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ブラジルへの想い - 後編

2010年ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会も、読売新聞の解説者として6試合を現地で観戦した。グループリーグでのブラジル対北朝鮮戦が思い出される。

会場のエリス・パークは、ラグビーの南アフリカ代表を描いた映画「インビクタス(負けざる者たち)」を撮影した会場と聞いた(余談だが、治安に不安のあった南ア大会では、読売新聞が私の身を案じてホスピタリーシートを用意し、現地添乗員も手配してくれた)。

私の席は、ピッチを臨む大きな部屋の中にあり、そこでは軽食や飲み物に始まり、試合終了後のしっかりしたディナーまで用意されている。もちろんお土産付きだ。その部屋で、フラジルから応援に来ていた青年と、試合前から予想を言い合いながらグラスを片手に歓談。彼は、楽勝ムードでゲームに臨んだ。私はこの試合に、在日朝鮮人であるFW鄭大世(チョン・テセ)が先発で起用されていたので、感激と感動を覚えた。

前半、北朝鮮はブラジル相手に臆する事なく戦い、0-0で終了。ブラジルから来た青年の顔は真っ青だった。聞けば飛行機代金が4000㌦、ホテル代金が500㌦、ホスピタリティーシートの料金が1000㌦だという。一人で来ていて、試合が終わったらいったん帰国し、再度応援に来ると言っていた。

そんなサポーターの後押しもあって、試合は後半に、ブラジルがDFマイコン、MFエラーノのゴールでリードを奪い、北朝鮮も終了間際に1点を返す健闘を見せたものの、2―1という妥当な結果に終わった。ブラジルはFWロビーニョ、MFカカなどを擁していたが、準々決勝でオランダに1―2で敗れ、優勝カップを手にする事は出来なかった。

2014年はブラジルの地元での大会。準決勝でのまさかの大敗は何を意味するのだろうか。ブラジル1―7ドイツ。「ミネイロンの惨劇」は後世にまで語り継がれるだろう。敗因はいろいろあるだろうが、1970年のブラジルには王様ペレの存在があった。2014年の代表で背番号10を背負っていたのは、当時22歳の若きエース、ネイマールだったが、この試合は準々決勝コロンビア戦での選手生命に関わるような大けが(腰椎骨折)のために欠場していた。

ペレというプレーヤーは、あらゆる意味でお手本だと今でも信じている。指導者生活を通して、選手たちには彼の話をよくしたものだ。最後まで自分の力を出し切るのは当たり前、どのような環境でも(ピッチが悪くても)、どのような気候でも(暑かろうが寒かろうが)、模範となるようなプレーをし続けた選手だと。悪質なファウルを受けても凛としていたし、プレーそのものも、まねるべきことだらけだった。ピッチ外でもサッカーの親善大使のような振る舞いを貫き、ブラジル人の地位を上げたと言ってよいだろう。

神から才能を与えられた天才ネイマールはどうだろうか? もちろんファウルも多くされるが、タックルを受けるたびに、大げさにピッチ上を転げ回る彼の姿は、世界中のサッカー少年の模範になっているだろうか。言動は? 振る舞いは? 今のままでは、サッカーの女神は微笑まないだろう。W杯を取るチームは女神に好かれる男たちなのではないだろうか。

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