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Zen101 インタビュー なぜ〈愛とジェンダー、自分らしくあること〉を歌うのか

KKV Neighborhood #53 Interview - 2020.12.02
Zen101『Zen101』(self-release)
interview by 田中亮太

東京を拠点に活動するシンガー・ソングライター/トラックメイカーのZen101。彼女の音楽をはじめて聴いたのは昨年のちょうどいまごろ、下北沢のTHREEで開催されていた〈9 PARTY〉でのライブだった。簡素なエレクトロニック・ビートと柔らかなシンセサイザー・フレーズのうえで、真摯に言葉を紡いでいく姿に心を奪われた。僕と同様に、その日彼女に出会った人が多かったのだろう。多くの友人が興奮気味に感想を語っていたことを、はっきりと覚えている。

Zen101が歌うのは〈愛とジェンダー、自分らしくあること〉。今年Bandcampと12インチでリリースしたEP『Zen101』でも、社会に蔓延している〈〇〇らしさ〉や〈〇〇であれ〉といったある種の暴力への抵抗が、ときにさりげない疑問符という形で、ときにメランコリックな告発という形で描かれている。その表現は、自分らしさが尊重されるべき時代において、きわめてアクチュアルなものだろう。Zen101という音楽家の歩みをインタビューで訊いた。

――EP『Zen101』をリリースしてから少しお時間経ちましたが、最近はお忙しいですか?

「今年は本の翻訳をやっていて、その合間にレコーディングをしてって感じだったのでわりとへロヘロですね(笑)」

――翻訳されるのはどういう内容の本なんでしょう?

「リプロダクティブ・ヘルスっていうんでしょうか。生殖に関する健康と現実についての本で、書いている人は不妊治療を経験したアメリカ人女性の小説家、ベル・ボッグズ(Belle Boggs)です。その治療にも体外受精とか人工授精とかがあり、治療以外でも養子縁組を選ぶとか、いろいろあるんですけど、この本は彼女が当事者の声を集めて書いたもので、ノンフィクションです。彼女自身は最終的に体外受精で授かるんですけど、本のなかにはゲイカップルで代理出産を選んだ方たちも登場します」

――出版はどこからなんですか?

「THOUSANDS OF BOOKS(サウザンブックス)さんっていうクラウドファンディング専門で翻訳書を出しているところなんです。最近だと『チカーノ・ソウル』とか出していたところですね。私が翻訳した『The Art of Waiting』は、自分が企画の旗揚げでもあって、3~5月にクラウドファンディングやったんですけど、人に会えない時期だったから、ちゃんと届いているかわからなくて。波が起きるまではすごく大変でしたね」

――Zenさんがクラウドファンディングから立ち上げたんですね。この本を日本語で出版したいと思った理由は?

「もともとアメリカに住んでいたときに、この作家の小説を読んでいてファンだったんです。いま私は36歳で去年まで結婚していたんだけど、やっぱフリーランスだったので、なかなか安定しなくて。子供を産むとどれだけの期間働けなくなるかを考えると、じゃあ子供を授かれるようにがんばろうとはなれなかった。そういうのも原因のひとつとして離婚したんです。なので、産めるかもしれない年齢なのに産めない、みたいな。
そういうときに自民党の人が、〈LGBTQの人は子供を産めないから生産性がない〉みたいなことを言っていて、すっごくムカついて。(性的志向、経済的状況、心身の状態など)いろいろな人がいるなかで産む/産めないってそんな簡単なことではないんじゃない?――それを伝えたいからこの本を訳したいなと思って企画書を書いて出版社に持ち込んだりもしてたんですけど、売れるかわからないからって理由で断られることが多かった。そこでクラウドファンディング専門の出版社に持ち込んだら、やってみましょうとなり、いまにいたるという」

――家父長制の見直しも含めて、いまは家族というものの再定義をすべき時代ですよね。出版が楽しみです。

「すごくおもしろいですよ。マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』とかコーエン兄弟の映画とかエンターテインメントのなかで、いろいろな家族の形に迫った作品が引用で出てきたり。文学的な人でも楽しんで読めると思う」

――小さいころから読書がお好きだったんですか?

