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同人ノベルゲーム 『ファタモルガーナの館』 感想メモ




傑作同人ノベルゲームとして名高い『ファタモルガーナの館』を読み終えました。35時間かかりました。

先日の『親愛なる孤独と苦悩へ』と同様、わたしは本作を楽しむことがあまりできませんでした。

以下の3万字近くに及ぶプレイ中の感想メモの羅列では、かなり否定的なことが延々と書かれているため、本作のファンの方は読まないほうがいいかもしれません。

また、当然ながらネタバレには一切配慮していないため、未プレイの方もご注意ください。時系列で書いているので、例えば1章の感想部分ではそれ以降のネタバレはありません。

(「本作をプレイ済みで、かつ、本作が楽しめなかったひと」はあんまりいないと思いますが……)

あ、言い忘れていましたが、音楽(BGM)とイラストはめちゃくちゃ良かったです。多くのBGMがボーカル付きの賛美歌や子守唄のようで、聞いているだけで心地よかったです。(どうやらポルトガル語の歌詞らしい)

音楽とグラフィックは胸を張ってオススメできます。





【短評】
本作におけるいちばん根深くてたちの悪い"呪い"は、魔女の呪いなんかではなく「登場人物はすべてみんな "真実の純愛"(ヘテロ恋愛)によって救われて、物語は必ずハッピーエンドへと収束しなければならない」という "願い"=呪い だと思う。この根底思想と、それを実現するために使われているシナリオ展開の全てがとにかく自分には合わなかった。







以下、プレイ中のメモ書き(時系列)



同人だけど音楽までオリジナルか!!気合入ってるな〜
フルスクリーン表示でも縦横比かわらないのありがたい
ログ画面のデザインがかっこいい

「あなた」!? 二人称の語りか?

セーブできない?まだプロローグだから?
選択肢なのに

>……おはよう……


『夜のみだらな鳥』感がすごい。というか、正統派の館モノ、ゴシックホラー
ポー『アッシャー家の崩壊』や、フエンテス『アウラ』のような
屋敷が辿ってきた歴史を女中から聞かされる、という形式は『嵐が丘』を思い出す

地の文のテキストだけ文字が薄くてやや読みにくい



・The first door 1603 "薔薇の館"

場所の移動をあらわす、風景CGがスライドショー的に表示されるくだりで、テキストが無いのに黒いメッセージウィンドウだけ画面下部にずっと表示されたままで、せっかくの風景を覆い隠してしまっているのが非常に勿体ない。メッセージウィンドウ非表示にしておくべきでは
というかメッセージウィンドウ透過度を自由に変更させてほしい。いっさい透けてないから、もうちょい背景透過してたほうが立ち絵や背景が見やすい

ネリーかわいい。ヒマワリ&虹子の影響か、最近おてんばお嬢様キャラに弱くなっている
『高慢と偏見』が発端か?

常に歌入りのBGMがさっきからどれもめっちゃ良い
賛美歌風?

17歳と14歳の兄妹か〜〜〜
お兄さん学業優秀らしいのに芸術には疎いのか。
神学と芸術ってこの時代、そんなに結びついていなかったのか? それとももっと合理的な科学とかが好みなのか

キャラの内心を ( ) で明示しちゃうのは、この語りの形式(二人称, 女中の語り)的に大丈夫なのか?
物語の形式性を損なってないか?

いま喋っているキャラ以外の立ち絵を暗くする手法、『親愛なる孤独と苦悩へ』もそうだったけど、あんまり好きじゃない
プレイヤーに分かりやすくするために、作中のリアリティを損なっているように感じてしまうから。(まさか作中でも喋っていない人物の姿が暗くかげっているわけじゃないだろう)

女中さん一体いつから生きてるんだ問題
「これは、わたくしの記憶ではなく、館の記憶ですから。わたくしの視点は追わなくてもよろしいでしょう?」
なるほど。館自身の語り、と捉えたほうがいいのか

「バルニエ本家の領土と交換できれば良いのに。向こうの方が開拓に向いている……。」

これイギリスでいいんだろうか。ローズ家って言っているし。イギリスをモデルにした架空の国?
いや、シェイクスピアだから普通にイギリスで確定か

父と母の姿が一度も出てこないのがこわすぎる

メルは既に彼女の名前を知っているのか。なのにわざと作中では出さない。ファタモルガーナちゃんではない?

彼女が父から聞かされたという話。
綺麗に物語と対応付けて解釈できるような作中作を出すのは好きじゃないが、ここでは「きっと父がわたしのことを考えて作った話なのだと思う」と、それが作られた経緯(綺麗に対応付けられる理由)までちゃんと作品内で設定しているので良い。かつ、対応付けて解釈したいという、読み手側の恣意性までも作中人物の思惑として組み込んでいる。


うわぁ・・・・・なるほど・・・そういうことだったのか・・・・・・・ 母親が彼女を屋敷に入れて自分の元へ置いたのもそういうことか。
母親の立ち絵が出てきてないのはどういうつもりなんだ
え、じゃあ腹違いの兄妹ってことで、結ばれちゃって大丈夫なの?
父と母は仲が良いけれど、父親はしばしば本邸のほうで過ごす、というのも意味深だし絶対なにかある

めちゃくちゃ古典的な悲劇として非常に良くできている。シェイクスピアを引いているのもさもありなん
髪と瞳の色をあれだけ執拗に描写していたのもそういうことだったのね

あ、死んではいないんだ




・The second door 1707年 "慟哭の館"

100年ごとで2000年代までの合計5章構成かな。五百年の孤独

この女中さん、ウルフ『灯台へ』第2章で誰もいなくなった別荘を掃除しに来る老婆を思い出す
屋敷そのものと化した女中さん概念

迷い込んだ者を主として願いを叶え続ける屋敷……マヨイガか!?

ファタモルガーナってファム・ファタールと関係ある?

100年前と首を絞められて相手を慮る構図が入れ替わっている

美女と野獣

うおおビックリした
また入れ替わってないよね?

ポーリーン使い捨てキャラじゃなかった!
アルブフェーラの湿地帯
オーランドさん?


そういうことかーなるほどー
これは、いかにも「どんでん返しをするために作られた話」感がありすぎてやや肩透かしだなぁ
冗長に思えていたポーリーン視点も、それをやるためにあったのだとわかりはするが、それだけ。
叙述トリック……と言えるのだろうか? 貿易商人の立ち絵が出てなかったのはそういうことね。やけに性格が違うと思ってたけど。
女中さんがなんとかどんでん返しのためのギミックを作中設定の範囲で取り繕おうと解説と言い訳をいきなりまくし立ててて笑える。
館にいる人々の残留思念みたいな設定はたしかに便利だけども。
あれが妖刀ってことなんかな

彼らが日本人の血を引いているのは良いとして、この舞台ってオレンジの採れる太陽に照らされた土地というけれど、イタリアかどこか?
もしかして「館」が同じものだというのもミスリードで、章ごとに移動してるのか、全く別の館なのか

2章おわり。
うーん……やっぱりこの話はそんなに好みじゃない。悲劇なのは1章も同じだけど、こうも印象が異なるのはなんでだろうなぁ
主人公の自己認識が途中で覆る展開についていけなくなったのだろうか
白髪女がいくら酷く死んでもどうせまたこのあとの章で出てくるんでしょとしか思えなくて感慨も何もない
ポーリーンは可哀想だけどまぁ……能天気すぎるところにやや辟易していた感もあるので。このへんも全て計算されているのだろう


ここで選択肢!!!
姿見に映る白い髪へ
>手を伸ばした
→「記憶の欠片」

ミシェルが魔女モルガーナ? ジゼルが館にたどり着く
すぐ終わってしまった



・The third door 1869年 "銑鉄の館"

「当時館が存在した場所は移民ばかりで構成される、新大陸だったのです。」!?
ミスリードどころか屋敷が時代によって移動していることを明らかにしている

グレート・ギャツビーのオマージュ?

百合か!?!?

どちらかというとマーティン・ドレスラーの夢のほうが近そう

百合かと思ったら三角関係だった(やったぜ

マリーアが幼馴染ヤコポ側について白髪の少女を裏切りやしないかとビクビクしている

スペイン語……地中海の島国でスペイン語圏ってあったっけ?
カリブ海じゃあるまいし

すごく良い幼馴染関係だ〜〜〜
このまま恋愛感情をいっさい持ち込まないままだったら最高

即フラグ回収ほんとうにありがとうございました

なぜこの時点でバラしてしまったのだろう。女中さんもまだ気付いてなかったというし。
お話を面白くするため以外の理由が見当たらない
それはちょうど、マリーアが演出家を気取ってかき回しているのと同じなのかもしれない

19世紀アメリカ版のアンジャッシュコント

2章と同じく、話の荒や無理があるところを、女中が語りでペラペラと取り繕おうとしているのがちょっとキツい
あの女中さんの怪しさ・底知れなさはこの作品の魅力に直結すると思うのに、その生命線を自ら崩してしまうのか……と残念に感じる

「一人残らず! 駆逐してやる!」いただきました

たしかに最後まで恋愛感情を持ち込まなかったけど・・・
巨大明解感情(復讐心)でした

おしまい!!!
悲劇というより喜劇(コメディ)としか受け取れなかった。出来の悪い悲劇が上滑りしているのを見るのはつらい
話の構造がとても単純なので、童話とかおとぎ話みたいな印象も受ける。「ごんぎつね」みたいな

いまのところ
1章:かなり面白い
2章:微妙
3章:つまらない

絵画の男

寝室の扉の鍵を手に入れた!

