見出し画像

4.沈黙の再考

名画座支配人の大澤です。

今日昼間、田所さんとよく語り合ったバー「暖炉」の前に行きました。このバーの路地は本当に狭く、周りはほとんど個人のお宅です。現在は緊急事態宣言発令中のため、お店のドアには3月7日までお休みとの貼り紙が…

私は名画座をやっている関係で、映画にちなんだお酒(カクテル)を飲むことが多く、「暖炉」では田所さんとゴッドファーザーやフレンチコネクションをよく飲みました。最近は田所さんと飲む機会も無くなってしまい、少し寂しい思いをしていますが、彼の時間が取れたらまた「暖炉」で一緒に飲みたいと思っています。

暖炉

話は変わりますが、今日は「沈黙」について、改めて考えることがありました。私が人生のどん底に居た時、温かく見守ってくれた方と東京駅近くにあるホテルのラウンジで話をしていた時のことです。突然「沈黙」のことを思い出したのです。

私は何年も前に仕事の関係で京都にいました。仕事は忙しく、また家庭の問題を抱えていた私は段々と精神をおかしくして、どうしようもない状況になっていきました。そしてある日、田所さんが通勤電車を降りて下りの電車に飛び乗ってしまった時と同じように、無意識で新幹線に飛び乗るとそのまま東京に戻ってきてしまったのです。富士山が見える頃、ふと我に返った私はその方に電話をしました。

「今日、泊めてくれますか?」

今思うとあまりにも身勝手、そして無礼な連絡をしてしまったものだと恥ずかしく思います。私の電話にその方は何も聞かず、「いいよ」と言ってくれました。そして、私は会社に事情説明の連絡を入れ、その方のお宅で1か月ほど通院しながら何もせずに本当にぼーっと過ごしていました。1か月を過ぎた頃、もうこれ以上はご迷惑をかけるわけにはいかないと思ったものの、どうしても自宅には帰れない事情があり、何年ぶりかで実家に戻ったのです。

何年かしてその方に、

「あの時、何故理由を聞かなかったのですか?」

と質問した私にその方は、

「しんどい時、何を言われてもしょうがないだろ」

私はこの言葉を聞いた時、ものすごい衝撃を受けました。そして涙がとめどもなく溢れてきました。確かにあの時いろいろと訊かれ、何か言われていたら私は間違いなくどうにかなってしまったと思います。でもその方は沈黙で私を守ってくれたのです。

田所さんが人生の迷い道に足を踏み入れ、私の名画座に辿り着いた時、私はこの体験を思い出していました。彼が憔悴しきって聴き取れないくらいの声で話をしたり、怒りをもって声を荒げるのを私自身がその方にしてもらったように沈黙で守りたいと思っていました。沈黙は無ではありません。沈黙している最中の頭の中はものすごい勢いで想像や予測の計算をし始めます。そしてつい何かを言いたくなります。でもそんな時に口から出てくる言葉は相手にとってなんの役にもたちませんし、時には凶器にさえなります。相手の言葉や態度を沈黙という大きな手で受け止めることが弱っている人にとってどれほど大切か、私はあの時学んだのです。

今日もその方は私の仕事の愚痴や悩みを聴きながら無言で頷いてくれていました。解釈もアドバイスもない、「沈黙」が人を包み込み、そして守ってくれることを再認識した日でした。

沈黙

Photo: Nagamitsu Endo

よろしければ温かいご支援なにとぞよろしくお願いします。「自由」「創造」「変化」をキーワードに幅広く活動を行っています。