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怪作 - アニメ『グラスリップ』感想


P.A.WORKSファンかつ青春群像アニメファンとして(あとnano.RIPEファンとして)観ておきたいと思っていたアニメ『グラスリップ』(全13話, 2014年夏放送)をニコ動dアニメストアでようやく観た。

以下、1話毎の視聴後感想メモのコピペ。

当然ネタバレ注意。何も知らない状態で観るのがいちばん面白いアニメなので未視聴勢はよく考えて下さい。

全話視聴後の補足コメントをこのように灰色で書く



#1「花火」
1話で既にヤバい…不安しかない

脚本も演出も変に間延びしているというか、テンポが悪過ぎるし結局何の話なのかまだわからない。逆にリアルかも?

海辺の田舎町の背景美術だけはマジで素晴らしい。スクショがはかどる

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カミュとかフッサールとか出てきたけど哲学をこのノリでやるつもりなのか

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転校生の男が古き悪きエロゲ主人公のようでキツい。Airの国崎みたいな…

静止画やデフォルメをちょくちょく入れる演出はなんなんだ。作画コスト削減?


#2「ベンチ」
もうキツい
男女恋愛三角関係好きの自分でも全く響かない……
アニメ版『打ち上げ花火、上から見るか下から見るか』のような駄作/怪作臭がする


#3「ポリタンク」
姉ちゃんの車体の傷とかラッキースケベでお前が叫ぶのか……とか、幾つか笑いどころがあってちょっと面白かった。静止画もコメディシーンのオチで使うなら良い。

部外者の癖に偉そうな主人公が出なければそこそこ面白い説

美術はマジで素晴らしい。
美術だけで他の要素がクソでも観続けられるかチキンレースみたいなとこある。



#4「坂道」
引きおかしいだろww

カケルは浅野いにお『うみべの女の子』の男子みたいな家庭環境。こいつが映ってる時いちいちクラシックかかるの笑える

謎静止画を、アニメーションの原始的な姿への解体みたいになんとか解釈出来ないかな。未来視とうまく繋げて

あと画面の周りにフレアのような光の加工がところどころかかってる演出もなんなんだ

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↑このように回想シーンでもないのに常に画面縁に白いモヤのようなものがある



#5「日乃出橋」
シティーハンターのような止め絵ED入り

やなゆきは連れ子姉弟だったのね

やはり光・照明の表現に特徴があり、それが作品の根幹に関わっている

1話の花火、透子のガラス細工(眩しく光る高熱炉)、やなぎの日傘、海沿いの地理設定、ブラーがかった静止画、そして未来視……

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ブラーがかった静止画(※調べたらこの斜線みたいな光の効果はブラーではありませんでしたが正確な名称が分からないので特に修正せず本note中ではブラーでいきます)

室内のシーンでも、光や光源がとても強調されている。

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室内でもこの縁の白さ

外の木漏れ日はまさにブラーのように筋っぽく描かれている。

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ブラー(ブラーではない)っぽい木漏れ日。普通のアニメなら、まぁありふれた木漏れ日の描写ってことで済ませられるが、木漏れ日でもないのにこれに似た止め画を多用してくる本作では違った意味を持ち始める。

「光」のアニメ
アニメーションにおける光とは何かを追求した作品ではないか

あと、こいつらの学校生活が全く描かれないのが気になる。夏休み中だっけ?

光と静止画を繋ぐのがブラー効果であるとするならば……うーむ……これは考える甲斐がありそうだ

光に注目すれば、やなぎの告白シーンでユキに日傘をさしている描写にグッとくる。

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グッとくるシーン。夕方でわざわざ相手の上に傘をさしてあげる意味が薄いにも関わらず、光の演出が特徴的な本作だからこそこの行為に奥行きが生まれている

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光と影をどう解釈すべきか……
陰=室内 というか、1つの空間を作る作用がある?

