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加藤元浩「Q.E.D.iff -証明終了-(17) トロッコ問題」二者択一の問い、それ自体を問う

KKV Neighborhood #82 Comic Review - 2021.04.07
加藤元浩「Q.E.D.iff -証明終了-(17) トロッコ問題」(講談社)
review by カジュアルにおう吐

あんた達はトロッコ問題を知っているか?/有名な問題だよ/ブレーキの壊れた列車が向かってきていて、その先では右手の線路に1人/左手に5人の作業員がいる/はたしてどちらを助けるべきか?/せめて犠牲者は1人のほうがいいと思わないか?(Q.E.D.iff -証明終了-(17)、P135-136)

「Q.E.D. -証明終了-」は、MIT卒の天才少年、燈馬想と彼のクラスメイト、水原可奈が主人公のミステリ漫画シリーズ。本作は、形式科学や自然科学、人文科学で扱われる命題や最新の知見を作中の謎や人間ドラマに織りこむ精緻なストーリーテリングを特徴としている。本稿で紹介するエピソード〈トロッコ問題〉は、功利主義と倫理的ジレンマの対立を扱うことで有名な思考実験をモチーフにしたもので、そのあらすじはこのようなものである。

燈馬と水原は、働きながら進学を目指す石狩アユと出会う。彼女は水産会社の元社長、久慈睦五郎の非嫡出子で、認知はないながらも久慈家から支援を受け暮らしていた。しかし彼が事故で消息不明となって以降支援は途絶える。さらに睦五郎の死亡が確定し遺産相続が発生する直前、久慈家はアユと睦五郎の血縁関係が証明できないことを理由に遺産協議を拒否。アユの進学は暗礁に乗り上げる。水原とアユは血縁関係を証明すべく奮闘するが……。

睦五郎の消息が主題に思えるエピソードだが、久慈家の相続争いは探偵=燈馬の介入を待たず解決する。それでは、本作において右手の線路に1人/左手に5人の作業員とは一体誰のことを指しているのだろうか。

アユの苦境を解決すべく奔走する水原に、睦五郎の実子たちは、久慈家とアユの双方が遺産を相続した場合、全員の生活の安定が保障されないことを示唆し、久慈家の長兄は冒頭引用のようにトロッコ問題を引き合いにして、二者択一の選択がせまられていることをほのめかす。

ゆえに、本作の謎≒読者への挑戦状は、二者択一の回答を選択させる解決困難な問題に対して、われわれはどのように応答すべきか?を問うものだ。

トロッコ問題は少数を犠牲にするのが「答え」って話ではないはずです/本来は別の示唆を与えるための入門となる問いだと思うんですが
(Q.E.D.iff -証明終了-(17)、P137)

そして燈馬はこう論じ返した。彼が〈トロッコ問題〉をどのように解釈し、真相に至ったか。あらすじ〜ネタバレを追っただけでは、相続法をハックしただけではないかと賛否が分かれるように思える真相ゆえ、奇妙な相続トラブルに隠された献身の内実はぜひ一読のうえ判断してほしい。

そして、そういう留保をさしおいても、本作の解決編にあたるページは素晴らしい。

トロッコ問題を用いて「4つの署名」と「アクロイド殺し」を翻案したような本作において、〈ブレーキの壊れた列車〉と〈線路〉が何を意味し、〈右手に1人、左手に5人〉いる作業員とは、〈犠牲者〉とは誰のことを指していたのか。燈馬が語る真相を受け、前を向き歩むアユと彼女の家族が描かれる最後のコマを目にした時、アユ1人の将来を犠牲にしたうえで久慈家の繁栄を望むかのような、冒頭の残酷なほのめかしの意味は見事に逆転する。そしてわれわれは彼女たちの未来を想い、黄昏に飛び立つミネルヴァの梟を見い出すだろう。

解決不可能に見える困難の解決が二者択一に見えるとき“問いのたて方に錯誤がある”と考えるべきなのは、その通りだろう。しかし平時にはそのようにできても、ブレーキの壊れた列車が迫る緊急事態下で問いの次数を繰り上げることはきっと難しい。だからこそ、それゆえ、トロッコ問題に潜むWHO,HOW,WHY (done it?) を推理し、ひとつの解決に辿り着いた本作はあざやかにわれわれの胸を打つ。

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