「はい、ずっと図書室や図書館に入り浸っている子供でした。本が友だちみたいな。ティーンエイジャーになるとその対象が音楽にもなるんですけど。高校を卒業したあとNYに留学するんですが、いま思うとそれには村上龍さんの『KYOKO』からの影響もあるのかも。その小説もNYが舞台なんですけど、主人公の女性は周りの同調圧力とかではなく、自分が何をしたいか自分で決めていくんですよね」

――NYではどんなことを学ばれていたんですか?

「私、間違えてクラシックの音大に行ってしまったんです(笑)。声楽をやっていたんですよ。ぜんぜんそういう歌い方の痕跡が残ってないから、あまり気づかれないんですけど」

――そうだったんですね(笑)。でもZenさんの歌には声楽をやっていた名残も感じますよ。声を自在に操れているような印象を受ける。高校生の頃から音楽はやられていたんですか?

「歌がやりたいなと思って軽音部とかに入っていました。で、バンドの真似事みたいなこともやっていて。そういうなかで、もっとちゃんと歌えるようになりたい、自分の表現をしたいなと思いだした。高校で進路をどうするかって話を先生としたときに、私は日本の専門学校に行くことを考えていたんですけど、先生から〈いまは円が強いし、アメリカだといろいろな音楽も聴けていいんじゃない?〉みたいにそそのかされて。そこで、世間知らずだったので〈確かに〉となり(笑)。ポップスだとちゃんと基礎ができないかもと考えて声楽に行ったんですけど、周りはホントにオペラ・ディーヴァみたいな人たちばかりで、ちょっと浮いてましたね(笑)」

――高校生のときはどんな音楽を聴かれていたんですか?

「自分が多感なときにすごくハマって揺さぶられたと思うのはCoccoさん。音楽的に影響を受けているかと言えばそうでもないんですけど、ああいう生々しいことを歌う人がいるんだなと思いました」

――あー、わかる気がします。Zenさんの歌を聴いて、自分はBONNIE PINKやHAL FROM APOLLO ‘96あたりの音楽を想起していたんですけど、やっぱり90年代に日本の女性がやっていた音楽からの影響はあるんですね。NYに行ったのは何年?

「えーと、2003年からですね。行ったときは(9.11の)テロのあとで、逆にものすごく安全だったんです。マンハッタンに行くと数ブロックごとにおまわりさんが立っていて。そういう感じだったので、日本で脅されていたよりも100倍安全だった。動物の勘的に、ここはやばいなみたいなエリアは避けるようにしていましたけどね」

――NYに行ってからは学業で取り組む以外は、どんな音楽に親しまれていたんですか?

「ジャズのカヴァーをジャズ科の人たちとやったり、民族音楽的なものを聴くようになったり。いろいろと演奏を観る機会は多かったです。市がスポンサーの公園でのライヴとかもいっぱいあって、ローカル・バンドがたくさん出ていたり」

――羨ましいです。卒業後も引き続き音楽をやっていた?

「はい、大学を出てから3年前くらいまでゆき&キューティーズというバンドをやっていたんですよ。(日本に戻ったあと最後に残った)正式メンバーは私しかいないんですけど、(NYで活動していた初期は)自分で書いた曲をウッドベース、ドラム、たまにジャンベとか入って……みたいな編成でわりとストレート・アヘッドなジャズ・アレンジで演奏していたんです。現地のフェスとかにも出て。その名前で日本に帰ってきたときもやってたんです。
私がいちおうリーダーみたいな形でやっていたんですけど、すごく年上で経験のある男性の方と演奏することが多くて、当時はいまZen101で歌っているような詩を歌う勇気がなかったんですよね。バンドに持っていっても、〈えー、暗い、重い、やめといたほうがいいんじゃない〉みたいに言われて、そこでひっこめちゃったりとか。ステージ・プレゼンス、見た目とかに対しても女性アーティストならあと何キロぐらい痩せてないとダメでしょ、と言われたり。もっと色気を出せと言われながらも、露出が多かったら怒られたこともあったし。日本に戻ってきてから、純粋な音楽以外の部分に対する意見をもらうことが増えたように感じました」

――日本にはいつ戻ってきたんですか?