あぁ、タイトル、あの橋は日乃出橋というのか……

というか町の名前自体が日乃出浜でしたね



#6「パンチ」
なんだこれ……難解だな

駆が気持ち悪過ぎる
でもまぁ「欠けている」自分を完全な形にしてくれる透子を求めてるという行動原理はわかった。5人の仲を壊したくない想いもあって葛藤していると。

未来視能力が結局どういうものかまだ分からないので判断を保留せざるを得ないが、現時点では不思議な力の運命で結ばれた男女が出会って結ばれる予定調和の話である。それに片方の友達が巻き込まれてるだけ。


#7「自転車」
なんだこれ……水着自転車クソワロタ

病院でのコウとユウの静止画演出マジで謎

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この静止画の状態で20秒くらい2人の会話がボイスドラマか紙芝居のように続いた

コメディなのかサイコホラーなのか…

そういや未来のカケラ、透子ひとりでは姿だけを、駆ひとりでは声だけを予知する仕組みなんだな
透子はデッサン、駆は母のピアノって事で視覚と聴覚に振り分けられている

なんか終わり方が謎なの、単話ごとの区切りを一切気にせずに、とりあえず連続したストーリーを作っておいて20分ごとに時間が来たら切るって感じなのかと思うほど、1話ごとのまとまりがない

現実は20分ごとに切り良くまとまらずに地続きであることの体現?



#8「雪」
いやぁ…深夜アニメというより、海外古典文学みたいな雰囲気。
パヴェーゼかサガンかラディゲ辺りのヨーロッパ恋愛小説。
カミュではないかな…不条理ってそういうことじゃないし……
幻視という意味ではエリクソンかもしれんけど。
会話がリアルに噛み合ってない感じはデリーロっぽい

青春アニメの感想とは思えないほど海外作家の名が例に挙がる

普通の深夜青春アニメとは目指しているところが違いすぎてこりゃあ評価されんわ。2chのSSスレにソレルスの小説を連投してる感じ
作品のリアリティレベルやモードが違いすぎてギャグとしか思えない
全裸徘徊とか伝説でしょ

※女子高生の全裸徘徊シーンはセンシティブなので載せられません。自分で観て下さい

真夏に雪を幻視するシーンはかなり美しかったが、駆が怖すぎた。

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「画」として普通に綺麗な場面がわりとあるんですよね。ここは特に真夏なのに雪を幻視するという背景の文脈まで美しいシーン

美術が良くて光の調整に凝ってるぶんサイコホラーとしても優秀になる



#9「月」
やなゆきの関係は好き

場面転換がめちゃくちゃ多い

あと背景のみの画面で止めてるってことはそもそも止め絵じゃなくてブラー効果が本質?

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↑びっくりしたシーン。これまで、ブラー(ではない)加工した静止画演出は、あくまで人物が映っているときに行っていました。つまり、動いていたキャラがピタッと止まって「なぜここで止めるwww」と笑っていました。しかし、このシーンでは1枚目でキャラが画面から消えた後に、背景美術だけの画で「止め絵」をやっているのです。もともと背景は止まっているにも関わらず「止め絵」だと認識(錯覚)したのは、ブラー加工演出が入ったからです。つまり、静止画演出とブラー演出はほんらい独立しているのに、本作では常に一緒に2つの演出が用いられていたために、片方(ブラー演出)をやっただけで、もう片方(静止画演出)も起こっていると視聴者は錯覚してしまうのです。「静止画を止める」という論理的に破綻した演出を実現するという偉業がここでは達成されています。
なお、なぜこのような偉業をやったのかは全くの謎です。偉業の時点でやる価値はあるのかもしれませんが。



