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15.自分の知らないことを知る

名画座支配人の大澤です。いままで2つのドリルを発表してきましたが現在第3弾として「ハピネスジャーニー」というタイトルの本の執筆をしています。以前の2作は小説形式のドリルでしたが、今回はドリル形式の小説にしたいと思っています。3作目ともなれば筆もスラスラと進むかと思っていたところ、今まで以上の生みの苦しみで1週間に1ページ書ければいい方で何日も書けない日が続いています。10月発刊を目標に執筆していますが、その予定も守れるかかなり怪しい状況なので気負わずに進んでは立ち止まり良いものを創り出したいと思います。

前置きが長くなりましたが今回のタイトルは「自分の知らないことを知る」です。(#8でも「知らないことを知る」について触れています。)サラリーマンを辞め、自分で名画座を始めてから2年になりますが、会社勤めの時はお会いすることがなかった人々との出会いや体験をすることで改めて「知らないことの方が世の中多い」という言うのが私の実感です。

人は年を取るといろいろなことが分かった気になります。それはただ単に自分の周りの世界が狭まり、変化のあまりない環境の中にいると物事をすべて分かったような錯覚に陥るだけなのかもしれません。映画についてもそれは言えます。私が名画座を始める前はかなりの映画を観てきたと自負がありました。いわゆるメジャーと言われる作品からカルトと言われる作品までを学生時代から見続けていたからです。しかし、今のビジネスを始めることで改めて自分の知っている映画の世界はほんの一握りの分野でしかないと痛感させられました。それまで観たことのなかった北欧や中東の映画を観る機会が増えると、自分の知らない映画が本当に多いものだなと感じます。過去、あまり興味のなかったアニメ映画にも素晴らしい作品があり、アニメ映画に対する概念も名画座を始めてからだいぶ変わりました。(個人的にはフランスのアニメ映画がストーリー展開、登場人物の不思議な魅力で私の最近のお気に入りです。)

人は知らないことに触れると二通りの反応を示します。一つは驚き、もう一つは拒絶です。恐らくこの中間の気になるけど無視してしまう、ということもあるかもしれません。この知らないことを知るということのもう一つの側面は「知ったことが自分の発見だ」と錯覚することです。自分が今まで知らなかったことは実は誰かが知ってることでもあり、大昔の人が知っていることでもあります。人類の歴史上で初めて自分だけが知るという事柄はほとんどないと思います。音楽でもたまに同じメロディーのものが創作されると盗作ではと話題になりますが、意図的な盗作は除いて、「あっこれだ」と思ったものが偶然他の作品と似かようことはあると私は思います。どこかで耳にした旋律が自分にとって初めて知るものであれば「これは私が発見した旋律だ」と錯覚することに不思議はないと思います。盗作の意図はなくても同じものが出来上がってしまう。これは「知らないことを知る」ことを「自分が見つけた」と良い意味で錯覚してしまうことに他ならないからだと思います。

人によってはこれを「オリジナルでない」と一刀両断に断じてしまうかもしれませんが、私は別の見方をしています。「自分のものだ」と思えればそれは自分の血となり肉となってよりクリエイティビティを発揮するきっかけになると思うからです。人は不思議なもので内発的に気が付いたことや動機付けられたことに力を注ぐ傾向があります。それが他人の作品や言葉に啓発されたとしても自分にとってはオリジナルと感じられるからだと思います。そうなるには「自分が知らないことを知った」という実感が重要です。この感覚が先ほど以来述べてきた良い錯覚を生むからです。

「ブリコラージュ」という表現があります。これはあるものを寄せ集めるというフランス語ですが、芸術の世界や情報技術分野の世界では認められた方法です。誰も知らないことを探し回るより、「自分が知らないことを知る」、ことの方が私は有意義なものをもたらしてくれると思っています。

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