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終わらない頑張れ。つい求める大人達

やっほ〜

自閉っ子な次女の進路や様子のお話を
今日はお届けするよ

我が家の次女は現在16歳。
高校2年生の学年にあたる女の子。

1歳半で自閉症だと診断され療育手帳B2を取得

2歳児時代はは市内に初めて出来た児童デイ(今で言う児童発達支援センター)と隣の市の通園施設に通い
(通園施設は対応が…で3ヶ月ですぐ退園した)

3歳児時代からは市内の障害児通園施設に通園

5歳児時代は幼稚園か保育園にと勧められたけど離婚したり引っ越したりあせる
環境変化が多かったから、そのまま卒園まで施設に通った

小学校は地域の支援学級に在籍
でも人が多いのが苦手だったり、鉛筆は持てない、偏食で給食も食べれない…その他のこだわりがありすぎて結局1年生の2学期から不登校

中学の入学式の日の1ヶ月前に、包丁持って暴れて警察沙汰にもなり…入学式の日当日から約1年児童精神科に医療保護入院

入院中は院内学級に楽しく通え、退院後もこのリズムを大事に通学を目指すも中学校とトラブり…結局退院後は完全不登校のまま義務教育は終了。

高校には行かない。何もしないと選択し、現在いわゆる引きこもりニート

簡単にまとめるとこんな感じの進路できた。


それぞれの細かいお話
自閉症だと診断がついた時の発達検査の結果は

DQ136

平均値が100とされる発達検査では高い数値

今は自閉症スペクトラムと診断されるけど、当時は高機能自閉症やアスペルガー症候群と言われていた。

知的障害はない。
でも得意不得意の凸凹が本気の凸凹。

そして感覚過敏や聴覚過敏が激しすぎるタイプだった。

服は縫い目やタグがNGで、買ってみたけど着れなかった服は数知れず…

決まったタンクトップ、短パン、クロックスかムートンブーツ

これしか着れない時期があった。

そして聴覚過敏が激しく掃除機は次女が生まれてからかけれなくなった。
かけるとガチギレ…物に当たるわ投げるわ…

人の話し声に対しても嫌悪感がある子だったから、常に次女の前では話すことを気を遣った。

そう。昔から気に入らないとキレるここが結構問題なんだよね。

小学校に入るまでは毎日通園も出来たし楽しく過ごせた。

でも小学校が1200人規模の超マンモス校…

数値的にもそもそも知的もないから支援学校は選択肢に入る事も出来ず…地域の支援学級と判断されたけど、やっぱり支援学級だとはいえ校内に1200人以上もいる環境は次女にはしんどかった。

そしてやはり数値が高く出来る事が多いとつい大人は

これも頑張ってみようか?
これも頑張れば出来るよ?やってみよう!

ってついつい大人は頑張ってみようを求めがち

これ出来たなら次はこれ頑張ろう!
もうちょっと頑張ればきっと出来るよ!

そう。大人の言う頑張ろうは終わりが来ない。

凄いね!出来たね!

これで終われば次女はもう少し楽だったかも知れない。

でもつい頑張れば出来る事を大人は求めてしまう。

学校にいる間、次女は終わりの見えない頑張りがずっと襲ってたんだよね…

頑張っても頑張っても頑張っても…

じゃあ次は!

そりゃもう嫌だってなっちゃう…
それに気付くのが私自身遅すぎた。
もっと早く分かっていれば1つ頑張ったらそれで終わりにして欲しいそう伝えたのに

結局

学校=頑張り続ける場所

このイメージが出来てしまい、1年の2学期から行き渋りが始まった。

そしてもう一つ、次女はこだわりも強く毎日8時に家を出るってルールがあった

そう。絶対8時ちょうど!!

8:00
10秒でも過ぎたらこの世の終わりかの如く泣き叫び、物を投げ暴れる…そして

今日は行かない

こうなるともう行けない。

入学前は色んなことがうまく出来たのは、1つ頑張ったらそれが褒められ認められてその後は自分の好きな事が楽しめた。

でも入学後はずっと頑張る事を求められて、どんどん大人へ対しての不信感募り…どんどんきつい子になってしまった…

荒れ始めた小3頃からのお話はまた次回!


​今日はここまで!

次回更新をお楽しみに!

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かとまな






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