#10「ジョナサン」
マジで難しい。つまらないというより理解が追いつかない。結構面白そうなんだけどな……

10話まで観て「結構面白そうなんだけどな……」という意味不明な感想を抱かせるアニメ

あと、今更だけど、こいつら仲良しグループの割に、登山以降ほとんど全員が集まること無くないか?
こういう群像劇でそれって非常に珍しいと思うんだけど

「全員が集まれない」のはプロット上の重要な点ですね。気付くのが遅い

「唐突な当たり前の孤独」出てきた

駆は転勤族で故郷と呼べる土地が無く、その意味でもこの土地で生まれ育った透子に憧れて依存してるんだな
素晴らしい美術が大量に映るのも、「場所」についてのアニメだからなのか

ここで、「光」を軸に考えるのとは別に、「場所」を軸に考える着想を得ています。「背景美術だけは良いアニメ」から「背景美術が良いことがストーリー上でも重要な要素になっているアニメ」へと昇華させようと頑張っています。

やなゆきホント良かった。通称のアニメよりリアル寄りな分、義理の兄妹という微妙な関係の機微をうまく表現できてる

珍しくアイキャッチ前の理解できる静止画の使い方でワロタ

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常人が理解できる静止画演出に安心して爆笑するコメントがマジで面白い。(基本コメ無しで観てますが、コメントが面白そうな場面ではONにします)



#11「ピアノ」

よくわからないが画は綺麗だった

凪あすのウミウシネタびっくりした。前話の下校中のJC2人もみうなさゆペアか
凪あすより後の作品なんだな……

凪あすの次の次のクールの作品だそうで、リアタイしたPAファンの阿鼻叫喚を想像すると面白いですね。

なんやかんや男女ペア3組でそれぞれ固まっていい感じになってはいる。しかも、どこも全然安直な恋愛関係じゃないのが良い。良いんだけど訳がわからないペアが2組ほどいますね……幸ちゃんはなんなんだ

義理姉弟ペアだけが希望になっています



#12「花火(再び)」
いやぁ〜〜凄い回だった。エヴァTV版のラスト2話みたいな感じ。

夏と冬、透子と駆の反転世界だと認識してそういうことか!!!なるほど!!!
と一瞬わかった気がしたが、やっぱり全然わからなかった
夢オチなのか、並行世界なのか……

どれくらいわからないかというと、重力の虹でスロースロップがゾーン中に散逸したのくらい意味がわからない

キャラクターの基本設定をシャッフルする事で彼女らにとっての現実を相対化する、記号としてのキャラクターを突き詰めた面白い取り組みだと思ったんだけどな……駆と透子の物語にとっても有意義だし。

途中のワイプ演出はクソワロタ。天才だろ

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伝説のシーンです。「動画編集の練習みたい」は草



#13「流星」
終わったーーーー!!!
いや〜、必要な情報は揃っている気がするんだけど自分の読解力が足りなくて答えが出せない感じ。もどかしい。
少なくとも、味のしないガムではない。味がありすぎて美味しいとも不味いとも判断できないだけ。観てよかった

・ラストEDでこれまでの静止画集なの意味深

・アニメ→止め絵ではなく、静止画から動くのって最後の校門での透子見返りと、1話の駆と透子が祭りですれ違うシーンのみ?だとしたら意味深

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最終話の激アツシーンその1。これまでは、通常の動いている画が止まってブラーがかかる演出が通例化していましたが、最後の最後でその逆、ブラー静止画からブラーが解けてキャラが「動き出す」シーン。「止め絵」の「その先」が遂に見れたのです。ここマジで「うおおおおお」となりました。このアニメで盛り上がれるのはこういう方法しかないように思われます。

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最終話と対を成すのが、おそらく最初に止め絵演出が使われた1話のこのシーン。ここも、止め絵ブラーから通常のタッチになって動き出します。初見では奇天烈な演出すぎて引きましたが、最後まで観ることでこのように美しい構造であることが理解できる仕掛けだったんですね。
最初と最後の静止画演出がこのように特殊であることから、このアニメにおける「静止画」とは何か、内容と絡めてうまく位置づけられそうな気がする……ラストEDが歴代静止画集だった点も鑑みて。う〜もどかしい・・・

