Boris『fade』深海の音圧—30周年記念年をしめくくるboris名義の『fade』 by 松村正人
KKV Neighborhood #156 Disc Review - 2022.12.17
Boris『fade』review by 松村正人
Borisの今年3枚目となるアルバムである——と書き出してみて、われながら奇妙な一文だと思った。なんとなれば、一年にシングルならまだしも3枚ものアルバムを出すバンドは、私の浅学非才を措くとしてもあまり耳にしたことはない。もっともサブスク的世界観ではアルバムなる勘定科目自体、旧聞に属するものかもしれないが、そのことこそ彼らの尋常ではない創作欲と出し惜しみ無用のリリース戦略をしめすものとはいえまいか。
Borisは今年すでに2枚のアルバムと7枚のシングルを出している。アルバムでは春先に2021年の『No』と一対となる『W』をリリースし、夏には原点をあらため前進の契機となす「Heavy Rocks」の2022年版を世に問うた。後者はBorisの1992年の結成を起点に、2002年、2012年と10年ごとに原点をたしかめるように制作してきた連作で、3作目となる2022年作は豹柄のジャケットそのままに疾走感と獰猛さにくるまれた一作となった。「She Is Burning」にはじまる全10曲はいずれもアルバムの表題にたがわぬ轟音ぶりだが、前半のストレートなたたずまいに比してフリーキーなサックスが嵌入する4曲目の「Blah Blah Blah」など、後半へと放射状に多様性を増す展開も印象深い。「光~Question 1」と「Nosferatou」のコントラストとダブ的な空間処理、「形骸化イマジネーショ~Ghostly Imagination」のデジタルなビート感など、楽曲の振れ幅は『W』に参加し、今年ツアーをともにしたバッファロー・ドーターのシュガー吉永のサウンドプロデュースによるところもあろう。Borisの無二性はそれら外からの刺激を巧みに吸収し血肉化する点にある。それによりBorisの原点はアップデイトしつづける。2022年版の『Heavy Rocks』はいわば、そのことの定点観測であり次なる10年後への布石でもある、そのことはアルバムの掉尾をかざる「(not) Last song」のタイトルにもあきらかだが、かすかに変調したピアノとヴォーカル、軋んだギターノイズを主体とした終曲は聴き手の琴線にふれる美麗さと荘重さをもつものの、そこからくる安易な記号化をいなすかのような目配せも感じさせる。
とまれ海外と国内の評価の落差、多彩な音楽性とそれを反映した幾多のリリース、定評にあまんずることなくアップデイトしつづけるライヴパフォーマンスひとつとっても、Borisをめぐる評価軸はつねに流動的でときに錯綜している。BORISとborisの使い分けもその傾向に拍車をかけたが、1992年からの30年はそのような多面性こそBorisという運動体の本性なのだと理解するための時間でもあった。
『fade』は2022年現在の最新のリポートとなる。名義は実験的な作風に冠する小文字のboris。ただし録音は2020年なので発表まで2年のブランクがある。いうまでもなくこの2年はコロナの「禍中」の2年である。移動と集会と面会の自由への制限の裏でborisは無際限なイマジネーションで壮大な音絵巻をものしていた。そのことは事後的に判明するとき、いっそうの重みをもつ。
アルバムは全6曲をひと綴りの物語とみなしているのは「マリンスノーに埋もれて」と題したインサート記載のあとがきにもあきらかである。テキストそのものはごくみじかい、物語というよりは散文詩ふうのイメージスケッチだが、楽曲は序章と終章が四つの章を挟む1時間あまりの組曲形式をとっている。水をキーワードに闇と光、沈潜と浮上、刹那と無限ないしは生と死などの主題を付託したサウンドは(パワー)コードワークを軸にしており、ジャンルわけするならドローンないしドゥームメタルといえそうだが、Borisの認知度を広めたSUNN O))) との2006年のコラボレーション『ALTAR』でみせた形式の限界値を測るよりも響きに誘いこむかのような狙いが目につく。既作では2003年の『boris at last -feedbacker-』、その3年後の『dronevil』、あるいはその中間に位置するといえようか。その点ではアンビエントとみなしうるだろうし弦の鳴りにひたすら身をひたすのはスラッジィかつシューゲイザーであるばかりかサイケデリックの勘どころでもある。他方それらの和声はAtsuoによる微細な電子音、WataのエコーマシンやTakeshiの声の残響と攪拌し歪な設計の音響構造体にくみあがっていることにも留意したい。前面を分厚いギターがぬりこめ、ノイズと化した音の粒子が泡のように背面から沸き立つ音響には上方や水平方向よりむしろ下へ下へと、沈みこむような指向性をおぼえもする。水中に没しながら海面をみあげるかのようなイメージは公開中の「序章 三叉路」のMVの映像にもつながるとともに、ジョン・エヴァレット・ミレーが『オフィーリア』で描いた場面を光のとどかない海底におきかえるかのようでもあり、「①ゆっくりと暗くなる、②見えなくなる、姿を消す」などの意味のある「fade」なることばの語義にもかなっている。一方でサウンドの構造にあらためて耳を凝らすと、骨組みをなすコードワークにも反復基調のものと展開するパターンがあるのがわかる。ことさらに楽理的な解決をもとめない点ではこれらは和声というよりも全編これ一編のリフのようなものか――というような興趣さえいだかせつつ、『fade』はやがてボルヘスの『幻獣辞典』にその名がみえる勝利の塔の最上階へむかう螺旋階段をのぼる人間につきしたがう幻獣「a bao a qu(ア・バオ・ア・クゥー)」を副題にもつ終章「無限回廊」にいきあたる。オルゴールふうの幻想的なイントロにはじまる一時間あまりのアルバムの幕引きで、私たちは高潮のようなによせてはかえすリフレインのむこうに姿を隠す(fade)作者たちを尻目に、静寂と測りあえるほどの轟音が消え残るのをまのあたりにする。borisの本懐を遂ぐというべきであろう。
boris 『fade』
序章 三叉路 15:19
第一章 月光の入り江 -howling moon, melting sun-14:21
第二章 満ち草 03:52
第三章 (汝、差し出された手を掴むべからず) 09:36
第四章 マリンスノー 06:30
終章 a bao a qu -無限回廊- 14:36
あとがき マリンスノーに埋もれて
Bandcampにて発売中
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