「2012年です。日本に戻り、そういう周囲の意見ににとらわれるようになり、自分の自由な表現をする勇気がしおれてきちゃったんですよ。ぜんぜん楽しくなくなってきてすごくつらくなった。それで弾き語りとかを本名でやっていたんですけど、1人の生楽器でできることもすごく限界があるなと思っていたときに、エイブルトンでやるライヴを観て、ルーパーやビート・マシンをセットにとりいれるヒントになった。詩の朗読とかも始めてたんですけど、それを生の演奏と用意したトラックに合わせるという、いまのスタイルになったのは去年ですね」

――Zen101としてインスピレーション源となったミュージシャンはいますか?

「もちろんいます。ジェームズ・ブレイクとかスタイルは違うかもしれないけど影響を受けたし、ジャネール・モネイさんのメッセージや存在感には勇気をもらえた。あとリアーナの『Anti』も音楽的にむちゃくちゃ刺激を受けました。フランスのイベイーっていう2人組もヒントになりましたね。やっぱり生の声や生の楽器には惹きつける何かがあるし、ぜんぶ電子音っていうのものより、気持ちのいいところで融合しているものが好きですね」

――プロフィールを読むと、Zen101としての最初のライヴはNYで行ったそうですね。

「2012年に引き上げてきてその翌年に行ったきり、ずっとNYを訪れる機会がなかったんですけど、去年の6月に翻訳関係のエキスポがあったり、それ以外にもいくつか行きたい催し物があったので行くことにしたんです。ライヴも景気づけにやろうかなと思って、昔出させてもらってた店に連絡したらいいよと言われて。あと〈Make Music New York〉っていう、夏至と冬至の日に公園とか店の軒先とかテラスとかでライヴをやるイヴェントが開催されていたんです。それにも出させてもらいました。ストーンウォールってLGBTQにおいてはすごく歴史的な場所の目の前の記念公園でやらせてもらって」

――レスポンスはいかがでしたか?

「ちゃんと反応があったのでよかったです。NYって変な音楽でも筋が通っていてハートがあるものを応援してくれるので、自分の背中を押してもらいたかったんです」

――以降、日本でもライヴ活動をスタートしたかと思うんですが、THREEでやることが多かったですか?

「日本っていわゆるライヴハウスって感じのお店が多くて、気軽に音楽を聴ける場所がほんとにないですよね。でも(元THREE店長の)スガナミさんのインタビューを読んで、すごくアメリカっぽいことをやっているお店があるんだなって。入場料を安くして、そのかわりドリンク・チャージでちゃんと利益を出せるようにがんばっているのを知り、行ってみたいなーと思っていたところ、〈THREEの実験室〉があったので、じゃあ応募してみようと。たぶん応募した前後に〈実験室〉を観に行ったんですよ」

――〈Block Party〉なり〈9 PARTY〉なりスガナミくんがやってきたパーティーや、彼の作り出したコミュニティーに対しての印象は?

「私は声をあげることに抵抗がない性質で、はっきりと自分のスタンスを言いたいし、言い合える仲間がほしいなと思っていたんです。自分がそれまでいた場所、ポップスみたいなところって、ほんとは思っているけど言わない、波風立てない、仕事なくなったらいやだしみたいな人も結構いて。だから、9 PARTYのみなさんなんかとは出会えて、めちゃくちゃうれしかったです」

――特にライヴのパフォーマンスなどで印象深かった方はいらっしゃいますか?

