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泥酔も素面も - 『スマッシュド 〜ケイトのアルコールライフ〜』感想



邦題が残念なことで知られる『人生はローリングストーン』という2015年公開の映画がある(原題は"The End of the Tour")。46歳で自殺した現代アメリカの伝説的作家デイヴィッド・フォスター・ウォレスへの5日間に渡る密着取材を基にしたこの映画が私は本当に好きだ。インタビュアーのリプスキーはウォレスに憧れながらも嫉妬する若手作家である。所謂「天才と秀才」モノであり、一種のプラトニックなボーイズ・ラブとしても観れるこの映画がなぜこんなに好きなのかと考えたら、いちばんの理由は「特に派手なアクションも奇想天外な展開もなく、静かに流れ去っていくから」だと思う。大きな音や暴力描写や目まぐるしいアクションや過激な感動展開といった「映画的」な要素が苦手な私は「こういう映画をもっと観たいなぁ」と思った。

「こういう映画」を観る手っ取り早い方法は、同じ監督の作品を漁ることだろう。そういう経緯で、James Ponsoldt監督の他の作品をプライムビデオで探し、この『スマッシュド -ケイトのアルコールライフ-』(2012年公開, 原題"Smashed")を300円でレンタルして観た。

わたしはアルコールをほとんど飲まない。実家に帰省したり何らかの特殊な食事の場で仕方なく飲んだりするのみで、1年に数回飲むか飲まないか程度。1人では一切手を出さない。単に飲みたいと思わないから飲まないだけで、自分が酒に強いのか弱いのかすら知らない。多くの大人がドストエフスキーを1冊も読まずに人生を終えるのと同じように、私は泥酔することなく人生を終えるだろう。(未来のことは分からないが。)嫌いなのではなく、興味がないだけだ。

したがって、正直にいえば、タイトルとあらすじを読んでもあまり興味が沸かなかった。それでも観たのは、プライムビデオで観れるPonsoldt監督の作品が全部で3つしか無く、"The End of the Tour"を除いた2つのうち、より多くの人に観られているらしい本作を選んだからに過ぎない。

この映画を一言でいえば「二日酔いしただけなのに」だ。題の通り、アルコールに溺れる女性ケイトの辿る一途が描かれる。観る前、「アル中の話かー……別に酒飲まないし、アル中をテーマにした映画なんてしょーもなさそうだなぁ……」と思っていた。しかしこうした私の考えは二重に間違っていた。

まず1つは、アルコール依存者の(そして我々の人生の)「しょうもなさ」こそがこの映画の核であったのだ。

主人公のケイトは二日酔いをしたことで職場でひとつの嘘をつく。これが彼女の人生を静かに、しかし決定的に狂わせる(その前から狂ってはいたのだが)。嘘で覆い隠した当の"真相"が二日酔いという「しょうもない」ことであるのが重要で、しょうもないことが"しょうもなくない"大層な重大事へと発展して収集がつかなくなること自体のしょうもなさを丁寧に描いていた。悲劇は常に滑稽さと隣合わせである。

2つ目の私の間違い。それは、当のアルコール依存症患者にとって、アルコール依存症はちっとも「しょうもなくない」ということだ。

彼女らは本当にアルコールを人生になくてはならないものだと考えているし、私のように全く酒を飲まなくても生きていける人を知っていても、だからこそ、そこから抜け出せず失態を繰り返す自分自身に絶望している。人は皆違う。たまたま私が酒に興味がないからといって、依存症者を「しょーもないことで人生を棒に振っているしょーもない人々」だとみなして見下すこと自体が、両者の絶望的な不理解を示しているということをまざまざと見せつけられ、襟を正された。

本作をお酒が大好きな人が観たらどう思うだろうか。ひょっとすると、自分を見るようでイヤになったり、自分を咎める禁酒推奨教育ビデオのように感じてしまうかもしれない。そう考えると、自分のようなお酒に興味がない人間こそ観るべき映画なんだろうか。(これは自分のした行為の価値や特権性を強化するための醜い思考だ。)


Ponsoldt監督作を2つ鑑賞して感じた共通点が幾つかある。第一に、やはりド派手な物語や画面を作らず、どこかにいそうなありふれた人間の、地味でしょうもない人生の断片をすくい上げている点。本作は"The End of the Tour"に比べればわかり易くお膳立てされた話ではあるが、それでも人と人が日常の最中で触れ合うときに生じる些細な煌めき(これはポジティブな色合いとは限らない)を映そうという姿勢は変わらない。

どちらも主に2人の関係を丁寧に描く映画でもあった。"The End of the Tour"では密着取材で邂逅することになった男2人を。"Smashed"では仲睦まじいアル中同士の若夫婦を。2人のあいだで交わされるウィットに富んだ言葉の数々に惹き込まれた。両作ともに「会話映画」なのだ。(どこまでが文化の違いなのか(日本人はこんなに常に皮肉を言わない)この監督の作風なのかわからなかったが。)

