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明日ちゃんのセーラー服6巻 感想メモ


11/24
6巻読んだ。この漫画は目より高く掲げて読まなければならない。ページが涙でぬれてしまうから。
あるいは電子書籍でも買うべきか…紙で買っている数少ない作品だが。

明日ちゃんが東京出身のクラスメイト3人(木崎江利花、兎原透子、龍守逢)に案内されながら東京観光(長野に帰省しているとはいえ、同じ班なのにハブられる古城さんは少し可哀そう。。)

これまで「光」しか描いて来なかったが(それも生易しい光ではない。ページを繰る者をひとり残らず焼き尽くすような、ある意味どんな闇よりも恐ろしい光だ)、本巻で初めてクラスメイトらの持つ後ろめたい過去という「闇」要素を入れてきた。
これに明日ちゃんがどう反応するのか、彼女の圧倒的な光(イノセンス)の前に浄化されるのかに注目が集まったが、明日ちゃんの持つ圧倒的な光(イノセンス)の前に全ては浄化された。もう許して…となった。
とはいえ、このようにまとめるのはこの1冊を矮小化し過ぎである。
それは、明日ちゃん以外の子たちもまばゆいほどの光を以って紙面を支配し、世界を肯定していたからだ。

小学生時代の因縁の友人に遭遇して暗黒面へ落ちそうになる透子に対し、木崎江利花と龍守逢も手を差し伸べる。
まず絵利花が透子の前髪へ息を吹きかけ「チャームポイントが隠れてる」!(ここの前髪下ろしかけ透子もめちゃくちゃかわいいし美しい。負の感情が表出するシーンすらも、本作では少女の新たな魅力を我々に垣間見せてくれる貴重な機会になってしまう。なんと罪深いことか)木崎絵利花…少し前の「これからずっと私の一番好きな時間だわ」といい、お前そんなグイグイ光台詞(ひかりぜりふ)を吐く子だったか?BLでいう攻め。明日ちゃんと会ったばかりの頃は完全に受けだったのに…明日ちゃんの性質がどんどん周りの子に伝染していく説あるな。
噴水の端で「ダサいっしょ」と打ち明ける透子に間髪入れず逢と絵利花が「ダサくない」!明日ちゃんじゃなく、自身にも思い当たる節があるのだろうこの2人が発するのがよい。「ダサくない」の太いフォントもよい。
(あとここで龍守さんだけあぐらをかいてるのがよい。射的やゲーム類が得意なところといい、副委員長キャラとはほど遠い、ガサツで魅力的なキャラクターである。それに場の空気を重くしすぎないよう「否定してハブられでもしたん?」と軽い感じで相槌を打ってあげる優しさな…いい子…)

そして明日ちゃんのターン。「涙が出ちゃうほどかっこいい」「そんなに強い人たちがいるなかで兎原さんは逃げ切ったんでしょ」「かっこいい」
ポイントは「強い人たち」だ。フィクションにおける「ワルモノ」性を負わされた存在(この場合では高塚るみ)に対して、そのイノセンスで全てを肯定する明日ちゃんがどう接するか、どう形容しどう昇華するのかは当然気になるところである。
蓋を開けてみれば化粧の上手い努力家のるみとは一瞬で打ち解けてしまった。そして彼女を形容した言葉が「強い人」だ。
明日小路の生きる世界には悪人はいない。「いい人」しかいない。「いい強い人」と「いい弱い人」しかいない。
「明日ちゃんが闇をどう浄化するのか」ではなかった。はじめから彼女にとって、闇なんて存在しない。それは「闇に光を当てる」なんて生易しいものではない。世界ははじめから輝いていた。今も輝いているし、これからも輝いている。そういう世界に彼女は息をしている。というより、そういう世界のことを「明日小路」というのだ。

