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今日、わたしを思い出した貴方へ

 貴方から花を貰った。わたしがいつも思い描く花はバラやガーベラみたいに花屋のショーケースの中で生殺しされている姿で、ドライフラワーというものに縁がなかった。
「それで? どうしたの?」
「とりあえず距離を置くことにした」  
 電話の話し相手に選んだそこまで長い付き合いではない彼女は、演技みたいな大笑いをして言葉を続ける。
「生きてるわけじゃないのに?」
「花も生き物だよ」
「ドライフラワーなんだから息絶えてるでしょ」  
 言われてみればそうだ。直訳、枯れた花。秋に地面を埋め尽くす色づいた葉と同じか。ここ数年、秋という概念がわからなくなっているけれど。
 視界の端にあるドライフラワーにピントを合わせるまでに、辿るものが多すぎる部屋の隅でわたしは息を吐いた。散らかった部屋はわたしの混乱した様子を体現しているようにも見えるけれど、 それは花が贈られる前からで、怠惰の象徴そのものだった。
「あ、ため息。減点」  
 指摘をするその声は、子どもを叱りつけるようなトーンで刺々しい。ごめん、とわたしは小さな声で謝る。わたしだってだれのため息も聞きたくない。 「そんなに嫌ならすぐ捨てればいいじゃん」
「無理だよ」
「未練深くていいことなんてないでしょ」
「決めつけないで」  
 過去は過去だと割り切れる彼女に理解されようとは思っていないし、彼女もわたしに共感しようとはしていない。わかっている。ただ境遇が似ているだけだ。
 ただ、身軽でいることを重要視している彼女を真似したことはある。できなかったからこその散らかりようなのだが、試みはしたのだ。手に取るもの一つひとつ、どんなものにも情が湧いてしまう。それがマイナスのイメージでも、それを思い出せる媒体であるからには、もうそれはわたしの一部になってしまっている。いらないと思って自分の片足を捨てられるほどの度胸はない。それを彼女に言ったら、伸びた爪も切れないじゃん、と一蹴された。  
 十年以上前にクリスマスプレゼントで買ってもらった本は、大切に扱っていたはずなのにページ は折れていて、表紙は破けていて、背表紙は日に焼けている。  
 中学生のころにお小遣いを注ぎ込んでいたアーティストのベストアルバムは、プラスチックの ケースが割れていて貝合わせ状態になっている。  
 最後に選択をしたのはいつだったか定かでない毛布から、インクがほとんど残っていないカラー ペンが顔やお尻を出している。
「中身を食べ終わったお菓子のパッケージも捨てられないんだもんね」
「あれは誕生日プレゼントに、って箱にメッセージ書いてあるんだよ」
「もう読めないでしょ」
「......なんて書いてあったかも、思い出せないけど」    
 保育園に通っていたときに描いた絵は、なにを描いてあるのかは思い出せないけれど、その日のおやつがゼリーだったことは覚えている。  
 大学生のときに大教室の端っこで回した絵しりとりの残骸には、お菓子かファストフードか、なにかの油しみがついている。  
 わたしは、そういうものに囲まれて、そのなかにずっと体を埋めていた。  
 そこに新入りとしてやってきたのが、ドライフラワーだった。
「それでさ、なにに悩んでるわけ? 保存方法?」
 はて、わたしはなにに困って彼女に連絡をしたのだろう。  
 すぐに言葉を返せないでいると、彼女はわざとらしく不満な声を漏らした。
「贈り物に深い意味なんてないことのほうが多いんだから、うれしい、ありがとう、でいいんだよ。それでそのあとインテリアにするのか、自然に返すのか、燃やすのか、それは自分で決めていいの」
 そうだろうか。これまではどうだっただろう。  
 いつだって貴方のことをいちばんに想っているのはわたしだったし、実際に貴方はわたしにす べてを曝け出してくれていた。
 それは、いつまでだっただろう。
 ここ数年はほとんど目も合わせられていない気がする。
「いい? あちらさんがどんな人であろうと、こっちにとって成長と忘却は比例するの。逆にこんだけ付き合いが長いのにまだ覚えてくれていることを喜びなよ」
「いつかは忘れられちゃうなんて、考えたくないよ」
「考えてたって、いなくたって、現実はやってくるんだよ」  
 彼女の地に足がついた意見と、それを後押しする力強い声から、わたしは察してしまう。  
 そうか、彼女も、もう。
「あーあー、こんな一時的な交流関係にまでそんな感情移入しないで」  
 そんなこと言われても、わたしは溢れる自分の気持ちを抑えこめるほどわたしに寛容ではない。  
 わたしだけじゃない。だれだって、他人がいなければ自分という個を保つことはできない。相手にどう見られているか、どう見られたいかを考えられるのは、想像する先に誰かがいるからだ。  
 わたしにとってそれは、貴方しかいない。
「リサイクルされたらまた会えるし」
「姿形が一緒でも、わたしのことを覚えているかはわからないでしょ」  
 はあ、と彼女が息を吐く。わたしが指摘する前に「ごめん、いまのはため息」と謝られた。
「そっちが覚えていてくれれば、大丈夫でしょ」
「......覚えてても、いいの?」
「ずっと覚えてなくてもいいよ。たまーに、思い出して。たとえば――」  
 そんなこと頼まれたのは初めてだ。  
 わたしが頼まれごとをするのは決まって秘密にしなければならないことで、大抵あなたはそのことを忘れて他のだれかにも同じ文句を使って共有してしまう。
「――たとえば、ドライフラワーを見たとき、とか」  
 うん、わかった、と一拍置いて返事をしたわたしの声が届いたかはわからなかった。彼女はもう そこにはいなかったから。  
 彼女は、つぎにだれと友だちになるのだろう。彼女のことだから、きっとその友だちの姉にでもヒーローにでも親友にでもなれる。  
 ドライフラワーに手を伸ばす。
 貴方がわたしを思い出してくれたから、ここにある。
「思い出してくれて、ありがとう」
 わたしは貴方を、これからもこの場所で待っている。  
 いつでも帰ってこれるように。貴方が帰る場所のひとつであるために。


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