今さら語る「ダルのどショック」


はじめに

長年のプリキュアファン、KLPです。

今回は突然ですが、今さらのように、あの話題に触れたいと思います。

あの話題とは……「ヒーリングっど♥プリキュア」で大論争となった「ダルのどショック」についてです。

以前から言うように、私は感想を発信する方ではなかったので、放送当時は論争に加わりはしませんでした。
しかし、ヒープリ終了後も時々話題になっているのが気になり、今では自分も発信する場所が一応はある状態になったので、記事にしてみようと思います。

なお、私は批判派なので、それを念頭にお読みください。

概要と現状

「ダルのどショック」とは何か。知っている方は読み飛ばしていただいて構いません。

プリキュアの敵・ビョーゲンズの一人であるダルイゼンは、キュアグレース/花寺のどかに寄生して成長した存在であり、それが原因でのどかはかつて長期入院を余儀なくされました。地球に対しても、のどか個人に対しても、散々苦しみを与えてきた相手です。

そのダルイゼンが第42話、ラスボスのキングビョーゲンに取り込まれそうになり、深手を負ったとき、かつての寄生先であるのどかにすがり、もう一度寄生すれば回復できると言ったのです。
しかし、寄生されれば再び苦しむことになるのどかは、提案を拒否。その後、暴れ出したダルイゼンにキュアグレースとして立ち向かい、「あなたを助ける気にはなれない」「私はあなたの道具じゃない」「都合のいい時だけ私を利用しないで!」と突き放します。ダルイゼンは完全に戦闘不能となり、結局キングビョーゲンに取り込まれました。

公式サイドの考えは、例えば以下の記事などを読むと分かりやすいです。
女の子に自己犠牲的な優しさを期待する風潮に抗う意図は、プリキュアのスタートである「女の子だって暴れたい!」につながる、女の子の自立を助けるメッセージでもあるでしょう。

ただ、いくら悪事を働いてきた敵とはいえ、ボロボロの状態で助けを求める相手を拒絶する描写はショックが大きいのも確かです。
また、それまでのプリキュアにも敵を消滅させる展開はあったにしろ、「助けたくないから助けない」というのは恐らく初めてでしょう。
賛否は割れ、ファン同士が荒れに荒れました。

さらに、ヒープリの次作のトロプリからは、かなり悪質な行いをしても、和解したり、救われたりする敵が目につきます。
そうして敵が救われると、「ダルのどショック」が大なり小なり再燃しているのが現状です。

私は、論争が再燃するたびに、擁護派が批判派に「のどかに犠牲になれと言うのか」「ダルイゼンがイケメンだから同情しているだけ」「のどかとダルイゼンのカップリングで妄想してたんだろ」という、かなり激しい反応をすることがとても気になります。

そういう人が全くいないとは言いませんが、批判派の一人としては、多くの人は「のどかはダルイゼンのために苦しんで犠牲になるべきだ」とか「イケメン無罪、ダルイゼンは無条件で許されるべきだ」なんてことを言いたいわけではないと感じています。
批判派が単なるダルイゼンかわいさのために、のどかの心身を軽んじていると思われるのは不本意です。

ではなぜ第42話を批判するのか。長い前置きになりましたが、以下に書いていきます。もちろん私の考えではありますが、ところどころ同じポイントで引っかかっている批判派の人もいるようなので、そのことを気に留めておいてください。

モチーフの気まずさ

私が一番引っかかっているのは、ヒープリが「お医者さん」をモチーフにしていることです。

お医者さんの仕事は、言うまでもなく、目の前の患者を救うこと。助けを求めている人に最大限の治療をすることです。
その際、「この人が悪人だったら、助ける価値はあるのか」「この人が苦しいのは自業自得なのではないか」などと考えることは許されません。お医者さんが「自分が悪人だと思った相手は助けない」と言いだしたら、医療は信頼できないものになってしまうからです。

ですので、のどかがダルイゼンを助けたくないのは無理もないことだとしても、キュアグレースというお医者さんのプリキュアの姿で「あなたのような人は助けたくない」と宣言することには、どうしても違和感を覚えてしまうのです。

ここで、「ダルイゼンは力を回復したらまた地球を蝕むはず。プリキュアだからこそ彼を倒すのは正しい」という反論も予想されます。

私が思い出すのは、「ドキドキ!プリキュア」のキュアダイヤモンド/菱川六花です。

お医者さんを目指す六花は、第26話で敵であるイーラが雷に打たれて記憶喪失になったとき、家に連れ帰って看病しました。
回復し、記憶がよみがえればまた襲いかかってくるのは分かりきっていましたし、実際そのとおりになりました。
それでも、六花は助けたことを後悔せず、キュアダイヤモンドとして改めて立ち向かいました。後でどうなるかより今助けることを優先し、しかし戦うときは容赦しない、そういう道もあるのです。

医者志望とはいえ、この時点で六花はお医者さんではなく、プリキュアとしてもお医者さんはモチーフになっていません。その六花が、これほどまでに医療の何たるかを表現したわけです。
一方、医者志望ではないのどかは、わざわざお医者さんのような姿になった上で力を使い、「助けたくない」と宣言しながら倒してしまいました。
どうもこの辺りが、気まずく思えてなりません。

擁護派の見解は?

