畑

里山での日常(仮タイトル)一

まだ、タイトルも展開も決まっていないのですが、里山を中心にしたコミュニティーを作って、そこでの生活を中心に描いていきたいと思っています。
登場人物ごとに、話を紡いでいきます。まずは小野和正の登場です。

小野和正(おのかずまさ)22歳 その一

   あの時まで小野和正は、霜柱を見たことがなかった。東京の郊外で育った和正は、普段から土がむき出しになった道を歩くことはまずなく、道といえば当然舗装されているものと思っていた。

 小学校には徒歩で通っていたが、通学路は舗装された緑色の歩行者専用道路だった。通学路脇にある花壇の土は肥料が混ざっており、砂のように白っぽく本来の土の色をしていなかった。学校の校庭も、ラバーでお被われていて土に直接触れる環境ではなかった。

 朝顔を鉢で育てるという体験学習ではほとんど親に手伝ってもらい、水やりこそ記憶の隅っこに残っているものの、土の匂いや感触は記憶にまったく残っていない。中学生になると通学が自転車となり、寄道してまわりを観察する余裕はなくなり、高校にいたっては電車通学で土に触れる可能性はさらに低くなっていった。今思えば、遠足などで土に触れる機会はいくらでもあったはずだったが、どの行事でも土に心引かれることは今までなかった。


 だから朝もやの中、田んぼのあぜ道の端っこに土が数センチ盛り上がったところがあり、しかもその内部が白く輝いているのを見つけたとき、和正の目はそこに釘付けになった。

「何か氷の柱みたいなものがあるなあ」

 と思ってしばし眺めていたが、なぜかふとその部分を踏みつけてみたい衝動にかられ、右足を前に出しスニーカーでそこを踏みつけてみると、サクッという心地よい音が帰ってきた。それは子供の頃雨上がりに残った水たまりをわざと長靴で踏みつけたときの心地よさに似ていた。

 背筋を伸ばし、深呼吸をしてみる。朝の爽やかな香りと寒気をともなった新鮮な空気が胸いっぱいにひろがり、神経が研ぎ澄まされていくのを感じた。スニーカーの先には湿っけをもった土の塊がまとわりついている。

「これが霜柱というものか?」

 もう少し霜柱を踏んでいたい気持ちになったが、それも大人げないかと思い、スニーカーに着いた土を足を地面にこすりながら丁寧に落とした。

「土に触れる仕事がしたい」

 最初に思ったのはそんなことだった。

 自分がやりたい仕事が定まらず、文系だというだけで営業を目指すのもどうかという思いもあり、他の友達のように熱心に就職活動する気にもなれず、今日まで来てしまった。そんな焦りが和正にはあった。

(でもだからどうしろっと?)
 そう思ったとき、和正は郊外の山奥に向かってバイクを走らせていた。日が昇り朝日で光り輝く畑とあぜ道に魅せられて、思わずバイクを止め、あぜ道を歩きはじめた。そこに霜柱があったのだ。

(都会で生活することが最良の選択なのだろうか?)
 毎日、ぎゅうぎゅう詰めの電車で都心のオフィスビルに向かい、仕事に就く前から疲れ果てている自分を想像すると何か違う気がしてくる。もともと事務仕事が好きなわけではないのだ。他人の目を気にして好きでもない服をまとって仕事を続けていく。だいたい背広というものは日本の風土にまったく合わない。西欧に追いつきたいと考えていた昔のお役人が、かたちから入るために気候を無視して広めていったものとしか思えないのだ。そんなものを着て毎日を過ごすというのも想像するだけで嫌になってしまう。

「自分にあった生き方を見つけたい」

 その日、和正は大学までに学んだものが基礎知識ならそれを活かして自分なりの生き方を見つけてみたいと思った。もっとも、大学は専門分野を学ぶべき場所だったような気がするが……。

 あれから一年とちょっと、和正は大学を無事卒業したが就職はしないままフリーターとなっていた。親のすねはかじりたくないとおもって、学生の時からやっていた学習塾の講師のバイトを今でも続けている。しかし、居候であることには変わりがない。

 インターネットで何気なく冬に訪れた町のことを調べていたら、農産物販売所のホームページに辿り着いた。そこには、「意欲のある若者募集!」という項目があり、「詳しくは一度訪ねてきてね!」とあった。和正は、もう一度あの町を見てみたいという軽い気持ちからそこを訪ねることにした。

つづく

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