・太陽の光を見上げるシーン、そういう事なんだよな。これだけ光にこだわってきて、最後の最後に太陽そのものを出すの完璧

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最終話の激アツシーンその2。グラスリップは「光」のアニメであることに数話で気付きましたが、それ以降はこの線で上手い解釈が出来ず停滞気味でした。しかし、最後の最後で、これまであらゆるシーン、あらゆる画面において存在感を発揮しながらも、直接的には画面に映し出されなかった「それ」が、満を持して堂々と登場するのです。これで盛り上がらずしてどうしましょうか。繰り返しますが、このアニメで盛り上がるにはこうしたやり方しかないように思われます。
あと今気づいたんですが、太陽と対になる「月」も途中の話数で取り上げられてましたね。太陽の光による地球の影が云々とか言ってたな。やっぱり考察材料はいくらでもあるんだよな〜少なくともエヴァよりはこっちの考察のほうが私は楽しいです。

・結局あの未来のカケラは思春期症候的なやつだったのか

・幸ちゃんもカケラ見えていたような仄めかしがあった気がするけど結局どうなったんだ

・丘でビー玉投げる前の会話いろいろ重要そうだったけど忘れた

・ブラー風静止画は透子のデッサンというメタ解釈出来ないかな

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透子のスケッチ(クロッキー)の画風はこんな感じ。これと、あの静止画ブラー(ではない)が類似している点からゴリ押しして何か言えないかなーと考えはするけど、この方向性はちょっと陳腐だとも思う。

・喫茶カゼマチに集まる4人、透子を呼ぼうとするも「偶然に集まりたい」と言い出す
・あの花火大会の日、駆くんが見えたのは偶然なんかじゃない。見たいと思ったから見えた

最終話で「偶然」が突如としてキーワードに。

その後の「これって同じ意味?」「違うつもりで言ったのなら違うんじゃないかな」もおもろい。

事実確認的な次元ではなく、どういうつもりでそれを発話したかによって決まる→意志・動機の称揚…は、上の偶然否定にも繋がるか




<まとめ>

ということで、不評の嵐で伝説と化していることだけは知っていた『グラスリップ』をやっと観れた。アニメオタクとしてまた1つ成長してしまった・・・

上で書いたが、観てよかったと心から思う。すごいアニメを観てしまったという興奮で胸がいっぱいだ。ただし、普通のアニメを期待して観ると、エンタメ的な意味ではほとんど面白くないのは確かだ。(シュールギャグアニメとしてはかなり面白い。コメントがあると更に楽しめるだろう)

普通の青春アニメとして好きだったのは やなぎ×ゆきなり の義理姉弟ペアだけだ。主人公ペアは異次元の方向に突っ走っているし、唯一の良心と言われていたヒロと幸ちゃんのペアはなぁなぁでくっついてる感が微妙だ。(そこが良い説もある)

娯楽作品・エンタメ作品ではなく芸術を目指して作ったとしか思えない。少なくとも、わたしは芸術作品としての鑑賞態度に切り替えてから、そこそこ面白い要素を見出すことができた。

『グラスリップ』は単なる駄作ではなく、途中で万策尽きているわけでもなく、本気でヤバい作品を作ろうとして出来上がった、純粋培養の怪作であるとわたしは考える。制作陣が実際はどういうつもりで作ったのかは知ったこっちゃなく、私にとってはそういう作品だった。壮大な実験作であり、よくある青春アニメを求めて視聴したオタクがついてこれないのは当たり前だ。ラノベだと思って『ユリシーズ』を読み始めるようなものである。(ユリシーズは本作にも登場していた)

じゃあ自分はこのアニメについていけたかと言えば全然そんなことはなく、自分の理解力の無さが悔しい。もっと目が肥えていれば、本作はいくらでも傑作になると思う。2周目を観ればわりと楽しいのかもしれないが、そこまでのモチベは無い。