めっちゃ選択肢ある〜〜〜

>女中を呼んでみる


・The fourth door 1099年 "雲海の館"

ええ、1900年代じゃないんだ!めっちゃ遡るじゃん

白髪少女の台詞がログだと伏せ字になってる〜〜
ログをしょちゅうみる自分にはめちゃくちゃキツい仕様だ〜〜〜
一つ一つのテキストに気が抜けねえ・・・

白髪少女の一人称の語り。女中はどこいった

ミシェルまた会ったな! こいつが「あなた」=プレイヤー格の旦那なのか?
ってことは白髪ちゃんの名前はジゼル??

白髪ちゃんだけじゃなくてミシェルの発言もログでところどころ白塗りされている

え!? 逆にログでしか表示されない文章があるんだけど。

女中さんおかえり
中世
「孤独な二人の──美しい悲恋の物語」とはじまる前から言っちゃっていいんだ

「この時代の彼女は、今までのどの時代より若く──まだ十代の前半でございました。」
時代ごとに変わってたんだ
まぁたしかに1章より3章の頃のほうが大人びていた覚え

月1で本が実家から送られてくる一人暮らし生活、あこがれる

やっぱりジゼルちゃんだった

もし本当にミシェルが主人公だったら、前3章からの最終章で主人公の過去編をやって全てを回収する構造はまんま『親愛なる孤独と苦悩へ』と同じだ

ジゼルちゃんいい子すぎて一周回ってうんざりしてきた
エロゲでよくある純粋なヒロイン信仰の権化みたいな

今のところ、ミシェルとジゼルの関係は『君の膵臓をたべたい』を思い出す
無気力・自己肯定感の低い根暗男子に、なぜか積極的に絡んできてくれる幸薄病弱ヒロイン

なんかデジャヴを感じると思ったが、日向夏咲ちゃんじゃないか!! あれも第4章だったな・・・

「触れたら死ぬ」性質ってオタク系コンテンツによく出てくるけど、恋愛や他者への過剰な忌避感の戯画化として見ちゃうなぁ
触れるだけでドラマ性を演出できるから便利な設定なのだろう。それどころか近づくだけで緊迫感を出せる。
social distanceな今の世の中はこれが実現してしまったと言えるか

あ〜〜〜自分がいちばん苦手な純愛悲恋モノの匂いがプンプンする〜〜〜〜
性の匂いがしないのがムカつくんだよなぁ。まさに『君の膵臓をたべたい』
どうせこのあと外部の何らかの要素が二人の仲を引き裂いて悲劇的な展開になり、現代に戻って主人公=ミシェルとなって、館の1000年にもわたる愛が何やかんやで泣かせ要素を繰り出してエンドでしょ? そうじゃないって言ってくれ こんなしょーもない浅はかな予想なんて裏切ってくれないと困るぞ・・・

またログにしか表示されてない文章がある!!!
-???- という謎の人物の語りが、ミシェルとジゼルの会話に挟まって続いている
いや、-???- は二人いるっぽい。主人公と女中??

すごくルッキズムに保守的な物語でもある。美男美女カップルが、お互いの容姿にすがりながら死んでいく話
ミシェルも美青年、ジゼルの美しい容姿を呪いで損なわなくて良かった……じゃあ、損なっていたらジゼルのことは嫌いになっていた?
ミシェルが美青年でなかったら、ジゼルは好きになっていなかった?


い〜〜やAIRやんけ!!!!!
The 1000th ってところまで同じ!!!

4章おわり!!! なんか短かったな

あ、ミシェルじゃなくてジゼルだったか わたしは幸薄美少女だったのか
どんな低級な叙述トリックやねんww 呼称による性別ミスリードとか、いちばんしょうもない類のやつやん
そもそも視点人物がミシェルであるような証拠も女中の「旦那さま」だけしかないので、「へ〜〜そっちか」程度の驚きしかないのを大どんでん返しのように語られても……

で、ここは「現世には現れぬ蜃気楼」で、女中=魔女モルガーナと「あなた」=ジゼルの二人っきりの空間だと

ループものは好きじゃないけど、こういう生まれ変わりものはそれ以上に好きじゃないかもしれない
何度でも同じ人間のまま生まれ変わって愛する人との幸せな再会を願い続ける……というのは、なんというかあまりにもお仕着せの「エモ」って感じでうげぇってなる。はいはい尊い尊いエモいエモいよかったねーーーよく頑張ったねーーーと言いたくなる
ループものが苦手な理由の1つに、「何度も何度もループした」という努力回数や失敗回数、その間にループ者が経験した甚大な辛さ、そして単純に、経過した時間の長さ──こうした量的なものを、そのまま当人の愛の深さや関係性の強さ、展開の感動度にすり替えようとする構造が気に食わない。
"大きな数を言ったほうが勝ち"ゲームで、子供たちが
「100!」 ※ !は階乗を表す記号ではなく、自然言語の日常的な記法に従うものである
「1億!」
「無量大数!」
「無限!」
……みたいな、単純な量の大きさを競い合っているくだらなさ、馬鹿馬鹿しさを、ループものには感じてしまう。
「1000年間にわたる愛の物語」といえども、プレイヤーの"わたし"が実際に1000年間の時間を経験するわけではなく、たかだか数十時間のプレイ時間という制約のなかで、いかにプレイヤーを感動させるかに苦心した結果、手を出してしまう最も安直かつ欺瞞に満ちた手法が "ループ" であり、あるいは "生まれ変わり" なのだと思う。
生まれ変わりモノは、血統主義・家父長制という保守思想に容易に結びついてしまうのも嫌いな理由だ。


こわい美人メイドさんとの永遠の百合エンドか、陰キャ男子とのヘテロ恋愛エンドか選べってことか・・・・・・普通に前者じゃね??
りゅうおうの「世界の半分をお前にやろう」的なアレだけど、普通に「はい、ありがとうございます」と頷いちゃうやつ

ということで
>提案を受け入れる (絶対即バッドエンドだろうけど!!!)

"ENDING.Ⅰ 蜃気楼の囚人" おわり!!!
やっぱり即バッドエンドだった


次は
>提案を拒否する

"ENDING.2 君をむかえに" おわり!!!
こっちもやっぱり即バッドエンド


いまのところ、章を進めるごとにつまらなくなっている・・・(というか、1章以外はつまらない)

各章の評価と、各章の印象を一言で表したのを並べると以下のようになる

1章:かなり面白い  よく出来た古典的悲劇
2章:微妙      どんでん返ししたかっただけ
3章:つまらない   アンジャッシュのコント(笑)
4章:酷くつまらない 実質『君の膵臓をたべたい』

まだ10時間ちょいだから、これから後半戦なのかな??
巻き返し頼みます……! (でも二人が再会してハッピーエンドなのは既定路線だから正直厳しい気もする)

プレイヤー格の視点人物である「あなた」がミシェルじゃなくてジゼルだったこと自体を評価できるか??
一部の女性主人公至上主義者とかくらいじゃないか、絶賛するのは。
君の膵臓をたべたい をヒロイン目線でやる、というのは結構おもしろそうだけど、本作はむしろ古典的な少女マンガみたいなナイーブな印象を受ける
(決して少女マンガそのものがナイーブ(雑)なのではなく、主人公のジェンダーギミックの末に行き着いた先が少女マンガチック、という構造がナイーブ)


>まだ終わりには出来ない

絵画の男が語った話、寝室の亡霊。
女中がいま語った「あなた」=ジゼルの美しい悲劇は嘘?
たのむ、嘘であってくれ──!! 手のひらを返させてくれ──!!!

>自分を取り戻す

え、やっぱり「あなた」=ミシェルなの??
自分のことを白髪美少女だと思い込んでいたおっさんじゃん

女中こそが魔女モルガーナではなくジゼルだと。

とりあえずめっちゃつまらなかった第4章の話が作中でもボロカスに言われてるのでそこは安心した。
「三番目の扉に至るまでは、ずっと存在し続けていた人間の葛藤や、醜さというものが──とても希薄で……、すべてが登場人物に過ぎなかった。」
まぁ「人の心」が描けてたとしても2, 3章もそんなに面白くはなかったけどね……
あと、いくら作中で後にどんでん返すための「つまらない」偽りの話だったとしても、そのつまらなさが、「実はあれ嘘でした〜」というエクスキューズだけできれいさっぱり帳消しにできると思ったら大間違いだからな……
と、安心と不安が混在している

>無理強いはしない (バッドエンド選択肢がめっちゃわかり易いというか、バッドエンドに力が入っていない)

ENDING.3 "ボンジュール・プーペ" おわり


エンディングリストの空白の大きさをみるに、エンディングはあと2つっぽい
今のところほぼ1本道といってよい


4章が嘘だったとしても、いずれにせよ男女の純愛悲劇なのは据え置きっぽいから心配だなぁ
いや別に男女の純愛悲劇なら無条件で嫌いなわけじゃないけど、どうか真実はキミスイを回避してくれよ〜〜〜

>それでも思い出さなければ


・The fifth door 1099 "呪われた館"

今度こそ鏡に手を伸ばして一瞬見た過去の記憶そのものだ

白髪ジゼルちゃんもいいけど黒髪ジゼルもいいなぁ美人

すごくオドオドしおらしい少女から一転してズケズケと物を言う明るい少女になったジゼルちゃん
・・・4章の「義務」っぽさとは違った意味で日向夏咲に似てるな!?

