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映画『ゆるキャン△』(2022)感想

シンマンに続いて今年2度目の劇場鑑賞。
公開3日目の日曜日ということで席はかなり埋まっており、オタク層だけでなく、小学生などの家族連れや、おばあさん(シアター入口でトイレの場所を訊かれた)など老若男女幅広い層にリーチしているんだなぁという感動があった。

大好きなTVシリーズの数少ない瑕疵というか自分が苦手なところがある。それは、しまリンやなでしこ達が、ちゃんとバイトでお金を稼いでキャンプ用品を買ってまたほしいものができてバイトして……という、大人も顔負けの「労働者」かつ「消費者」であり、資本主義経済を駆動させる(体制に都合の良い)歯車として肯定的に描かれている点である。

子供は子供でええんやで……と思わずにはいられない。

まぁ、早く大人になりたいとピュアに願うこともまた、「子供」の十分条件のひとつではあるのだけれど……。(必要条件ではない)


で、この劇場版では実際に彼女たちが「大人」あるいは「社会人」になった様子が描かれる。
この映画を観た「大人/社会人」の全員絶対に驚き呆れるのは、大垣に誘われてなでしこ達が始める山梨県高下地区のキャンプ場建設企画が、あろうことか「ボランティア」で(無給で)行われているらしいことだ。(だよね?)
こんなのSNSが荒れることはわかりきっているのに、なぜ敢えて…… というのが鑑賞中のメイン議題となることは必然だ。まさか山梨県庁のねがキャン△をしたかったのか……? 公務員社会の実情を身体を張って風刺している……?

前置きを踏まえれば、学生時代に「大人」の良き消費者であった彼女たちが、社会人になって逆に今度は賃金ではなく”やりがい” で駆動する「子供」として描かれている、という倒錯的な事態が認められる。
まるで失われた青春を取り戻すかのように! かつて十分に味わうことの出来なかった青春を!

しかし、「学生時代のやり直し」と見るにしても、流石に規模がデカすぎる。だってガチの行政事業じゃん。しかも途中で縄文土器の発掘事業も加わって文化的な重要度も高まるし……。

鉄腕Dashみたいなことを美少女たちにやらせているが、あっちはバラエティとしてしっかり出演者に給料が支払われているはずだ。無賃労働させられているTOKIO、見たいですか?? それが「エンターテイメント」として成立しますか?成立させてしまっていいですか? 救ってもらっていいですか?


これまで「消費者/サービスを享受する側」としてキャンプ趣味を楽しんできた彼女らが、大人/社会人になることで今度は「作る側/サービスを提供する側」になるさまを描いて、それによって作品としての”成長”を表現したかったのだろうとか、意図はわかるよ? わかるんだけど、マジでなんで無給にした……
それならいっそ、TVシリーズの最初っから、高校生がいちいちキャンプ用品や宿泊日を稼ぐための執拗な労働描写なんていらず、美少女たちのファンタジー空間として定立すればよかったのに……。(この件に関しても、馬鹿の一つ覚えのように「この作品のリアリティラインは〜」とかいって擁護しようとする人にだけはなりたくない。そういえば、序盤、大垣にしまりんが拉致されてタクシーで名古屋から山梨まで飛ばしたギャグシーンで、しっかりヤバい額の運賃メーターを映していた。この場面で本作の「リアリティライン」は示されていますよね。)

だから、繰り返しになるけど、頑張って解釈するなら「大人になることで初めて《子供》として生きることができる」という、なんだか意味深そうなテーゼを擁立している作品である……とかなんとか、そういう苦しい受容しかできないわけですよ!

中盤で、いぬ子が勤める小学校が閉校することになり(ここのパートがいちばん泣けた。何の思い入れもない小学校に瞬時に感情移入して…)、廃校になる土地が意味ありげに映し出される。・・・ははーん、一旦遺跡出土でおじゃんになったキャンプ場計画をこっちの小学校に移すんだな〜と誰でも思うじゃん!?

そうだとすれば、大人になって卒業したはずの、あのTVシリーズでの《学校》空間への回帰……とか、かつて日常であった場をキャンプ施設という非日常の空間へと作り変える意義……とか、解釈し放題バーゲンセールじゃねぇかこれは一旦「無給」の件も考え直さにゃあかんぞーとテンション上がったのだが、すべて自分の勘違い、ミスリードだった。。。おしまい。にっぽん・ほうそう・きょうかい。


そもそも、↑の点を棚に上げたとしても、流石に2時間フル尺の映画作品としては冗長すぎると思った。途中、この人たちはいま何を目的にしていて、どういう目線で見ればいいのか分からない時間帯が結構あってキツかった。それらのシーンを、本作の《日常アニメ》としてのアンチ・ドラマ性の表現のひとつである……とか弁護することはいくらでも出来るだろうけど、わたしはしません。退屈だったから。

それから、最終的な「自分たちの好きなこと、愛する文化(キャンプ)を、顔も知らない多くの他人=社会へと広めていこう。今の私たちならそれができる。だって《社会人》なのだから……」的な作品の思想態度もまったく好ましくない。押し付けがましいと感じちゃう。(オタクの押し付けがましさという意味ではただの同族嫌悪かもしれない。)
しかも、表面的には「すばらしい文化の保護・普及」というお題目っぽさがありながら(土器要素は象徴的ですね)、実際のところはやはり資本主義社会に都合のいいメタ・マーケティングでしかない感じもキツい。

あと、食事シーンが数も多いし尺・間も長いんだけど、食に関心がなさすぎて想像力がはたらかなくて、そのあいだも退屈だった。終盤のなでしこカレーはおいしそうだった。

いぬ子さん自体は特別に好きなキャラではないが、彼女が小学校の先生をしている設定はとても好き。鉄腕dash のくだりより、『あおい先生の過疎小学校勤務日誌』みたいなやつが観たい。見せてくれよ、のんのんびより△を……

背景美術は相変わらずとても良かった。まぁ背景を見に来てるようなとこはあるからね。
本作でいちばん好きなシーンは、高下の廃屋が初めて映ったところ。めっちゃ画面が暗くおどろおどろしくて、ホラー的な意味で興奮した。あのカットはマジで好き。

アニメの田舎風景オタクの戯言としては、高下のキャンプ場(にしようとしている土地)での彼女たちの作業の定点カメラ映像とかどうでもいいから、村人との交流をもっと増やして、高下地区の村落の風景をもっと見させてほしかった。『おおかみこども』の韮崎のじいちゃんみたいな人ひとりだけだったから……。

また、音楽というか音響面でも不満があった。劇伴の音量なんかやけにデカすぎじゃなかった? そこで「劇場版」感を出そうとしなくていいから。《日常アニメ》じゃあなかったのか!!
聴覚過敏とかではないけど、単純に大きな音が嫌いなので……(もうお前は映画館に来るな)。まぁ単にシアターの音響の問題な気はする。

エンディング曲は良かった。




TVアニメ『ゆるキャン△』1期・2期はふつうに大好きです!

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