擁護派には、「命を脅かすビョーゲンズは病原菌やウィルスと同じ。人間とは和解できないし、プリキュアがお医者さんなら倒すのは当たり前」という意見もあります。
確かに、病原菌が相手なら倒すことこそお医者さんらしい、つまりプリキュアらしいと言えます。ヒープリはちょうど新型コロナのパンデミックが始まった頃の物語で、未知なるウィルスと昼夜を問わず戦う医療現場を現実でも目の当たりにしていたので、あくまで病気の原因をなくすことに重きを置く主張にも頷けます。

ただし、その解釈をするのであれば、「自分を苦しめる相手のために犠牲になる必要はない」という一番のメッセージが、微妙にズレたものになってしまうのではないでしょうか。

病原菌は、ただ生きるのに最適な環境を見つけて生きているだけです。その環境が人間の体内であったとして、「優しくない、思いやりがない」と批判しても仕方がないでしょう。
一方、私たち人間も生きなければならないので、病原菌とは必然的に戦うことになります。こちらから病原菌の犠牲になってやる選択肢など、元からありません。それなのに、「あなたの犠牲にならない」とわざわざ宣言する必要があるでしょうか?
優しく思いやるとか、犠牲になってでも助けるといった、人間同士のようなやり取りを当てはめて考えようとすると、無理が生じてしまうのです。

もしダルイゼンが病原菌だとしたら、戦闘中にグレースが発した「あなたを助けたら、二度と私たちを苦しめないのか」という問いは、かなり意地の悪いものと言わざるをえません。
病原菌にそんな約束ができるはずがなく、グレースも倒す以外になかったはずだからです。
ただ病原菌だからというだけではじめから倒すことが決まっているのに、無理な約束をチラつかせ、まるで相手の態度次第では救えたかのように装う……グレースがそんな意地悪なキャラになってしまってよいのでしょうか?

私が見た限りでは、批判派はビョーゲンズを病原菌やウィルスとは思っていない人が多いようです。
一方、擁護派には「自分を苦しめる相手の犠牲にはならない」と「病原菌だから倒さなければならない」はどちらもそれなりにいて、どちらかがマイナーな言説ということはありません。両方とも口にしたり、賛同したりしている人すらいます。
言説としてズレがあることを、あまり気に留めていないのではないでしょうか。

他の方法は?

さて、既に書いたとおり、擁護派には誤解されがちですが、批判派はのどかが犠牲になるべきだと考えているわけではありません。

自分を苦しめてきた相手を、なお苦しむ方法で救うのはさすがに無理があります。
悪人でも助けるのがお医者さんだとは言いましたが、お医者さん自身の健康は守られるべきです。先に挙げた六花も、看病にかけた手間暇以上の負担はなく、ただできることをやっただけで、自分を犠牲にしたわけではありません。

だとすれば……のどかもまた、できることをやればよかったのではないでしょうか。
つまり、「もう一度寄生される」以外の方法を見つければよかったのではないでしょうか。

ダルイゼンの提案を呑む必要がないのなら、あくまでのどかに都合のいいやり方で助ける、ということも考えられたはずです。
しかしその可能性は全く描かれないまま、「もう一度寄生されるのは嫌だ」があっという間に「助けるのは嫌だ」にすり替わってしまいました。
そこが惜しいと感じたのです。

ですので、擁護派からの「のどかに犠牲になれと言うのか」には、「どうしてダルイゼンの提案が全てだと思うんですか?」と答えたいと思います。
「じゃあどうやって助ければいいんだ」という反論が返ってきそうですが、実際に有効な方法があったかよりも、まずは考えてみたのかが問題です。

上記引用の記事では、筆者が「2択を迫られたときに、第3の選択で逃げずに、真正面から回答を出した今作は、子ども向けアニメとしてとても真摯(しんし)な対応だと思うのです」と綴っています。
しかし、それしかないと思い込んだり、すぐに極論に走ったりせず、視野を広くして考えることは「逃げ」ではありませんし、その姿勢もまた、子どもに教えたいものではないでしょうか。
本当に2択しかないと分かったわけではないどころか、「第3の選択があるのではないか?」と考えすらしない段階では、「逃げずに真正面から回答」も何もないでしょう。

おわりに

繰り返しますが、批判派はのどかに犠牲になってほしいわけでも、敵キャラを絶対に消滅させたくないと思っているわけでもありません。
その点が擁護派と対立していないにもかかわらず、それでも批判しているのはなぜなのかを考えていただきたいです。

ヒープリより前の作品でも消滅した敵は数多くいますし、その中には消滅させるのが惜しいほど魅力的な敵もいたはずです。
しかし、毎度これほどの論争になってきたわけではないのですから、「ダルのどショック」には論争になるだけの、特有の理由があると考えるべきではないでしょうか。

擁護派の方々が、さらには公式サイドの方々が、批判の理由を「女の子に自己犠牲的な優しさを期待しているから」「イケメンの敵に同情したから」と安易にまとめてしまわないことを願います。

公式サイドにとっては、ダルイゼンが消滅することも、のどかがダルイゼンを助けられないことも、最初から決まっていたのでしょう。
そこは私たちにはどうしようもありません。
批判派はただ、そこまでの経緯や描き方を批判しているだけです。

さて、現在放送中の「わんだふるぷりきゅあ!」は今のところ、ガルガルと積極的に戦わず、最後には抱きしめて浄化しています。
ガルガルは何かに取り付かれている動物で、自らも被害者なので、倒すより救うという方法を取るのは理にかなっています。

しかし、今後登場するであろう、動物をガルガルにしてけしかけた存在には、「抱きしめて浄化」は通用しないかもしれません。
その存在は消滅するのでしょうか。それとも、動物たちとは別の方法で救われるのでしょうか。

どっちにしても、納得のいく描き方になればいいなと思います。


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