ログ上で、ミシェルのモノローグとジゼルのモノローグが空行を入れずに地続きになっているけど、これ2人が実は同一人物である伏線だったりしない?(疑心暗鬼マン)
出会ったと思ったら一人芝居だったファイトクラブパターンはエロゲ/ノベルゲーでありふれ過ぎているからな・・・・・

4章が性の匂いを徹底的に排除した話だったのも、5章への前フリというか、対比させるためだったのね

館への村人たちの強襲も、まんま4章を反転させている

どうやら互いにピュアだった4章と対照的に、人間の醜さを克明に描こうとしているらしいのだけれど、今のところ、ジゼルはやっぱりありふれた可哀想なヒロインとしか思えない。3章と同じような、人の醜さで彩られた悲劇を描こうとして薄っぺらく上滑りしているような。
館の近くの小さな村でのパートとか、描写があっさりし過ぎていて、冗長さがないかわりに、村人たちへの感情移入も何もないままに悲惨な展開になってしまうので、それがやりたかったがためにわざわざ物語に引き出された可哀想な人たち、としか思えない。ジゼルとミシェルの物語を劇的にするためのお膳立て。
館の金品の情報を村人へ売ってしまうことでジゼルにも加害者性を持たせようとしているのはわかるが、むしろ被害者性を濃くしているだけ。
強姦された過去設定には、不浄さと純真さが同居した娼婦、というひどく古典的なヒロイン像の無節操な引用という印象を受ける。(1099年の中世という年代設定の物語に対して「ひどく古典的」という言葉を用いて酷評することは滑稽なのかもしれないが……)

ジゼルちゃん、胸がデカい

身内、父親の罪を知って自責の念に駆られる。ここらへんもかなり血族主義・父権的だ

村の長アメデ、車輪の国4章の寮のおじさんを思い出す。最初優しかったけど欲情して裏切る系おじさんの系譜


ただのラブコメ

音楽がめちゃくちゃ良い
イラストも素晴らしい


5章おわり

4章と何が変わったの?というくらい二番煎じでつまらない
変わったのはヒロインの髪の色と瞳の色、胸のデカさ、性格。あと恋が始まるまでに1クッション入れるか否か、性を持ち込むか否か
そのくらいで、可哀想な2人が惹かれ合るが外の世界に分かたれる悲劇ってところは何も変わらなかった。

前章を「三番目の扉に至るまでは、ずっと存在し続けていた人間の葛藤や、醜さというものが──とても希薄で……、すべてが登場人物に過ぎなかった。」と敢えて作中で批判したうえで始まったのがこの章だが、残念ながら、本章だってこの批判が当てはまってしまうと思う。

難しいことを一切抜きにした、甘々でコテコテなラブコメ悲恋モノとしては、音楽と絵が素晴らしいので、そこそこ良い気がするんだけど、この作品では、もっと重々しくおどろおどろしい雰囲気で、謎に満ちてますよ感を演出しまくり、呪いやらなんやらで引っ張りに引っ張った末でのこれだから、拍子抜けしちゃうんだと思う。
中身がこんなんなら最初から取り繕わなければいいのに。逆に、取り繕わないと魅力的にならない程度のものだということを示してしまっている。



・The sixth door 1099-???? 女中の物語

転生じゃなくて再生
ここでも姿──容姿の同一性を大事にしている。ルッキズムが徹底されている

年代が急速にスライドして過ぎ去っていく演出が空虚
そんな数字の表示で、彼女の辛さを体感しろというのか。
それに、上述の通り、ループもの・生まれ変わりもの特有の欺瞞がモロにあらわれている
何百年も彼のことを想い続けて一人ぼっちで寂しくツラい経験をすることで、彼女らの「純愛度」、エモ度が比例して上がっていく……というような、数値とキャラクターの感情あるいは物語上での感動を安直に結びつけようとする発想が本当に汚い。
100年一人で想い続けた人より、1000年想い続けた人のほうが偉いの?? じゃあ俺の作る物語のヒロインは392^(031)^(426)^(57687)^(8093)^(57879)^(821093)^(9043)^(0897)^(627)^(3819)年ものあいだ相手を想い続けることにすればそんなのより遥かに感動的!となるのか?
生まれ変わりモノのこういう展開が前提にしている論理は、突き詰めれば、こうした小学生レベルのきわめて幼稚なものだと思う。
5億年ボタンをめぐる言説と同根のしょうもなさがあると感じる。
現実に経験できないどころか想像もできないものを「想像できないもの」のままにしておかず、それが持つ力を簒奪し、本当は自らも扱えていないのにも関わらず、フィクションのなかであたかも扱えているように誤魔化し、その力、数のキャッチーさ/センセーショナルさによってひと目を引こうとするやり方。
敷衍すれば、自分がSF一般を苦手な理由もこれと地続きである気がしている。まだうまく言語化できない


ジゼル21歳だったんか……

美女の腹上死じゃなかったローズお爺さん

妖しい人物だと思わせておいて、実はずっと内心では葛藤があり傷つき続けていた系ヒロイン。まんま●●やないかい(※完走後追記:別作品の根幹のネタバレのため伏せ字処理)
ありがちだし、ありがちであることとは無関係に、自分がかなり嫌うパターン

魔女が再生を願った人って誰だろう

え!?
やっぱり白髪ちゃんがミシェル(の再生体)なの!? もしそうなら逆転百合エンドなんだけど
偶然に名前が同じだけ?
あれだけ魂の同一性ではなく肉体・容姿の同一性にコミットしていたのに、性別が変わっちゃうなんてことあるだろうか
それで再生と言えるのか?
・・・なので、今のところは男ミシェルと女ミシェルは別人だと思うかなぁ


この時代のミシェルは絵描きとローズ家の妻の不倫によって生まれたのだから、幼少期に既にジゼルは彼女を見ているんじゃないの?
赤ん坊の状態では判別できなかったということ? それともひと目も見ることなく屋敷からミシェル赤ちゃんは遠ざけられたってこと?

各時代の主人公たちが、魔女が再生を願い待ち続けていた人々ってこと?

てっきり、各章で語られる話は、数ある館の悲劇のごく一部だと思っていたのだけど、全部であの3つしか本当に無かったんだ。
もっと女中さんは色んな「旦那さま」に仕えてきたかと思ってた。まぁそれが彼女が自身の精神を守るための「殻」によるミスリードなのだろう。


「わたしは完全なる傍観者……。彼女を取り巻く悲劇は、それはそれは悲しいものでしたけれど──あくまで、物語を悲しむような気持ちでした。」
こんなめっちゃメタみがある発言に飛びつかないわけにはいかない。
この作品では「当事者/傍観者」という軸が重要になっている。
いま私が、この作品で語られる「悲劇」を、「あくまで、物語を悲しむような気持ちで」しか受け取れていないのは、傍観者だからである。
(どころか本当は悲劇とすら思えないのだけれど)
この物語をほんとうに味わうには当事者にならないといけない? でもそんなの不可能だしなぁ

>否定する  ・・・が押せない!? 時間制限付きの選択肢だ!! 噂には聞いていたが遭遇したのは多分はじめてだ。シャニマスを除けば。
これってアクションゲームだったんだ〜〜

ENDING.4 躊躇

>否定する  刹那の見切り:成功!


おそらく感動すべきところでまっっったく感動できないという悲劇を味わいまくっている・・・・・・こりゃあつれえぜ・・・・・・

ジゼルは「あの娘の方があなたにお似合いなのに」的なことを言ってるけど、女ミシェルちゃんは結局なんだったんだ?? 今どうなってる??

ジゼル女中立ち絵のままめっちゃ表情豊かになってる!!! かわいい

あのメイド服のままなはずなのに、スチルでは色彩の関係か、めっちゃ華やかな感じになっててすごい


・Story behind the story

なんかまた始まったんですけど〜〜 もう終わりでいいよ……どうせ最後はハッピーエンドでしょ……尺をこれ以上伸ばして何になるんだ……

まぁ男ミシェルの過去と、女ミシェルについては未回収か。 あと3章であの復讐女が地下で発見したスペイン語の古い文字もまだ回収されてないよね?