1周しての感想は上に書いた通りであるが、もう一度まとめておく。

『グラスリップ』は第一に、アニメにおける「光」について掘り下げた作品である。過剰過ぎるほどに各シーンでの光の当たり方を描写することで、常に作品が白昼夢のようなトーンを帯びることになり、それが「ひと夏のボーイミーツガール」という叙情的な設定および「未来のカケラが見える/聞こえる」というファンタジックな設定を画面作りのレベルから支えている。主人公・透子のガラス工芸という家業や、印象的な花火というモチーフなど、細部にわたって「光」という中心命題へ奉仕する設定・描写が重ねられ、作品の完成度に貢献している。

第二に、『グラスリップ』はアニメにおける「場所」について掘り下げた作品である。「故郷」について対照的なバックグラウンドを持つ男女2人が互いに自分の欠けている部分を補い合うために惹かれ合うという設定が、問題の回、12話によって更に深みを帯びた。

私はアニメの背景美術が好きで良いと感じた画面はスクショをしているが、本作ではなんと、700枚以上スクショしていた。背景作画に定評のあるP.A.の中でもトップクラスに綺麗で見応えのある美術・空間設計であったように思う。舞台となった福井県坂井市三国町にもぜひ聖地巡礼をしたい。

『ちはやふる』の綿谷新の故郷、あわら市の隣なんだ……一石二鳥じゃん。

第三に、青春群像モノとしては、もちろん通常の意味での評価は難しいが、それでも評価できるポイントはある。本作の特徴は、わりと早い段階で男女のペアが3組固定されたのにも関わらず、どのペアも最後まで決定的な恋愛関係に至ることなく終わった点である。

主人公ペアはキスをしているが、最終的には離れ離れになる。幸×ヒロは最後まで恋愛描写が一切なく、そもそもはじめ同性の透子に執着していた幸が自身の想いにどのように折り合いを付けたのか(あるいは付けていないのか)明示的に描写されることは無かった。このぼかし方はとても好みだ。いちばん良かった義理姉弟ペアも、やはり恋愛関係を取り結んだ様子はなく、家族として、互いに大切な存在として、多義的で解釈の余地のある、非常に上品な描写に終始していた。

単に「最後まで安直に恋愛関係にならなかったのが良い」のではない。わたしは男女恋愛群像アニメオタクであり、推しCPの成就や推しキャラの"良い"失恋シーンを求めてアニメを観ている。しかし、こと本作においては、そもそも全体的に非常に難解であり、〈未来のカケラ〉というファンタジー要素の説明も少ないなかで、人物間の関係を曖昧な形のままで物語を結ぶ方針は作品のトーンにきわめてよく合致していた。本当に絶妙な塩梅なのだ。(特に やな×ゆき は。)紛れもない恋愛劇でありながら、恋愛劇を乗り越えている──これは恋なんかじゃない、という苦し紛れの言い訳ではなく──恋愛にしろ何にしろ、その描かれ方、描かないし方が他の恋愛アニメでは見られない独特な境地に達していたように思う。

なんだか褒めすぎな気もするが、まぁいいだろう。普通に観たらマジでわけわからない作品であることは再三言っておく。


何が嬉しいって、こんな怪作が、他のジャンルと比べて保守的な青春恋愛モノというジャンルから生まれたことである。魔法少女モノとか、バトルものとか、異世界転生モノとか、他のジャンルであれば割とジャンルの鉄則や不文律を換骨奪胎する挑戦的な作品が定期的に生み出されているように思える(偏見だ)が、恋愛モノ、それもラブコメやハーレムものではなく、もう少しリアル寄りの青春群像劇というジャンルでは、ジャンルにアンチテーゼを突きつける挑戦作よりも、手堅く質の高いものが求められる傾向にあると思っている。(証拠は皆無だ。私の印象論である)そんな中に、このようなわけのわからない作品が存在することが、ジャンルのファンとしてはとても嬉しい。これからも、数は多くなくていいから、時々はこうした意欲作が生れてほしいと勝手ながら思う。