また、些細な要素かもしれないが、どちらもドライブシーンが多く、物語のなかでも重要なファクターとなりがちであった。Ponsoldt監督は車が好きなんだろうか。車は飛行機などとは異なり日常的な生活に溶け込んでいる利器であり、また電車などとは異なり「自分で」運転せねばなさない。そこには自由と不自由の両方がある。2人で車に乗っているシーン、運転席と助手席で印象的な会話がなされることも多い。それは車が密室的な・私的な空間を形作るためでもあろう。こう書いていると、なんだか「車」を監督の作風やテーマと上手く絡めて何か論ずることができそうな気がしてくる。(既に?)ただ、本作では車と並んで自転車もまた大事な要素だった。"The End of the Tour"では多分登場しなかったと思う。

それから、両作ともに「有害な男性」性というか、ネガティブな意味での男らしさを扱っていたように思う。"The End of the Tour"のリプスキーは「自分の才能を世間に示したい。特別な存在になりたい」と願う男性的競争社会の精神性を内面化していたように思う。(対するウォレスは、そこを通り過ぎて達観、あるいはさらなる絶望へと足を踏み入れている)そして"Smashed"では主人公こそ女性だが、主人公の同僚の聡明で頼りになる男性が残酷な欠点を持っていることが明らかになる。彼の描き方は特に秀逸だった。救いようのない感じが。とはいえ、作中で主人公の"サポーター"たる女性が言うように、アルコール依存者だけではなく、我々は誰しも救いようのない欠点を抱えながらも社会を構成して何とか取り繕って生きているのであり、勤め先のボスなど愚かな女性も描いていたのだから、殊更男性に限定する必要はないのかもしれない。Ponsoldt監督は、欠陥を抱えた人間たちが織りなす地味で映像映えしない生を撮ることに長けている。

他に魅力を感じたのは、「良い」か「悪い」かのどちらかが安易には決められない両義的な描写があちこちに見られた点だ。例えば、「嘘」の自罰意識からケイトはアルコール依存者の互助団体AA(アルコホーリクス・アノニマス)へと通い始めるが、AAを素晴らしい救済団体として映すのではなく、彼女を救いつつも、どこか宗教めいた異様な雰囲気をも感じられるように描写していたと思う。そもそも「禁酒」することが彼女の人生にとって本当に良いことなのか、泥酔して周りに迷惑をかけ恥ずかしい思いをしながらも夫と仲間たちと気楽に暮らすほうが良いのではないか、そういった迷いと後悔が物語に通底していた。泥酔して生きるか、素面で生きるか。その2つのどちらが良いかなんていつまで経っても結論はでないことをラストシーンは端的に示す。酒を飲まない人間も、酒を飲む人間も、誰もがsmashedな生を生きている。ケイトが返せなかった言葉は、この映画を観終えた我々が返すしかない。


スマッシュド ~ケイトのアルコールライフ~ (字幕版)  
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00FYLZCXA/ref=atv_dp_share_r_tw_60f7d1ec6f0f4

酒を飲む人間も、飲まない人間も、みんな観よう。お酒を飲みながらでもいいから。



次はPonsoldt監督の『いま、輝くときに』観たい。



※ちなみにデイヴィッド・フォスター・ウォレスの代表作メガノベル『Infinite Jest』でも、AAが大きく登場する。主人公の1人がAAに勤める元アルコール依存者らしい。


【追記】

プライムビデオで観れるポンソルト作品もう1つあった。しかもプライム会員無料。なんか評価めっちゃ低いけど……。エマ・ワトソン主演。

ザ・サークル(字幕版)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B078TNY9TD/ref=atv_sr_def_c_unkc__1_1_1?sr=1-1&pageTypeIdSource=ASIN&pageTypeId=B078TQXH1L&qid=1615566596

【追追記】
「ザ・サークル」観た。マジでこれ同じ監督が作ったの?ってくらいつまらないというか好みでなかった。↑で並べ立てていた作風とは全然違った。(車は依然として重要だったが。)「現代版トゥルーマン・ショー」とレビューで書かれている。SNSやインターネット技術で”繋がる”現代社会を露骨に風刺しているだけの映画。(まぁ「スマッシュド」もアルコール依存者に警鐘を鳴らす意味合いはもちろんあったが、それだけではない面白さがあったのに……)SNSの恐ろしさを学ぶなら、ネトフリのドキュメンタリー『監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影』を観るほうがよっぽど良い。SNS"依存症"の話だった。
Ponsoldt監督にはメッセージ性とかいいからリアリズムに基づく素朴で美しい映画を撮っててほしいなあ。


【追追追記】
「いま、輝くときに」("The Spectacular Now" 2013年)観た。
小細工無しのド直球青春映画だった。簡単に言えば「甘ったれ陽キャ男子が夢見がち陰キャ女子をたぶらかす話」。これもしょーもないというか、甘ったれた話ではあるんだけど、憎めないんだよなぁ……。終わり方はいつものやつじゃねぇか!!やっぱり重要な2人ドライブシーンとクソ男は出てくる。



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