3本の鍵のおつかいクエスト、めんどくせぇ〜〜

と思ったら意外とあっさり皆渡してくれた。さんきゅ〜



・魔女の過去

やはり全ての不幸の元凶は出生にあるんや……

ここでも容姿(顔)の美醜が聖女と魔女を隔てる決定的な要素として扱われている。徹底したルッキズム

魔女モルガーナが過去に受けた酷い境遇や痛み、苦しみを「追体験」することが、ミシェルがジゼルを救い出してハッピーエンドに辿り着くための最後の試練なのか? 人の痛みを追体験できる、という前提からして受け入れられないし、それが幸福への「試練」になる、という構図も非常に陳腐だ。
ただ「へ〜可哀想だね〜」とこちらは思うだけで、その痛みをミシェルが追体験しているのを見せられても茶番だとしか思えない。
悲劇を大盤振る舞いしすぎて飽和している。悲劇のデフレ。在庫出荷セール
その内容もまた、悲しいお話を作ろうとして作ったんだなぁとしか言えない、形骸的な内容で……。まぁ、そう思ってしまうのは、年代設定が非常に昔だから、という仕方ない面もあるとは思う。話の内容が形骸的か、そうでないかを現代に生きる我々が判別する基準は、どうしても現代的な価値観・世界観によるものだ。
だから、現代人からすれば中世ヨーロッパの話なんて「昔話」「おとぎ話」としか思えない(その伝聞過程によるところもあるだろう)ので、中世人の世界観に忠実に物語ろうとすればするほど、現代人からすると陳腐な物語になっていく、というジレンマがあるのかもしれない。

悲劇性は「どんなに辛く悲しい出来事がその身に起こったか」という内容だけでなく、その語り方も重要だと思うのだけれど、本作ではそこもあんまり意識されているように感じない。というか、上記のおとぎ話調で語るので非常に簡素で……やはり現代人からすると真に迫ったものとは受け取れない。(と私は感じるが、他の人はどうやら違うようなので、私が現代人のなかでも異端なのだろうか)

・・・いや、魔女の自分語りを読んでいて思ったが、むしろ現代人にとってわかり易く理解しやすい語り口すぎるのがダメなのでは。もっと擬古典的な語り調のほうが雰囲気も出ていいのでは。
「それが、本当は魔女の血だなんて伝わったら……、不潔で……、みんな、怖がっちゃいますよね? あはは……。」
これ↑が魔女(当時16歳位)の語りというのは、ちょっと色々と台無しではないか?


じぶんが本作を好きになれない最たる原因は、語られる話のほとんどが被害者の物語である点だと思う。特に、後半のミシェルやジゼル周りの中心的な話になればなるほど、徹底して被害者性を強調する物語となっていく。
(振り返れば1, 2, 3章はそれぞれの主人公たちにも加害者性が割り振られていたので、それ以降にげんなりした身からすると相対的に評価が上がる。特に2章のユキマサはやべぇサイコパスみたいな造形のまま最後まで突っ切っていて、初見ではふーんという感じだったけど、今思うと割と良かった気がしないでもない)

ああ、こいつらが1, 2, 3章の主人公たちか!!!
そうやって繋がるのか……
まさに、彼らを「加害者」として対置することで、自分(魔女)の被害者性を高める目的のための存在なのか……残念……

「無自覚の悲劇」

ええ……
3章までの悲劇は全て魔女の"願い"によって仕組まれていたことであると。
それを聞いても萎えるだけだ……。まぁ初見時から茶番だなぁと思っていた3章とかは、まさにその茶番が仕組まれていたことだとすれば説明が付きやすくなるからちょっとは良いのかもしれないけれど、だからといって良かったとは思えず、むしろ余計に萎えてしまう。あっそう……と。
そして唯一好きだった1章までもが茶番だったということにされてしまい悲しい……悲劇だ……。あのヤンデレ妹は、魔女の願いとか関係なしにヤンデレであってほしかった……。ユキマサは本質的にサイコパスであってほしかった(もともと獣性はあったっぽいけど)。結局のところ、この展開は3章までのキャラクターの自律性・独立性を毀損するだけで、何も面白くないどころか台無しにする所業だと思う。
彼らの自律性を犠牲にしてまで、この壮大に(年代感だけが)膨れ上がった大きな物語全体の悲劇構造を作り上げたかった、というのは分かるんだけど、自分にとってはそっちのほうがしょうもないものとしか受け取れないので、非常に残念である。

あと「死の苦しみなど一瞬ではありませんか。私が抱え続けた苦しみとは比較にならない……。」と言ってモルガーナは彼ら裏切り男3人衆の永遠の再生を願ったけれど、これがまさに、小学生がより大きい数を言い合って競い合うような「どっちのほうが悲劇でしょうゲーム」感があって本当にアレ。
でも、悲劇や不幸・苦痛を他人と比べて妬み合うという愚かさが全ての根底にある、ということをここでは描いているのだと捉えれば、まぁ肯定的にも見れるかな。


ところで、彼らも再生しているということは、1-3章の悲劇だけでなく、それと似たようなことを何度も何度も作中で語られていないところで繰り返している、ということでいいのだろうか。だとして、それを女中ジゼルは見ていないのか? 彼女の回想ではそれぞれ1回きりだったと思うけど。重複部分を彼女が恣意的に省略していただけ?
あの館ではないところで繰り返すこともあったのか、それともジゼル/ミシェルの物語が始まる1000年代よりももっと前に繰り返していたのか?
でも魔女モルガーナの生きていた時代とミシェルの時代はそんなに離れていないとかモルガーナが言ってたような。


ミシェルがモルガーナの痛みを「体感」してのたうち回っている様子をどう見ていればいいのか? ひたすらに虚無
これを乗り越えて愛しのジゼルと彼が再会できたとして、それを素直に喜べるのか? こんな茶番が試練となりうるのか?

当事者/傍観者 という二項を中心テーマの一つに据えてきた本作。
「他人の物語を聞く」ことを、単なる傍観者ではなく当事者として体験させている、というのがこの展開なのだろうが、それをノベルゲームとして読んでいる私たちは依然としてどこまでも傍観者である。いくらモルガーナの可哀想な自分語りを聞いても、まったく痛みは感じない。
なのに、その痛みを作中でミシェルだけが感じていて、彼がそれを乗り越えて真実の愛(ハッピーエンド)にたどり着いたとして、モルガーナやミシェルの感じた痛みをまったく感じていない私(プレイヤー)が、ミシェルとジゼルの純愛物語に感動するというのは、それこそこれ以上ない欺瞞であり恥知らずな裏切り行為だと思う。都合のいいところだけを消費して感動している。相手の痛みや気持ちをまったく分かっていないのに涙を流して相手に同情する行為。本作を楽しむには、そういう"非情"なことを平然とやってのけられる優れた技能と感性が求められている。それはとても難易度が高いことだとわたしは思う。わたしはまだ本作を心から楽しむことのできるほど優れた人間性と感受性を持ち合わせてはいない。このまま一生身につかないことを願う。

「当事者と傍観者」というテーマを設定しておきながら、まさに自ら設定したそのテーマのために「この作品は酷い出来である」と言わざるを得ない状況になっている。その状況を自らが作っている。自分で自分の首を絞めている。そうした印象を受ける。


「ただ、ひとりの男だから……」
ルッキズムと並んで、めっちゃヘテロ恋愛中心主義であり、恋愛中心主義的な作品だとも思う。
要するに、きわめて保守的・反動的な物語なんだよな。……中世から続く因縁の話に対して「保守的」「反動的」という言葉を否定的な意味で使うことは非常に馬鹿げているのかもしれないけれど……


「そうでしょうか? むしろ、私にとっては、何もかもが同じに見えます。
 その白い髪、赤い瞳、白磁の肌──そしてミシェルという名。
 ここまで一致しておいて──他人だなんて言えるんですか?」

あ、やっぱ女ミシェルも同一人物だったのか? そこで反復横跳びしすぎててもうどっちだろうと驚かないしむしろうんざりしているけれど。
上の台詞は本作の外見至上主義をよく表している。
でもジゼルは完全に肉体まで同じじゃないとダメだと思って再生を願ったんじゃなかったか。

え、あぁ、そうなんだ……あっそう…… ジゼルに腕相撲で負けたのも伏線だったのね
すぐ上に書いたヘテロ恋愛中心主義は大外れになる……というよりも、むしろその傾向を強める展開ではないのか?
異性装なのかトランスジェンダーなのか何なのかまだわからないけど。



・The seventh door 1086-???? 