また、よりにもよってP.A.WORKSがこれを作ったというのも衝撃的だ。多くのPAファンも困惑したらしいが、無難に質の高い青春アニメを作るイメージのあるこの制作会社から、このような怪作が出てくるのはなんとも面白い。こんな作品を放送して叩かれるのは当然だが、非難に負けずにこれからも(数年に一度でいいので)意欲的な作品を手掛けてみてほしい。

監督の西村純二さんってP.A.では『true tears』の方なのか。確かにそう言われれば、福井が舞台だし、画の雰囲気が全体的に似ているな。脚本はマリーじゃないので全然違うけど。(西村氏は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の演出も務めた方らしい。未視聴なので何も言えないが、実験的・挑戦的な作品をやることも不思議ではない人事なのかもしれない。)



というわけで、『グラスリップ』は決して娯楽的な意味で面白いわけではないが、青春群像アニメとしてなかなかお目にかかれない意欲的な怪作であり、いちど観る価値はあった。と言っても、「クソつまんねぇじゃねえか!」と文句を言われても困るので他人には薦めないが……

自分よりレベルの高いアニメオタクの感想はぜひとも知りたい。



P.S.

こちらのブログ記事の最後にある「グラスリップ展」のボード写真によると、わたしが上でブラーと呼んでいたものはどうやら「ハーモニー処理」らしい?

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上記ブログ記事より引用

しかし、「キャラ素材を背景と同様の質感にレタッチ」する技法がハーモニー処理であり、木漏れ日のような光を入れる具体的なレタッチの手法にはまた個別の名称があるように思われる。



この記事良かったです。短評ですが。

細田守の『時かけ』および『おジャ魔女』だという指摘、たしかにそうだ!!まんまガラス工房やん!!!(最近おジャ魔女細田演出回だけツマミ観した人)

同筆者のnote



すごい解説記事を見つけました。3万5000字を越える分量で『グラスリップ』の設定や人物に纏わる構造を鮮やかな手付きで解きほぐしています。まるで『嵐が丘』かなにかを分析批評しているかのような筆致です。「観る人がみれば大傑作なのではないか」というのは間違っていなかったのだな……と愕然としました。一度観たくらいでは私は何もこのアニメのことをわかっていなかった。(この人は50回ほど観たそうです)

特に後編、透子の母親や父親の単なるギャグ描写だとばかり思っていた言動までも作品の根幹に関わるものとして分析していくくだりは圧巻です。「デート前に若冲の画を描いてた」という台詞がそんな重要だったなんて……

「光」にわたしは注目していましたが、この方は「窓」や「影」が重要なモチーフだと解説します。やなぎの日傘もそういうことか〜となりました。惜しいところまではいってたんですけどね。

幸の部屋の大きな窓についての分析もありますが、これを読んで、幸の部屋に上がりこんでいたヒロが、訪ねてきた透子にバレないようこっそり間男のようにその「窓」から地上に降りて脱出するギャグっぽい描写もキレイに解釈できると思いました。すなわち、幸にとっては外の世界と自分の閉じた世界(部屋)を仕切り、断絶させる象徴だった「窓」が、ヒロによって「そこから外の世界へと抜け出していくことのできる出発口」にも見なせると、意味が塗り替えられたのです。このように、幸のコンプレックスを持ち前の明るさと行動力で見事にポジティブなものへと塗り替えていくヒロに、幸が次第に惹かれていくのは当然のことだと言えるでしょう。

また、これだけ完璧に思える分析記事の存在は、逆に、まだそこで検討されていないフロンティアには大きな価値があるということも意味します。それでいうと、「場所」「地理性」についてのアニメとしては更に掘り下げられると感じました。「山と海」について分析する記事はありましたが、それを人物のメタファーとするに留まらず、実際に作中で描かれる場所、空間のレベルで適用し敷衍していくことを目指す余地はありそうです。「福井県坂井市」という地理設定に関しても、色々と面白いことが言えるのではないかと思いました。



