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10.真・善・美、そして愛

名画座支配人の大澤です。

今日は昔、私にもの凄いインパクトを与えた映画のお話をしたいと思います。その映画のタイトルは「チョコレートドーナツ」(原題は「Any Day Now」)。

この映画に登場する主人公たち(ゲイのカップルとダウン症の男の子)は我々が勝手に普通と思っている世界において異質と捉えられている人たちです。物語はそんな人たちの生きざまを強烈に描き出しています。時代は1960-70年代。2021年を生きている我々にとっては想像もできないくらい差別的であり、異質な人々に対して悪意に満ちた時代です。(もしかしたら今もそうなのかもしれませんが)従って主人公たちは異質というよりもこの世に存在すること自体を否定されているような雰囲気の中で生きています。

私はこの映画を観て、主人公たちの中に「真・善・美」を感じました。全編にわたり社会の持つ矛盾や人間の心の奥底に潜む偏見というものが嫌というほど主人公たちに降り注ぎます。しかし彼らの周りに漂っているものは終始「真・善・美」です。人はこの世に生まれた時点で、意識することなく「真・善・美」を持ち合わせています。ところがその生まれ出でた世界は「真・善・美」が歪められて「偽・悪・醜」が蔓延っています。何故、歪められているのか?私にはその理由がはっきり分かりませんが、「真・善・美」の反対である「偽・悪・醜」という一見相反する世界に我々が住んでいると実感できていないのかもしれません。「真・善・美」と「偽・悪・醜」は「生と死」のように様相は相反しているものの、一体のものです。何がこの差を生み出すのか?映画を観続けていると段々とその理由がわかってきます。それは「愛」の存在です。人は「愛」を持っている時に「真・善・美」を実感でき、それをなくすことで「偽・悪・醜」に変わってしまうのです。

ここからは全くの私見です。この転換が何故愛の存在に起因するのか?それは自己欺瞞だと思います。男の子が実の母の家を出て、主人公のゲイカップルの家を探して彷徨う中で亡くなってしまったことを主人公の手紙で知る裁判官、判事などの関係者の表情からそれが読み取れます。彼らも心のどこかで主人公たちの行動(ダウン症の男の子の養育権を勝ち取ること)を認めていたのではないでしょうか?それを法律、慣習、そして先入観より己の感情を裏切り、自己欺瞞に陥っていたのではないかと私は考えます。自己欺瞞は自己正当化を生み、そして他者に対する愛を失います。愛を失った瞬間、「真・善・美」という人間固有の特性を手放してしまうのです。手放したあとに残るものは「真・善・美」の裏側にある「偽・悪・醜」です。

この世は全てのことに2つの側面がありますが、本来は一つのものです。愛が憎しみに変わることさえあります。自己欺瞞が愛を手放すのです。自分自身を裏切ることがすべての始まりです。己を欺くことなく、世の中の慣習を乗り越え、己の本質に従うことが愛を育み、そしてこの世を「真・善・美」の世界に塗り替えてくれるはず、そんな強い気持ちを与えてくれる映画ですので機会があれば是非この映画を観て「真・善・美、そして愛」について考えてみて欲しいなと思います。

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