明日小路と高塚るみを廻るストーリーにはもうひと展開待っている。「わたし間違ってたかもしれない」「るみちゃんだって…」「るみちゃんと一緒だったから兎原さんはわたしにマニキュアを教えてくれた」
明日ちゃんが今、透子とかけがえのない時間を過ごすこと。それは過去──るみとの時間──を否定し、塗り替えるものではない。明日ちゃんにとって透子がかけがえのない存在となればなるほど、そんな透子を形づくる一部である高塚るみまでもが明日ちゃんにとってかけがえのない存在となっていく。そして、そのことをこうして告白されることで、兎原透子のなかでもるみとの時間を肯定できるようになっていく。
思えば行きの新幹線での龍守逢とのやりとりだってそうだ。「勉強頑張ったおかげで明日小路は龍守逢と会えたよ」
明日小路が肯定できるのは「今」だけだ。彼女は「今を楽しむ」ことしかできない。目の前にいる友達に「あなたと会えてよかった。今、わたしは最高に楽しい」と告げることしかできないのだ。それだけで、なんと十分なことか。それさえできれば、世界は、あなたは、私たちは、今からでも明日小路になれる。
(ちょっと待て、ここで明日ちゃんが自分と逢をフルネームで呼び捨てるのって看過していいとこ?この状況を俯瞰した上で、もっとも即した言い回しを使っている…?)

表紙のプリクラ写真を廻る、最後の展開めちゃくちゃ尊い。
そして、結局のところ本作において「制服」とは、彼女たちの過ごしている「今」の刹那性、有限性の象徴であって、兎原さんが自分だけ制服を着ていないプリクラを見て「もう一回」と言ったことは、何より制服に自分たちのアイデンティティを置いていることを意味し、したがって前述の通りなわけで、もう泣けること泣けること…勘弁してくれよ…
その「もう一回」は作中では描かれないわけだけれど、本を閉じればそこには彼女たちの「一瞬」が切り取られているわけで、1冊の漫画としてのパッケージングの妙がハンパない。

やはり木崎絵利花という存在について、我々は考えを改めるべきではないか?もう木崎さんとは呼びにくいよ…この女…
だって「私も見たい」「見せて」「暗くてよくわからないわ」のシーン見た?あの下からの顔!兎原さんの顎をホールドするあの手つき!こいつはすげえぜ…思えば、単なるシャイなお嬢様からずいぶん遠くへ来たもんだ。まだまだ彼女の歩みを眺めていたい

言ってしまえば木崎絵利花は明日ちゃんが最初に出会った「クラスメイト」であり「友達」であり、最初に家に招いた「親友」であり、深夜アニメ的な文脈で言えば「正妻」ポジションなんだよな。ユーフォでいう高坂麗奈。
でもこの漫画の恐ろしいところは、いわゆる「カップリング」が固定されないところ。
本作は「明日ちゃん全愛され」という世界一強力な磁場に支配されているので、明日ちゃんはクラスメイトを片っ端から攻略している最中である。そのどれもが変態的な画力による一撃必殺の描かれ方をするため、推しキャラとか推しCPとかそういう次元ではとうになくなっている。
しかし今回びっくりしたのは、明日ちゃんではなく、その正妻すらも他のクラスメイトを攻略しにかかっているということだ。ヤツは兎原透子にも、龍守逢にもクリティカルなアレをかましている。
上記の「明日ちゃんの性質が伝染していく」はあながち間違っておらず、この調子でいけば透子や逢、ほかクラスメイトの誰も彼もがお互いを攻略し合う展開になる…!?「総キャラ総愛され」じゃん。なんだそれ。しかし考えてみれば、これこそがこの漫画が体現する圧倒的な美と尊さを端的に形容する言葉なのかもしれない。
「全ての人間が全ての人間に愛される世界」。そんな綺麗事を越えてもはや狂気とすら呼べる絵空事を、冗談じゃなく本気で漫画という表現形体を用いて実現させようとしている。なんて恐ろしいんだ、『明日ちゃんのセーラー服』…。
待てよ、おまけの大熊実さんのエピソードも併せると、「全ての人間」どころか「虫も蛇も草木も含めたありとあらゆる生物が愛される世界」を目指しているのか?ヤバいな、森羅万象への讃歌かよ。宗教的、神話的モチーフで1話から読解し直したほうがいい?
いずれにせよとんでもないものをこの世に生み出しつつあることは疑いようがない。心から思うのは「明日ちゃんのセーラー服永遠に続いて」ということだけ。

・36話のライブ会場前で木崎さんが自撮り集合写真撮る見開きの構図「BLEACHかよ!」ってなった。
一護が仮面の軍勢との虚化の特訓中に暴走して、全員から刃向けられて組み伏せられるヤツ。下からのアングルで思わず連想しちゃった




えっ1巻(電子書籍)が期間限定で無料なの!?!?!?

ってことは公式サイトも合わせれば最新話まで無料で読めちゃうってこと!?!?!?



【追記】

必読


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