同筆者のこの記事も必読です。『グラスリップ』はマジでメタアニメなんだな……と痛感しました。「未来のかけら」の作用によって透子=視覚、駆=聴覚 という振り分けがされているところまでは分かっていたのに、なぜ映像と音の差異が顕在化する装置としての「花火」に思い当たらなかったんだ……!と叫びました。

ハーモニー演出や、12話でのワイプ演出の意図も、笑って馬鹿にしてましたがむしろ自分がいちばん好きなタイプのやつとして理解できるのだと目を開かされました。

このブログを読んで思うのは、『グラスリップ』は恐ろしくメタファーまみれの作品であるということ。(あるいは、そのような作品として受容することでしか理解ができない作品であるということ。)こんだけ暗喩に暗喩を重ねて、説明を排していればそりゃあ「意味不明」の烙印を押されるわ!と、世間の評価に対する納得感はむしろ増しました。誰しも1つのアニメを50回繰り返し鑑賞するモチベがあるはずがありませんからね。

そして、ここまで作り込まれた作品であることを認めてもなお、やはり、脳死で見れる娯楽作品としてはほとんどの人にとってあまり面白いものではないことも事実であると感じます。

視聴者はなぜか駆が透子を啓発することを見逃してしまう。考えるに、啓発が恋愛につながる実感が視聴者になくてピンとこなかったのではないだろうか。その結果、駆が引っ掻き回す印象しか残らなかったのではないだろうか。
正直なところ、啓発が恋愛につながるという感覚は私にもない。

この記事では、『グラスリップ』が不評なのは「相手に啓発されることで主人公が恋愛感情を持つ」という描写をラブストーリーの中心に据えているからではないか、と主張します。これも説得的で、たしかに駆の啓発・啓蒙的な言動はわたしには「こいつ出会ったばかりの人に対してやけに偉そうでムカつくな」という悪印象しか抱けませんでした。「啓発が恋愛につながるのか」は興味深い議題です。

そして、グラスリップを多くのひとが楽しめない大きな要因の1つが、「キャラクターを好きになれない」ことだと思います。駆は言わずもがな、主人公たる透子もわたしはそんなに好きになれませんでした。

しかし、このブログを読み漁ったことにより、『グラスリップ』の最もたちの悪い点は、そうした「ストーリーや演出の難解さ」「キャラクターへの感情移入のしにくさ」は、本作のテーマ「ひとが他者を理解することの不可能性と、それでも何度失敗しようと理解しようと努めるシーシュポス的な生き方の称揚」をこの上なく的確に体現しているがゆえに、「必要な難解さ、感情移入のしにくさである。逆に理解が容易であればそれは作品の根本思想と矛盾してしまう。そんなの『グラスリップ』ではない」と言い訳ができてしまうところです。どれだけ理解が不可能のように思えても、何度も何度も、この人のように数十回も鑑賞するという修行僧のような(シーシュポスのような)経験を経て、ようやく「これでよし」と自らを、作品を肯定できるというわけですね。

つくづく、本作は大衆向けではないなぁと呆れます。そのような作品が存在することはどれだけ喜んでも足りないくらいですが。


とにかく、ここまで世間の評価と実態(1視聴者が提示する限りでの、というエクスキュースが常につきまといますが)が乖離しているアニメがあること自体驚きで、『グラスリップ』を観たことがよりいっそう得難い経験となりました。

また、他人の解説/考察を読んで「そういうことね」とわかった気になる態度もなるべく避けたいので、あまり鵜呑みにし過ぎず判断を保留しようと思います。と言っても、見返すほどのモチベは今のところありませんが……(それなら『true tears』を見返したいです。西村監督を研究したい)


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