「私はしいねはるかさんとご一緒させてもらうことが多いんですけど、はるかさんはホントにまっすぐというかウソがないんですよね。迷っていることとか戸惑っていることとかもそのままを言葉にして歌っていて、私はそれがなんでしょう……安心するっていうか。励まされるし、安心する。私は、言葉と態度がかみ合ってない人がすごく苦手なんです。口ではすごく調子いいことを言っているけど目が笑ってないとか。言葉を大事にしてないっていうんでしょうかね。でも、はるかさんは本当にいつも正直だから、それが迷っている言葉でも、〈こう思うんだ〉と言い切っている言葉でも、すごく力をもらえる。音楽的にはぜんぜん違うスタイルなんですけど、存在としてすごく刺激を受けています」

――THREEや9 PARTYのみんなは、それぞれ辿ってきた道やアウトプットしている表現は違っていても、大切にしているものがどこかで重なっている気がしますね。

「それがパンクスでもロックの人でも、優しくあろうと思っている人が多い気がします。わからなくても受け入れたいと思っているんだろうな」

――Zen101さんのプロフィールには〈愛、ジェンダー、そしてオーセンティックであることを歌う〉とありますね。この指針はどのように浮かび上がったものなんでしょうか?

「まだ若かったときは、話題にしてもらうためにとか、売れるために、みたいなことを思っていたんですけど、もうそういうことは一回忘れて、ホントに自分を自分のまま見せようと思ったんです。最初はすごく怖いなと思ったんですけど、Zen101をやっていて正直に出した表現だからこその反応をもらえている気がして。かっこつけた言葉とかじゃなく、自分がそのまま思っていることや傷ついたことを混じりけなく言うことで、もしかしたら同じような気持ちを持った人に共感してもらえるかもしれない。ホントにもうウソをつくのはやめて、ありのままを表現しようと思った」

――愛やジェンダーといったテーマもZen101をはじめて以降、より重要性を帯びていったんですか?

「たぶんずっと人生につきまとってきたテーマで、もっとシュガーコートっていうか優しい言葉で言おうと思ってはいたんですけど、それをやめて直球でやってみようって思うようになりました。たとえばNYで音楽をやっていたときに、たとえば私は体つきが女性らしいというか……そんなに痩せてもなくまるっこいから、それで望まない注目や関心を持たれることがあって。音楽を一緒にやっている人とも、私は一緒に仕事をしたいだけなのに、そういう(下心のある)目で見られたりとか。すごく面倒くさいなと思って、既婚者で安定した家庭を持っている人としか仕事をしなくなった(苦笑)。
“A Gun in the Closet”でも、友人だと思っていた人から、性暴力というか、傷つけられた経験を歌っている。私の中身はフェミニンではないのに、体つきとか性別だけで女性としてというか、そういうふうに(興味のない相手に性的対象として)見られることがすごくつらくて。だから最近はスカートとかもあまりはかないし、なるべくフェミニンみたいなものを排除して生きようと思っている感じ。私は、自分がノンバイナリーなのかどうかってのも、ずっと考えてたんです。それもあって2019年の6月にNYに行ったのは、プライド・パレードを見たかった、というのも理由の一つでした。NYに住んでいたころから、プライド・パレードでは『自分ってこうなの』って自分のアイデンティティを全身で誇りに思っている人が歩いていて、その姿を見るたびに勇気をもらっていた。それをいま私は見たい、見る必要があると思った。
そして気づいたのは、私は別に女性であることがいやなんじゃなくて、女性として生きていくことに対して、他人が勝手に私に与えるラベルがいやで、そういう経験を積み重ねてきたけど、私は自分の肉体も受け入れているし、男性になりたいわけでもない、ということでした。パレードに行って、それをやっと言語化できて、人に伝える勇気をもらった」

――LIVE HAUSのトイレの扉に男女両方とも〈Please use the restroom that best fits your gender identity or expression〉(あなたの自認するジェンダーアイデンティティとジェンダー表現にもっとも合ったほうをお使いください)と書いていますけど、あれはZen101さんが考案したものだそうですね。

