畑

里山の日常(仮タイトル)三

若葉なつ20歳 その二

 朝、店に出ると、佐藤さん夫妻が中玉トマトを並べていた。
「おはようございます!」
「あら、なっちゃん。おはよう!」
 なつが、声をかけると、佐藤さんの奥さんが微笑みながら挨拶をかえしてくれた。
 佐藤さん所の中玉トマトは実がしっかりしていて甘いのが特徴で、この時期人気の商品の一つだ。

 店の棚に並べるのは、その日採ってきたものと決められている。もし、日付が変わってしまった場合は、持ち込んだ生産者が自主的に値段を下げたりして、採れたてのものとの差別化を図っている。

 このほかに食べ頃よりも早めに収穫したものも販売所に持ち込まれる。こちらは、インターネット注文用である。農産物販売所で売られているものには、ラベルに商品名と生産者の名前が記載された二次元コードがあり、購入者は、それを読み込むことで、おいしかった商品をネット上で再注文できるようになっている。わざわざ何度も足を運んでもらわなくても、一度来店してもらえれば同じ商品を購入できるシステムだ。

 ネット上の商品の受け付けと発送指示もなつの仕事である。注文は、メールで各生産者に送られ、生産者は注文のあった商品を農産物販売所に持ち込む。店の方は、だれかしら生産者が顔を出しているので、忙しいときは手伝ってくれる。元々自分たちで育てた商品だ。納めたものの売れ行きも気になるのが人情というものだろう。だから、ネット上の注文をこなすときには誰かにお願いして、なつは店の奥に引っ込む。店の奥では、発送を手伝ってくれる人たちも働いている。

 実は、店の売り上げよりもネットでの売り上げの方が遙かに多い。販売所はいわばアンテナショップといったところか。
 この地域に訪れてくれる人は、休日を除くと平日はそれほど多くはない。従って、道の駅や農産物販売所だけの売り上げだけではこの区域の住民すべてが暮らしていけるほどの稼ぎはまだない。ネットを駆使した農産物の販売やそれ以外の商品の販売がこの区域を支えている。

「この地域は、もともとあった村の一部だ。町内会が中心になってこの区域を自主管理していたんだ。ところが、市町村が合併し、大きな市となってしまった。そうなっちまうと、よけい行き届いた行政は期待できなくなったんだよ。そのため、元の村の町内会が中心になって特区を市に申請して、ようやっと昔のようにある程度の自主管理が認めらようになったんだ」
と田中のおじいちゃんが以前話していた。

 なつはその経緯に関してはまったく知らない。合併した市の中心地に住んでいたなつは、高校を卒業した時、友達のように東京を目指したいとは思わなかった。もともと人混みが得意な方ではなく、田舎ののんびりした雰囲気が自分には合っていると思っていたなつは、地元に残ることにした。たまたま募集があったこの山奥の農産物販売所に就職することに決めた。市中心地から通ってもよかったんだけど、一人暮らしをしてみたいという気持ちが強く、思い切って今のアパートを借りて住むことにした。アパートは道の駅の寮扱いになっているが、今のところ2階建てのアパートに住んでいるのはなつだけだ。

 開店準備のため、窓ガラスを拭いていると、声をかけられた。
「おはよう!なっちゃん。今日も元気?」
「おはようございます!オーナー」
 この農産物販売所を含めた道の駅のオーナーである渡瀬徹が微笑みをたたえて立っていた。野菜の絵が描かれたトレーナーにジーンズという出で立ちは、どうみてもオーナーに見えない。しかしこれが彼の普段着であり、仕事着でもある。
 渡瀬はオーナーといっても雇われオーナーだ。区域住民が道の駅を国土交通省に申請するとき、アイデアを広く募集した。その中で、これはというアイデアを提案してきたのがこの渡瀬だった。住民は、彼に申請案を依頼し、その運営についても彼に任せることにしたのだ。

「この夏は、水着着てアイスクリームでも売らない?そうしたらすぐにでも買うよ!」
何で、こんな山奥で、水着を着てアイスクリームを売らなきゃいけないんだ!蚊の餌食になるだけじゃないか!このセクハラおやじ!
と思ったが、そこは言葉にせずに笑顔を返す。
「浴衣ならともかく、水着は遠慮しておきます」
「そう、残念だなあ。あっ、そういえば、ネットで若い人募集したんだ。もし販売所に訪ねてきたら、事務所の方に来るように言ってね。お願い!」
それだけ言うとオーナーは店を出て行った。

つづく

今までの話は、下記からどうぞ。

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里山の日常(仮タイトル)その一

里山の日常(仮タイトル)その二

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