あ、どうも」
 目まぐるしい状況の変化が呑み込めずに、相手が差し出した握手に応じた。握手しながら思考が体中をゆっくり時間をかけて1周して脳に到達した。ん?ペッパー?セラフィム?セラフィム…セラフィム…セラフィム?
「セラフィム?!」
最後の「セラフィム」は脳内に収めきれずに大声と共に体外に飛び出した。

続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?