トランス男性からTtMになった人っぽい

典型的なジェンダーマイノリティの悲劇表象。そりゃあ中世ではまったく理解させなかっただろうけれど、それを物語としてパッケージングして売り出しているのは現代なのだから、時代設定は古臭さの言い訳にはならないと思う。

登場人物のジェンダーに関することをどんでん返しにする展開が嫌いなのは、ジェンダーマイノリティがセンセーショナルな飛び道具としてしかフィクションの中で存在を許されていないかのように感じてしまうからだと思う。読者を驚かせ楽しませるために彼女ら/彼らは存在しているわけではない。
たとえいくら作中でジェンダーマイノリティを登場させて、その人に寄り添った形で物語を紡いだとしても、それ自体を作品のクライマックスにあたるどんでん返しのギミックとして配置したという事実は変わらないし、それゆえに受け入れることは出来ない。
こういうものを見ると、いかにフラテルニテのジェンダーマイノリティとルッキズムに関する描写が優れていたかを再認識させられる。

男に迫られても振り払えなかった我が身の非力さに涙を流すこと自体が「女々しさ」を助長してしまう(と思ってしまっている)の、キツいな……
このへんの描写はかなり良い

トランスジェンダーではあるが、ヘテロ恋愛要素は絶対に崩そうとしないのが特徴的
同性愛(百合)ではなく、あくまで精神的には男女の恋愛

FtMではないか。そりゃあこの時代に性転換技術あるわけないか
そういう意味で "魔女" なのね。なるほど

性器がどうなっているのか気になる
両性具有なのか、完全に入れ替わっているのか

もし男性器は持っていないのであれば、ミシェルとジゼルは生殖能力を持たない関係のままに1000年にわたる長い歴史を築いたわけだから、そう考えるとかなり面白いことになる。(ただし、やはりこうしてジェンダーマイノリティ性に関することを "面白い" と言って簡単に消費してしまうことは暴力以外の何物でもない)

そもそも男性器の存在を知らなかったから、「男でもない」と分からなかったということか。なるほど

両性具有でも女性のままでも男性になっているのでもなく「何もない」と。
不勉強にしてこういう存在を知らなかったが、現実にもいないことはないのだろうなぁ


上で書いた、ミシェルが他人(モルガーナ)の悲劇を「体感」することが作品全体のクライマックスになっているのは当事者性をテーマにした物語としてどうなんだ、という指摘は的外れだったことになる。そこは良かった・・・


絵画の男は兄ジョルジュなのだろうか? ミシェルに謝っているし。
あのミシェルを女として描いた絵は母親に無理やり描かされたのだろうけれど。
(この展開は『親愛なる孤独と苦悩へ』の最終章に似ている……)


生殖器を持たない人間の恋愛は当代限りのものであるはずなのに、魔女による「生まれ変わり」(再生)と、館に取り憑く形での永遠の生という設定を導入することで、1000年にわたる長い純愛関係を描いているのは倒錯的で面白いとも思えるが、一方で、都合のいいだけの話だとも思ってしまう。むずかしい

性器中心主義・生殖中心主義(≒父権主義・再生産主義)を否定して、例え性(器)的に繋がることが出来なくとも、それ以外の肉体の愛し合いはできるだろうし、プラトニックな愛でも何でも良いから、1代限り、有限の短い人生限りの純愛関係として昇華させればいいのに、そうはせず、より強力に生殖中心主義にとらわれて、より長い情念の歴史を描くほうへいく点が本作の肝だと感じている。

騎士の兄さんに殺されたんだろうなぁというのは5章の時点で予想がついていたから特に驚きも何もない

磔の前で母とミシェル魂が交互に反対のことを言うパート、コメディみたいで笑ってしまう
露骨に悲劇性を強調しすぎてて・・・

兄や母に徹底的に裏切られて傷つけられる展開も、どうせこのあとのジゼルとの純愛パートの前フリなんだろうと思ってしまいダメ
下手に家族との関係が好転する余地を残しておくよりも、世界の全てから憎まれていたほうが、2人の純愛をより感動的に演出するためには「都合が良い」よね〜〜
だから、物語の表層の凄惨で悲劇的な描写とは裏腹に、わたしには、ミシェルが裏切られ続け可哀想な目に合う展開はすべて「甘え」であり「逃げ」というか、彼にとってすごく優しい展開にしか思えない。
(ただ、絵画の男がジョルジュ兄さんなら、そこの関係はまだ残っているということになる)

何度も言うが、トランスジェンダーを持ち出してきても尚、よりいっそう深くヘテロ恋愛中心主義を作品自体が信奉していて、1周回って凄みさえ覚える。
そんなに異性愛じゃないといけないんか……同性愛に大切な人を殺されでもしたの……?

女性としてミシェルが再生していたのは、彼自身の魂?が望んでいたことなのか。そんなに思い通りになれるんだ

「諦める」選択肢を押す前にスクショをとっていたら制限時間がきてしまい、Trueルートっぽい方へ意図せず行ってしまった。
あとでやり直すの面倒だな……


ここ一番での曲がめっちゃいい

「男らしさ」の枷から解放される物語

さんざん社会や周りの人間による悲劇を描いておいて最終的にはジェンダーアイデンティティというきわめて私的な問題が中心になるシナリオ構成をどう評価するべきか

モルガーナがんばれ!!!
ミシェルとジゼルの "愛の力" なんかに負けるな!!!
もうこの物語で縋れるのはあなたしかいないんだ……


「真実は語る者によって変わる!」などと真実の相対性を嘯きながら、全ての人物が救われて物語が大団円を迎えられるようなシナリオだけが「真実」であると暗に主張している感じに呆れる


まだ続くのか……いい加減終わってもよくない?もうこりごりだよ……

もう正直、白髪の女ミシェルの正体がミシェルだろうとモルガーナだろうとジゼルだろうと、誰であろうとどうでも良くなってしまった。
そのへんを擦り過ぎてもう摩耗しきってしまっている。

の前にさっきの時間制限で押せなかった選択肢を回収しておく
>諦める
ENDING.5 それでも諦めないで
相変わらずバッドエンドのやる気がない。真実はいつも1つ思想

エンディングリスト、縦に5つ並ぶと思ったら5つ目から2列目のいちばん上に来たので、最高で8つあることになった。マジかよ



・The last door ???? "最後の扉、すべての始まり"

あ、いちおう作中の「現代」が何年なのかは特定していないんだ。3章の19世紀よりは後だと思うけど。

この修道女がポーリーンなのか?
再生を繰り返すのは男3人だけじゃなく、その相手もなのか(妹ネリー、婚約者ポーリーン、幼馴染マリーア)


"彼女(モルガーナ)の死の3日前"

この賛美歌というか子守唄みたいな曲がいちばん好き

>私は神だ

だいぶ他の章とは雰囲気を変えてきている
ジゼルが魂?の状態で常に寄り添って話し相手&お助けキャラになっているのが大きい

傍観者じゃなくて当事者としてのパートを最後に持ってきた、というのはわかるが、だからといってありふれたADVの選択形式をやるつもりなのか……

>今は様子を見る

これ選択肢のパターン間違えると詰むやつでしょ・・・

既にこの後の状況や彼の運命を知っている状態の未来の人間が、過去に移って当時の人間たちにマウントをとるのって酷い絵面だ。
異世界転移モノなろう系と似たようなものを感じる

「真相」を暴き出さなければいけない、という謎の啓示もまた、似たような気持ち悪さを感じる。
そこのストーリーラインが弱い。ミシェルがいきなり男3人衆にも事情があるはずだと何の根拠もないのに確信して助けようとするこの展開は、なんとか散らばった物語を綺麗に収束させようという思いが透けて見えて萎える。そうしたシナリオ上の都合、物語構造の完成度の都合上、作中のキャラクターが都合よく無理やり動かされているように思えてしまう。

ギャグ調にして雰囲気を変えようとしてるのはわかるが、ことごとくつまらない……
ミシェルをボケに回したりいじったりするノリがぜんぜん合わない
本質は典型的なエロゲ男主人公なんだよな。そういうヤツの偏屈さや音痴やコミュ障な性質をいじってコメディ調にしたところで滑るだけでは
ただし、性器がないので女児を襲えない、という内心のモノローグはちょっと笑った。いや性器なくてもレイプは出来るし、当人の尊厳的にも笑っていいかは微妙なところなんだけど。

あれだけ色んな悲劇をやって、最終的に「本来の彼らはそんなに悪い人じゃない。ちゃんと話し合えばあんな風にはならなかった」という結論で、全ての結末を知ったあとで未来からタイムスリップしてきて、ヒーロー面して道徳の教科書みたいなお説教をかますミシェル(とジゼル)の様子は本当にグロテスクだ。
未来から過去を断罪する行為の暴力性をいっさい勘案していないどころか、これをこの長い物語の最後の、いちばん盛り上がる当事者パートとして満を持して披露しているだなんてあまりにもひどすぎる。
生まれ変わりモノの嫌いなところと、タイムスリップものの嫌いなところが融合して最悪の何かになっている
わたしはつくづく、SF系や非現実要素のある壮大なスケールの感動話が苦手なんだなぁと思い知らされる。
数年前にみたシュタゲのアニメはめっちゃ好きだったけど、今ゲームをやったら好きになれるか不安になってきた・・・

ここでもめっちゃしょーもないすれ違い……アンジャッシュ状態が起きていたのかww

>ここに留まる
→ENDING.0 DEAD END

>ネリーを追う

主人公(ミシェル)側が、徹底して「正しい」存在として他の人物に対して屹立しているのが本当にキツい
その正しさが作中で微塵も疑われないでヒーロー気取りをしているのが……。
こうしたミシェルたちの偽善を相対化して貶してくれるのはもはや魔女モルガーナしかおらず、彼女もどうせこの章で「救われて」しまうのだろうから、もうおしまいです。解散解散

