フレームが意識されるとコンテストに受かるのではないかという仮説
今住んでいる所の近くには浅川が流れていて、なかなか景色がよろしい。
引っ越してきたときにはその事が随分嬉しくて散歩に行っていた。今でもよく行く。
当然写真も撮っていて、そんな訳だから中には自分で見てもこれは傑作だわと思える写真も時たま撮れたりする。それで、引っ越してきた時に図書館においてあったチラシで知った「浅川写真コンクール」に出してみた。
落ちる落ちる。毎年行われているのでチャレンジしているのだが、佳作にも選ばれない。しがない写真屋とはいえ、一応写真は私の本職である。これは由々しき事態だ。
少し前、市から郵送で今年も浅川写真コンクールに応募しましょうとの案内が届いた。その日から、良い写真とは一体何なのだろうとずっと考えている。
---
先日見に行ったアニル・セス氏のトークショウで、参加していた池上高志氏が「人は自分がいるフレームに気づいた時に自由意志が生じる。例えば通勤電車に乗って会社に出勤している時、自分が今電車に乗っていてるという事に気づくのがそれだ」と言っていて、私はその意見に大変なるほどと思った。
というのは、その日より前に八王子夢美術館で行われたいるピーター・シスの展示を見に行って、あることを思ったからだ。
アーティストのピーター・シスは当初、生まれた国チェコスロパキアで活動していたのだけど、当時の彼の国は共産主義国であり表現活動は厳しく制限されていた。その中で彼はメタファーを利用したギリギリの表現をしていた様子が、美術館の展示で示されていた。
それを見て私が思ったのは、「共産主義社会」という社会に疑問も不満も持たず日々平穏に暮らしていた人もいたのだろうな、という事だった。そんな中でそれに気づいた人だけが自由とは何なのかを考え始め、行動し始める。
日本でも例えばカルト宗教に熱心な家庭に育った子供等が分かりやすい例かもしれない。その体制にいる事が普通であり特に疑問も抱かないという状態だ。しかしそれに気づいた子供は反抗を始める。
自らカルトや陰謀論にハマる人にとっては逆に、日々生活しているこの世こそが、彼らにとっては今まで気が付かなかったフレームだ。
「今まで自分たちは人からずっと『地球は球体である』と信じ込まされてきた。でも、自分で自分のこの目で見、自分のこの頭で考えて初めて目が開けたんだ。『地球は平面だ』ってね。この世の教育は、自分の頭で考えさせず嘘というフレームを人に教え込む、謂わば洗脳だったんだ」
というこの感覚。自分は人々が浸かっているフレームと言うぬるま湯に気づき、そこから自由になった。自分はこの高尚な事実を悟ったからには何とか人に伝えなければっっ! という心の奥底の何某かは、アーティストも陰謀論者もカルト信者も、実は同じなのではないかと思ったりする。
なので、池上高志氏の述べた「フレームに気付く事が自由意志の始まり」と言う説の、その一端に自分の感覚は極めて近いと感じた。
---
という事で、結論として良い写真とは、カルト信者が教義を布教するような、陰謀論者が噂を人に広めるような、そういう写真が良い写真なのではないかと思う。例えば浅川の写真ならば、
「あなたは浅川のあるべき姿をこの世から信じ込まされ、あなた自身も日々の生活の中でそれを当たり前だと思って疑問を抱かない。
しかし、この写真を見よ! これが浅川の真の姿だ! あなたは騙されているのだ!」
という写真が良い写真なのである。