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私にとっての書くこと

私にとって書くこと

以前にも書いたことがあるように、私にとって書くことは昔から行っているアウトプットの一つで、それでいて長文を書くのは苦手というよくわからないものです。

大好きな行為だけれど、文章を書くということ、小説という形にまとめ上げることは、産みの苦しみがすさまじいと思っています。

私にとっての小説を書くことは、頭の中の映像を文章に落とし込むこと。それに子細に表情を書き入れて、におい、動き、音、色すべてを記載して、私の脳内の映像を、ほかの人にも伝わるようにすること。

けれどあまりに語彙力が足りなくて、悩み苦しむのがもどかしい。

けれど文章は楽しい

それでいて、文章は絵よりずっと頭の中から離れるのが早い(と個人的には思う)ので、イラストや漫画を描いているときによくある「うわ!自分の捜索したもの、つたなくて恥ずかしい!」が文章ではあまり起こりにくいとも思っています。

古いものでは十二歳ごろに書いている文章がいまだに手元にあるし、恐らく友人たちの手元にもあるはずなのですが、多分それは今でも読めるには読めます。

勿論表現のつたなさや無理やりな話の展開で「ウワー!」ってなることはあるかもしれないけれど、ふとした一文が心に突き刺さることが本当に多いんですよね。

「え?これ、私十代で書いたの?〇年前の自分、天才か?」
と、過去の自分に嫉妬することだってたくさんあるくらい。

文章は常に目にするものだから、なのかわからないけれど、本当に記憶から消えることが早いおかげで、自分で書いているっていうのはわかっていても、記憶に残っているのはうすぼんやりとストーリーの展開のみなので、細かなところに目を落とすと、粗削りで、みずみずしい表現に我ながらほれぼれしてしまう。

でも起承転結が苦手

ただ、起承転結が死ぬほど苦手。
面白い話は3年に一度くらいのペースでしか思いつかないポンコツ具合。

いい!と自分で思う話がかけたときには、二次創作ということ、いわゆる旬ジャンルであるのも作用して有難いことに沢山のブックマークをいただける。ただ、メインはイラストのSNSで。

かつ、私は自分の文章が一般受けをあまりしない文章であるだろうな、ということはわかっているので、余計そう思っています。

とてもありがたいことだと思います。
あのブックマークがぐんぐん伸びるさまは絵も言えぬ快感!
承認欲求がみっちみちに満たされる充足感!すごい!

とはいえ、面白い文章が書けるのは数年に一度。満たされることはままない。

でもそれは”ストーリーが思いつかないから”。

例えば漫画が描けたなら1コマ2コマみたいな感じの文章はそれなりに思いついたりもするんです。
それがつながって起承転結にならないだけで。

たまにオフの友達で、小説を書くことが趣味であることを知っている友達だけがいるTLで、地の文だけを流してみたりもしています。
最高に気持ちがいい。もちろん手放しでほめてくれる友達がいるのもあるからなんだけど、アウトプットの快感たるや。

ただ、これをもっと見やすくまとめたいなと思ってこれからnoteにまとめてみることにしました。

地の文を書くのが最高に楽しい。

これから書くのはセリフが1つ、2つあるような短いお話たち。

”私”と”あなた”、”君”、”彼”、”彼女”くらいの名称で済ませられる、なんの変哲もない一日を起承転結なしに地の文をたっぷり書き上げていきたい。

私は小説で、地の文書くのが最高に好きなので。

そうしたらきっと、家にこもっている時間が前よりもっと楽しくなるかもしれないから。

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