すでにほとんどモルガーナの語りでわかっていることを視点を変えてそのまま繰り返されてもなにも面白くない
せいぜい、メルも仕方なくモルガーナを裏切ってしまったのだという弁明に使える事実がちょっと明るみに出るくらい。
そのくらいモルガーナの語りの時点で察しはついているので、不毛な茶番を長々と見せられている。
同じような茶番を、あと2日間、あと2人に会ってまた長々と読まされるんでしょ??きつい・・・・・・
メルの話だと全部ユキマサが悪いみたいになってるけど、どうせ次のユキマサの番になると彼も想い人がいたりして、色々と仕方がなかったんだよ……的な必死な擁護パートがあることがありありと予想できてしまうのでお先真っ暗

メルはユキマサに脅されていた、ユキマサは領主ヤコポに脅されていた(?)、のだとすれば、ヤコポはどう収集をつけるのだろう

ええ……ミシェルがメルをここで責めるのもお門違いすぎるというか、未来を全部知ってるからこそ言えることで、最悪の説教だろう
いくらお門違いでもモルガーナを救うためだから仕方ないんだ、というエクスキューズに頼ろうとしていること自体が本当におしまい
未来人マウントと悲劇マウントのあわせ技

というか、これで悲劇回避したとして、過去改変になるのか?
ミシェルがこの世界に違和感を覚えているっぽいから、おそらく章の終盤でそこらへんの補足というか尻拭いがあるのだろう
もし過去改変だったら魔女がいなくなってしまい、そもそもミシェルとジゼルは今のように出会えていないわけでタイムパラドックスが起こる
おそらく本作はそんなガチガチのSFではないから、たぶん過去改変ではないやり方で(強引に)処理するのだろう
この章は実際にタイムスリップしていたのではなくあくまで記憶とか過去の結晶とか時空の狭間のナニカのような、ふわふわした感じの空間で、現在のモルガーナを救うためには有用だけど、この過去の人物たちが本当に救われるわけではない……というところに何とかして落とし込むのだと予想する


兄への妹の愛を「過度な幻想」の一言で片付けてしまうことの暴力性もなにも考慮されていない
少なくとも、未来人マウント取ったり、生まれ変わりで年月を稼いで純愛関係の深さを姑息に稼いだりするよりは、兄妹間の恋愛のほうが遥かに倫理的だとわたしは思う
ミシェルとジゼルのことをこれ以上嫌いになりたくないのに……



・2日前

説教パートの臭みをそれ以外のコメディパートで誤魔化そうとしているように思えてしまう
それが余計に……

修道女がマリア、領主はまさかのつまらない日記本を書いたバルニエ
まだ謎解き要素を残しているのか……すごいな

うわ〜〜〜この時代のマリーアめっちゃ美人……というか衣装の肌面積が……

そういや3章でマリーアが館の地下で自分の筆跡を見つけていたけど、こいつが残したものなんだろうな

ミシェル(何より女中姿はぐっとくるものがある……) ←いちばん共感できた彼の発言

3ヒロインが集結した

ポーリーンはユキマサではなく領主と密会しているのか

>それでも送る
DEAD END!

・1日前

ユキマサもずいぶんあっさりと絆された。いきなり物分りがよくなってキャラとしてブレすぎている
来世を持ち出すのは本当に白々しい・・・
来世でやり直せるのなら物語の中での死や別れといった悲劇の重みが薄っぺらくなる

既にほとんどわかっている話を視点人物を代えて繰り返すその2
情欲がなくても愛は成立すると言っていいんじゃないかな

ユキマサの話にほとんど新しい情報がないから特に何も思えないし、それに対してミシェルがかける言葉も「人の心を信じて」レベルの陳腐なことしかないから、本当に虚無。この数時間はなんなんだ。そういう苦痛を体験させる演出なのか??


モルガーナを一番気にかけていた奴隷の青年がミシェルの前世?

ちがった、領主=ヤコポ=元奴隷の青年なのか。だからモルガーナ=女ミシェルとして、最終的に3章の夫婦までハッピーエンドに持っていく魂胆だなこれは

あ〜だから、1章と2章では男主人公と女ミシェル(白髪少女)との恋愛を描きつつ、"本命" の相手はそれぞれ別に用意していた(妹とポーリーン)のに対して、3章ではマリーアとヤコポはあくまで恋愛関係ではなく友情であると不自然なほどに強調して、女ミシェルとヤコポの恋愛悲劇を中心に据えていたのね。なるほど〜〜完全に理解した。やっぱり恋愛中心主義、ヘテロ恋愛中心主義が根底にあるんだなぁ。「でもマリーアとヤコポは男女の幼馴染だけど恋愛関係ではなく友情じゃん」というのはまったく反論にならない。だって、その友情関係の存在理由は、別の男女恋愛(純愛)を引き立てるための肴でしかないのだから。男女の恋愛のお膳立てとしてしか友情の存在が認められない物語/世界……とんだディストピアだ……
もっといえば、友情だけでなく、あらゆる悲劇も最終的にすべて男女の純愛をエモくするために使われているので、究極のヘテロ純愛中心主義だといえる。男女の "尊い" 純愛の前には他のあらゆるものはひれ伏せ!純愛のためならどんな悲劇を作って、どんなに人物を使い捨てても良い!(=純愛に繋がらない悲劇や登場人物が存在してはいけない)と高らかに宣言する作品がこれだ。

にしても、ミシェルがなぜそんなに領主=奴隷の青年だと確信できるのか……理不尽というか無理矢理すぎる。傍から見ていたら妄想に取り憑かれた狂人にしか思えない。「絶対に物語の登場人物がすべて上手い具合に繋がって大団円へと収束するはず」という確固たる信念を持つ偏執狂

8章のミシェルはまさに、都合のいいハッピーエンドを求めるわれわれ消費者の体現にしか思えない。物語内の論理から浮遊して、物語を外(メタ)から見て「ここがこう繋がらないと座りの良い結末にならない」などという発想をもって、目の前の現実を判断し、恣意的な「真実」を他人へ押し付ける傲慢不遜の権化みたいな人物。そんな彼の言っていることは妄想でもなんでもなく全て「真実」であるように作品自体が都合よく作られているのがほんとうに気持ち悪い。

この作品でいちばん深く強く情念にまみれたたちの悪い"呪い"は、魔女の世界すべてを憎み絶望し続ける呪いなんかではなく「登場人物はすべてみんな "真実の純愛"(ヘテロ恋愛)によって救われて、物語は必ずパズルのピースがハマるように完璧なハッピーエンドへと収束しなければならない」という "願い"=呪い だろう。
(そのためならどんな無理のある派手な舞台装置でも何でも利用する)
この呪いが根深すぎる。その願いが求める、舌触りのいい万人受けするシナリオこそが、わたしがもっとも忌み嫌うものである。
あまりにも都合よく男女のカップリングが時空を越えて成立していく様子には、少年マンガの「最終回発情期(FINAL FANTASY)」と似たグロテスクさも感じる。モルガーナの爛れた顔とかよりよっぽどグロテスク。

これだけやって、最後の最後までモルガーナが光堕ちせずにミシェルの欺瞞を徹底的に糾弾し続けて終わったら手のひらをひっくり返して評価する。


>暗闇に手を伸ばした

ヤコポの意志なんか関係なく、ミシェルの「真実を明らかにしてモルガーナを救いたい」という暴力的で自分勝手な願いによって、ヤコポの「真実」が皆の前に曝け出される展開、実質レイプじゃん
"今の私" が消えちゃって・・・可哀想。こわい。こういう展開を、正義のヒーローが大団円へ向かうための必要な1手として何の躊躇いもなく書いちゃうのが本当におそろしい。


ここにきて描かれるヤコポとモルガーナの"純愛"の風景がまた、一辺倒のひどく陳腐としか言いようがないものなんだよな……
ミシェルとジゼルの関係とかとほぼ変わらない。もう少し生き生きとした恋愛の描写、リアルな人間関係の描写ができていれば、いくら純愛ハッピーエンドものだからって、ここまで嫌いはしなかったと思う。
(まぁミシェルとモルガーナを意図的に重ねている、というのもあるのだろうけれど、そうした物語構造を優先して、肝心の人物描写が魅力的になっていないのなら本末転倒だと思う)

ルッキズムを徹底してきた物語に最後に、こうして「醜い顔の女」との純愛を配置するというのは、ハナからそういうことだったのだろう
しかし、酷い目にあって爛れてしまったから醜いというだけでなって、元々は女ミシェルのような(あるいは彼女そのものの)美人な顔立ちなのだろうから、結局ルッキズムからは抜け出せていない。まぁ、あらゆる面で保守的で都合のいいフィクションであることを徹底している物語なので、ルッキズムが根深いくらいは当たり前だとも言える。
そう考えるとフラテルニテの小西さんの描写は本当に優れていたなぁ……彼女の顔を醜いなどと言うのは本人だけで、周りの人間はいっさい言及しないところとか本当にリアルだし、何より彼女の最終的な行く末の処理が完璧だった。
フィクション上で本当に対処しなければいけないのは、(物語をドラマチックにするのに都合のいい)残虐な行いによって顔が醜くなってしまった者ではなく、そうした外的なアポステリオリな要素がいっさい介在しないままに、始めから(そして最後まで)醜いままの人間を救うことだろう。