「はい。でも私がいちから考えたんじゃなくてNYのシアターか美術館のトイレにあった言葉がすごくよくて、真似させてもらいました(笑)。いま、トランスジェンダーは生まれた時の肉体の性別に即したトイレなどを使うべき、といった議論がありますよね。でも(LIVHAUSのトイレは完全な)個室だし、安全が保たれる場所くらい、自分が思うほうの場所に入ったっていいじゃないって私は思う。ああいう手伝いをできたのはすごくうれしいです。ライヴハウス自体、いろんな人がいるよねっていうことが前提の安全な場所、自分が自分であることをジャッジされない場であってほしいなと思います」

――今回のEPには5曲を収録していますが、どういう理由で並べていったのでしょう?

「クラシック音楽では一つの主題の元にまとめられた一連の歌曲をソング・サイクル(連作歌曲)というんですけど、この5曲も私のなかで一連のソング・サイクルみたいな存在で。ひとつの起承転結じゃないですけど」

――なるほど。どういうストーリーを描いたんですか?

「さっき田中さんもおっしゃってくださった〈愛とジェンダー、自分らしくあること〉――その3つに、過去10年くらい自分はことあるごとに立ち戻ってきたんです。それを乗り越えるじゃないですけど、いまやっと胸をはって表現できるところにたどり着けた。その旅路みたいなもの、でしょうか」

――確かに今回の5曲は歌詞を読むとすごくリアリティがあるし、ご自身のリアルな感情や体験が曲の発端にはある気がします。ただ、実際の悲しさや怒りに由来しているけれど、その感情を真空パッケージしただけではないように感じました。サウンドとの化学反応もあると思うんですけど、すごく優しくて柔らかなものとして響いている。

「自分はわりと過剰に繊細みたいで、怒っている人の声……もちろんトーンポリシングの意味でなく、ただ単純に個人的に怒っている人の声色には心臓がひゅっと縮まるし、怒りがむき出しなツイートとかを見ると、やっぱりなんかくらうっていうか。単純に未処理の感情をそのままぶつけてくるタイプのコミュニケーションは得意ではなくて。
私、ジャネール・モネイさんにはサウンドとかでは影響を受けてないかもしれないけど、表現方法としてはとてもインスピレーションをもらってるんです。彼女の『Dirty Computer』というアルバムにはドナルド・トランプ批判とかも入ってるんですけど、すごく楽しめる形でそれを表現してるんですよね。私は批判を洒落た感じでユーモアに込めてくるものがすごく好きだなと思った。すごく遠回しなわけじゃなくてはっきり言ってるんだけど、それは感情はむき出しじゃなくて、生々しくあけすけでもウィットがある形で言う。そっちのほうが自分には合ってるんじゃないかなって」

――わかります。直情的な言葉ってときに雑だったりするし、それゆえに実は本来の気持ちから逸れて行ったりする面もあると思います。

「ちょっと話がずれるかもしれないんですけど、自分も他者も、感情が未処理のままだと、一般的な事象に怒ってるような発言をしても、やはり特定の人への怒りが透けて見えることがあるんです。特定の人への怒りや悲しみは、やっぱりその人にぶつけるべきであって、それは私にとってはまだ作品にはなりえない。自分で向き合うなり、相手と対峙するなりしたあとになって、やっと俯瞰して見られるというか、まじりけなく生々しい言葉にできる。私個人はそうかもしれないです。なので、少なくとも私はまだ自分のなかで処理が終わってないものは、表には出てこない」

――とすれば、Zen101さんの歌う言葉やテーマは変化してきそうですね。次はどんなことを歌うのでしょうか?

「そうですね。もうちょっとつっこんだというか、さっき話していたみたいな女性なのか女性じゃないのかという自分の経験した葛藤なども、さらに言葉にして表現していきたいなと思っています」


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