「かつて奴隷を解放したのが、本当は王族の血筋を引く男だった──、ずいぶん物語的だ。そういうのは民衆が喜ぶ」
と、ここであまりにも"物語的"な都合のいい設定・筋書きを相対化して批判するような発言を作中人物にさせているが、まさにここで批判していることそのまんまをこの物語ではやりまくっている(むしろそういう筋書き"のみ"で成り立っている物語である)、ということに流石に気付いていないわけではないよね??
「少女を虐待して死に至らしめ、彼女を真の魔女へと変貌させてしまった元凶の男が、本当は少女が生前唯一想いを寄せていた青年だった──、ずいぶん物語的だ。そういうのは読者が喜ぶ。」

8章で……というか本作の後半で語られる「過去の(真相の)話」って、それ自体が物語を面白くするものというよりも、「実は○○だった!」的な目を引く展開をやってしまったしわ寄せ部分の後処理というか、なんとか無理矢理こじつけてギリギリのところで物語を成立させるための言い訳でしかない。だから面白くない。
そのこじつけに成功しているともまったく思えないし。
前半で撒き散らした多くの悲劇の担い手(悪役)にも、実は仕方ない面があった(のだから、そいつらにも純愛させて感動のクライマックスの演出に利用してイイよね)……という展開をやりたいがために必死に取り繕ってペラペラとダラダラとひたすらに冗長で退屈な話を読ませられる、苦痛以外の何物でもない。

そんなに大量に積み上がった言い訳と取り繕いの上になんとか成立した「純愛ストーリー」に、果たして心から感動できると思っているのか??


てっきり教会が先で屋敷をそこに増築/建て増ししたのかと思ってたけど、屋敷が先で教会が後なのね。


本作のどんでん返し展開がつまらない理由にまた1つ思い当たった。
驚愕の事実を提示した瞬間に読者のなかで全てが繋がって「──そういうことだったのか!!やられた!!!」と衝撃を受けるのが理想的などんでん返しだとすれば、本作のなかで何度も何度も行われているのはその真逆のパターンである。
とりあえず、周知の事実を覆すような驚愕の事実("あなた"の正体、ミシェルとは、女中とは、性別が実は……etc.)を提示しても、その時点では「えっ、そうなの!?」と単にプレイヤーはびっくりするだけで、全てが腑に落ちたり繋がったりするような快感は味わえない。そのあとの長い回想シーン(昔話)でそのどんでん返しをなんとか納得させるような設定・真相が語られる。だから、すべてが「あとづけ」や「言い訳」や「こじつけ」に思えてしまうのではないか。
要するに、伏線回収をしているのではなく、プレイヤーにあとから"伏線"を見せて「どう?さっきの驚愕の事実、本当だったでしょ?」と無理矢理納得させているのだ。順番が逆である。
もちろん、本当にあと付けしているわけではなく、最初から全ての物語を練った上で、時系列や真偽を錯綜させる語りにしているのだろうが、その、物語の「編集」の工程において致命的に失敗している。本当にあと付けかどうかが重要なのではなく、読者にあと付けだと思わせないことが重要である。


この物語が全体的に「過去」の話の集積でしかなく、「現在」に起こっている話はほとんどない。そうした作品自体の(語りの)構造と、「驚愕のどんでん返しの連続」というエンターテイメント要素が致命的に合っていない。それが、この館の<真相>ではないだろうか。
両者をともに結びつけるのであれば、もっと語り方に慎重になるべきだと思う。作中における「真実」を規定する時系列と、プレイヤー目線での「真実」が刻々と更新されていく時系列の齟齬にもっと気を配るべきだ。本作は、その齟齬をむしろどんどん大きくするように作られている。その齟齬が大きければ大きいほどに、プレイヤーの驚きも大きくなり、「すごい作品」「感動の物語」だと思ってもらえるはずだ、という認識がある。
でも「驚き」と「納得感」は別物だし、「すごさ」と「感動」も別物である。


あぁ、モルガーナ視点では領主がヤコポじゃなくて前代の酷いヤツのままだと認識してたんだっけか。
なぜモルガーナはヤコポだと認識できなかったのだっけ。眼が見えていない?

悲劇も客観的にみれば喜劇というが、つまらない喜劇ほど意味のないものもない。

ここで悲しいすれ違いのお話を「真実」として明らかにされたところで、それがこの後のモルガーナの救済と改心に都合よく使われるのだということは(プレイヤーにとってもミシェルにとっても)明白なので、悲劇として入れ込むこともできないし、どう受け取ったらいいんだ。
「やった!!やっぱり真相はモルガーナの語りと違って、彼女にも希望があるものだった!!これで大団円へとたどり着ける!」と、諸手を挙げて喜べばいいのか??それが(都合の良い)悲劇であればあるほどに喜ぶことを推奨される物語構造ってどうなんだ??
それも、作品内の建前としては「悲劇を悲劇としてどこまでも痛切に悲しんで哀れんで受け取れ」という態度を崩さない。
「悲しめ」(これは悲しい物語だ)とテキスト上では言われているのに、作品を楽しむためには「喜べ」(これは最終的には美しい純愛ハッピーエンド物語なんだから)と暗に推奨している、根本的に矛盾した構造を有している。


「領主であるというだけで──その姿を、今のお前に重ねてしまった……。」
いやぁ苦しい苦しいよそれは……。そりゃあモルガーナは可哀想だし、領主がトラウマだったのだろうとも思うし、だからこういうことが起こっても仕方がないほどに気の毒だとは思うけれど、それでも、これを物語のクライマックスの、雌雄を決する決定的な謎の核心として配置するのは流石に苦しい。


あ〜、「祝祭の日」に幽閉した彼女を解放する、というのも3章の「大陸横断鉄道開通の日」と被せているのか。
というか「少女を幽閉」という要素だけでも、勘のいい人なら5章らへんのモルガーナの語りの時点で、「モルガーナ=白髪少女/領主=ヤコポ」という時空を越えた生まれ変わり構造に気付けるわけか。

ここまで「生まれ変わっても人間関係や想いや行動は変わらない」を徹底しているのは凄いけれど、それが徹底されるほどに、物語としては、ほとんど同じ構造・同じ展開の話を延々と見せられて冗長に思ってしまう、という致命的な欠点があるのが哀しい……


ここで1章の白髪少女が昔父親から聞いたおとぎ話と、物見の塔の意味深すぎる唯一開いた小さな窓の件を回収するのね。
おお、さらにはミシェル=天使ミカエルという名前まで回収した。すごい


やはり実際にはタイムスリップなどしていなかった。予定調和
実際に過去に遡って彼らに会っていたわけじゃなくとも、そういう体の話を10時間くらい長々と読ませられた苦痛は変わらないし、「全部現実ではありませんでした」展開は、それはそれで全てを虚無にする茶番だ。要するに魔女が語った嘘の4章と同じようなもんってことでしょ?
どうあがいても救いがない・・・・・・この章が真実だとしても虚構だとしても・・・・・・
「今までのは……何だったんだッ!!」ってこっちが言いたいよ

あとは モルガーナ=白髪少女 であることをこじつk……納得させる説明パートが残っているくらいかな
絵画の男もまだだったか。あと途中でフェードアウトしたジゼルの件も

「過去を暴く」ことが無条件に「良いこと」であるという思想がめちゃくちゃ苦手なんだよな。
それが、この過去の集積でできた物語が受け入れられない根本的な原因の1つかもしれない。
上で語った、どんでん返しの「編集」の致命的な欠点も、もとを辿ればこうした思想から生まれているのかも。


「私は……悲劇に巻き込まれる被害者ではなく……。悲劇を起こす加害者であったのです。」
この台詞自体はすごく注目に値するが、この台詞を白髪少女にこのタイミングで言わせてしまうことで、余計に彼女の被害者性を高めるようにしかなっていない気がして残念。

ヒロインの魂から分裂/派生して別の人格のヒロインが生まれる
エロゲでありがちなやつ

「魂」という存在/概念を便利に使いすぎている感は否めないが、呪われた館と白髮少女の悲劇の存在にまとめて説明付けをしてくれたのはまぁ良かった!

ここで「剣」が最後の重要アイテムとして唐突に登場してくる(ユキマサの剣とは別物だよね?)展開に、自分がいちばん嫌いなメタファー的解釈……「剣は男根の象徴である」というのを当てはめてしまいたい衝動に駆られる。
そうすれば、本作の非常にヘテロ恋愛中心主義的な面にも、ミシェルの無性器という面にも、そして本作が18禁ではない点にも綺麗にかたがつくので。


モルガーナは本当に白髮少女=ミシェルだと思っていたのね、騙していたわけじゃなくて

「お前の痛みは、分かる……。」
他者の痛みを "分かる" なんて言えてしまう暴力性と、過去の<真相>を暴くことを無条件に良しとする思想は間違いなく繋がっている
悲劇を経験したからこそ同じように悲劇的な経験をした者の苦痛や孤独に触れることができる、という思想
傍観者/当事者 という軸を建てていながら、結局のところ「悲劇の主人公だった者勝ち」なのか・・・
悲劇の主人公なら、傍観者と当事者を分かつ断絶を軽やかに飛び越えて抱きしめることができるのか?

やっぱり〜〜〜!!!
ぜったい最後の最後には、モルガーナの顔の爛れが消えてめっちゃ美人の顔に変わると思ってたけど、完全にその通りだった。
はいはい。よかったね。解散解散
「それが……、お前の……あるべき姿だったんだな……。」 "あるべき姿" だって。ほんとうに酷い
最初から最後まで茶番だった


なんかメインヒロインがジゼルからモルガーナに交代してない??
2ヒロイン制ギャルゲだったのか

モルガーナとヤコポは結ばれないのか。
それは良かったような、(あれだけしょーもないと言っておきながらも)残念だったような・・・・・・
でもまぁミシェルが思う通り「それは男のわがまま」だろう。あるいはカプ厨のわがまま


>まだ寄るところがある
やっぱり風景画の男はジョルジュ兄さんだった。
このひと謝罪も何もかも軽いな〜〜ww でもそこが憎めない
落書き、これ三兄弟と母とまだらぶさいく(犬)か。落書きですらハブられる父、ミシェルはやっぱり許してないんだな……父だけジゼルの仇だものな


ここで、まだ肉体的に女性だった幼い頃から「男」として憧れていた長兄のディディエが初めて涙を流すところをミシェルが見て、彼自身も「男は泣いてはならない」という枷から解き放たれるというプロットはなかなか良い

27,21,16

ご丁寧に享年まで併記してくれる親切なエンドロールだ・・・


びっくりした〜〜。いきなり現代に飛んだ

メルお前、妹(魂)に手を出すのか……?
いや、べつに良いんだけど、わざわざ妹じゃなくて他人に生まれ変わってから結ばれるっていうのは妹属性ガチ勢からしたら失望モノだと思う


エピローグで現代編になって、生まれ変わった登場人物たちが、前世では叶えられなかった想いを遂げて全員幸せに結ばれる──鬼滅の刃じゃん


今度こそエンドロール!!!おわり!!!!!!

シュタゲみたいな終わり方


ENDING.8 ファタモルガーナ


館の消滅後、安易にミシェルとジゼルが即再会しないのはちょっと良かったけど、どうせ魂を便利に使ってまた何百年も尺を稼いだあとに再会してしまうので、予定調和で特に何も思わない。

魂の再生(生まれ変わり)によって壮大な物語を紡ぎ、最後に現代でハッピーエンドを迎えたわけだけれど、わたしは性格が悪いので、「再会できて添い遂げたとしてもどうせ1代限りじゃん」と思ってしまう。「いやいや、この生を終えた後もまた生まれ変わって、何度も何度も2人はずっと出会い続けて愛し合い続けるのだ」とどうせ反論が来るだろうが、それはひじょ〜〜〜につまらないというか退屈そうだし、何より保守的だ。あと、人類は永遠に続かないだろうし、地球だって宇宙だって永遠ではない。「そんな長いスケールを持ち出すのは反則だ!!!」とまた反論が来るかもしれないが(※ずっと独り相撲をしています)、わたしは声を大にして「長いスケールを最初に持ち出したのはこの物語だろ!!!!!」と叫びたい。

わたしは何も、この世に存在する全てのハッピーにカップルが結ばれて終わる恋愛モノに対してこのようなことを思って白けているわけではない。「魂」とか「生まれ変わり」なんて壮大な装置をいっさい持ち出さない、それぞれの生身の人生限りで展開される慎ましい(ありふれた)恋愛モノに対して「でも2人ともいつか死ぬよね!!!」とか叫ぶのは単なる僻み野郎だ。そんなことはまったく思ったりしない。素直に2人を祝福するだろう。

でも、2人の純愛の尊さ、感動度をドーピングするために生まれ変わりとか魂の転生といった壮大な便利概念を導入してしまった恋愛物語に対しては、そのドーピングのぶんだけの副作用・報いを受けてもらわないとフェアじゃないと思う。
2人が幸せに結ばれるまで、何度も何度も何百年何千年も過去の方向に尺を使ったのならば、「現在」を原点として、同じぶんだけの尺を未来の方向にも伸ばすのが自然な想像力の帰結だとおもう。

「生まれ変わり」とか「不滅の魂」なんてものは、その名の通り "終わりがない" のだ。だから、決してハッピー""エンド""は許されない。過去に、何度も何度も悲劇的な結末を迎えてもなお、そこで物語を閉じずに、2人の尊い魂は生き永らえ、生まれ変わって次の世にやり直してきたのだから、なぜ幸せになったからって都合よく終わることができよう?? この世で幸せに結ばれた2人の尊い魂は生き永らえ、また必ず生まれ変わる。しかし2人の愛がいくら不変/普遍であろうと、人類社会や地球環境は刻々と変わっていく。それら外部の世界は決して不変ではない。
地球や宇宙が滅んでも「魂」の状態でふたり愛し合えばいい??それなら、今世だってわざわざ人の肉体を伴って感動の再会をする必要はない。魂の状態で出会えるなら館が滅んだあとに割と簡単に出会えているだろう。

ぐだぐらと文句を垂れてきたが、要するにわたしは、生まれ変わりとか魂とかを持ち出して、その壮大なスケール(定量性)をそのまま純愛ストーリーの感動度(定量性)に流用する構造を有する物語が大の苦手だということだ。スケールが大きければ大きいほど良いとか、2人が結ばれるまでの年月が長ければ長いほど良いとか言った、定量性を物語の質へと直接結びつけようとする作品は下品だと思う。
わたしがいまやっているように、物語を読む側が何点満点とかで数値的な評価を下すのはどうでもいい。ここで問題にしているのは、物語の構造であり、それは「いかにして物語が作られているか」という作る側の話である。
例えば「長ければ長いほど良い物語である」という思想のもとに作られた、ただひたすらに長い、全部読むのに数十年もかかるような物語があっても面白いとは言わないだろう(たぶん)。そんな思想は馬鹿げていると思うかもしれないが、この物語が立脚する思想も、これとかなり近いものだ。「2人が出会うまでの年月が長ければ長いほど結ばれたときエモい」とか「ハッピーエンドまでに2人はツラい目にあえばあうほど良い」とかいった思想はどれも、定量的に換算できる「長さ」や「大きさ」を、本来定量的に換算できないはずの「物語のエモさ」とか「関係性の強さ」「愛の深さ」へと流用しようとするものである。
大きさには際限がない。生まれ変わりにも際限がない。だからハッピー"エンド"は決してこの2人には訪れないし、2人の純愛関係は決してわたしを感動させるものにはならない。本作で描かれているのは、非常に資本主義的な純愛なのだ。(資本主義にも終わりがこないらしいですよ)

注意してほしいのは、わたしは決して、生まれ変わりが非現実的だから嫌いとか、魂の存在を信じていないから物語に導入されるのが嫌、というわけではない。
あくまで今わたしがしているのは「物語をいかに魅力的にするか」という手法の話をしている。
古今東西、人類はいかに面白い物語を作ろうか苦心してきた。そのなかで様々な技術を生み出してきただろう。(しらんけど)
そうした膨大な「物語を魅力的にする技術」のなかで、本作で用いられている手法は、もっとも程度の低いものの1つだとわたしは思う。
「物語技法として拙い」から批判しているのであって、決して非現実的だから批判しているのでも、スピリチュアルだから批判しているのでもない。

あまりにも予定調和すぎるハッピーエンドに、「生まれ変わり」を物語上で利用する拙さについて長々と書き連ねたが、ここまで数万字かけて語ったきたように、本作の問題点は決してそれだけではない。
ちょっと上で書いた、本作における「過去」の語りと「どんでん返し」構造の矛盾なんかも、生まれ変わり問題を越えるくらい大きな欠点だと思う。

・舞台裏
全部読んだけど、これは本編を楽しめた人のためのものなので、わたしはお呼びでなかった。


エンディング6と7が未回収か・・・
攻略サイトを見よう

>領主を突き飛ばした
ENDING.6 とこしえの闇

>外に出よう
ENDING.7 別離


これでいちおう全クリかな

お疲れ様!!!!!

いや〜〜長かった!!!終わりそうになってからが長い!!!!!

またひとつ「超名作といわれているけど全然たのしめないノベルゲーム」が増えてしまった。でもなんとか完走できて良かった。評価の高い作品は、たとえ自分に合わなくとも、「やった」こと自体の嬉しさがあるので。

ありがとうございました。わたしには合わなかったけど、同人ゲームでここまで力の入った作品を作れる人たちがいると知ることが出来てよかったです。


おしまい



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