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TVアニメ『SPY×FAMILY』感想




1, 2年前にジャンプラで原作漫画は一気読みしたことがあった。(当時の最新話まで)一気読みしてしまうほどには面白かったということだ。じっさい、「めっちゃ万人受けを狙ってるマンガだけど、たしかにめっちゃおもしろいし、万人受けを狙ってここまで描けるって相当すごいよなぁ……」というようなことを思った覚えがある。
で、漫画のほうはその後、テニス編?あたりで飽きてきていったん追うのをやめたが、依然として作品自体はどちらかといえば好き、少なくとも嫌いではまったくない、という印象のつもりだった。

それで今回、WIT STUDIOとCloverWorksという今をときめく盤石な製作体制で、OP/EDにも豪華な超人気アーティストを起用し、声優陣も実力と知名度を兼ね備えた完璧なキャスティング(種崎敦美さん天才!)で、何から何まで「ちゃんと」「リッチに」作られたアニメが放映されたわけだが…………不思議なことに(?)、わたしはこのアニメをまったく楽しめなかった。

「原作厨すぎてアニメ化が受け入れられない」という(『明日ちゃん』のときになった)状態では絶対にない。そもそも原作厨というほどまでには入れ込んでいないし、それにどう考えても原作ファンを納得させる見事なクオリティだったではないか。

「世間的に人気な作品に逆張りしたいだけだろ」という指摘もたぶん誤りで、なぜならわたしが漫画を読んでいた時点で、『SPY×FAMILY』はジャンプラの大看板作品であり、単行本も異様な売り上げを記録していた(ことをわたしは確かに認識しながら読んでいた)はずだからだ。

──ではなぜ??
わたしが考えるいちばんの理由は「漫画」と「アニメ」のメディア性の違いによるものだ。一言でいえば、アニメは(漫画よりも)「押し付けがましい」媒体なのだ。それは、鑑賞速度/テンポをこちらで自由にコントロールできない時間芸術である点もそうだし、漫画のコマのようにシーンごとに「画面」の大きさが変わらず、常に一定のサイズと形のスクリーンに映った画/映像を見せられる点も関係すると思う。

そして、『SPY×FAMILY』は、絶対に「押し付けがましくなってはいけない」タイプの作品であった。メインの3人──ロイド, アーニャ, ヨルさんを好きになり、彼女らが不器用にも少しずつ築きあげる「偽装家族」を肯定し、応援することができない者には楽しむことができない。読む資格がない。(無論、その3人以外のサブキャラ──ダミアン, ベッキー, エレガント先生, ユーリ, フランキーなど──を「推し」ている熱心なファンも多いだろうが、いずれにせよキャラを好きになり応援していることには変わりない。)
このように、そもそも原作のたたずまいからして「押し付けがましさ」はあった。それこそが『SPY×FAMILY』という作品の本質だという者もいるかもしれない。しかし、原作においては、「漫画」というメディアの性質上──そしてより重要なのは「ジャンプ+」という誰でもインターネット上で無料で手軽に読める電子媒体であることだ──、その押し付けがましさはギリギリのところで前景化せず、メディアの「軽さ」によって見事に抑制され中和されていたのだ。もちろん、漫画の時点でそんなに好きじゃないという人も大勢いるだろうけれど、少なくとも「漫画よりアニメのほうが押し付けがましさが増している」点はそれなりに妥当な意見ではないかと思っている。
この意味で、『SPY×FAMILY』という漫画は、web/アプリ電子配信形式に最適化された、マンガ新時代を象徴する、まごうことなき金字塔的作品である。

こうして、web配信漫画という「軽い」メディア形式だからこそ実現可能な絶妙なバランスを周到に維持できていた作品が、「気合の入った」「リッチな」装いのもとでアニメとして生まれ変わったことで、その繊細な均衡が崩れてしまった。だからわたしは、『SPY×FAMILY』の原作は楽しめたがアニメは楽しめなかったのではないか。
……より単純に「原作ですでにストーリーを知っている状態で観たから」などの原因もあるかもしれないが、こちらのメディア的な原因だって無視できないと感じている。

だから、漫画では普通に楽しく読んでいたはずの数々のコメディシーンや感動シーンが、アニメで観るとどうにも押し付けがましいと感じてしまって哀しかった。
アニメ『SPY×FAMILY』は、「アニメ」としての出来が良ければよいほどに、楽しむのが難しくなっていく、メディア形式に起因する根源的な矛盾を抱えた作品であるとわたしには思えた、ということだ。原作が本来持っていた押し付けがましさにようやく思い至るとともに、前述したような、ジャンプ+での連載形式はなんて本作に合っていたのだろうと純粋に感心した。
(めーっちゃ余計で的外れなコメントを付け足すと、「『よつばと!』がアニメ化しないワケがわかった気がした」。)

ヨルさん、好きだったはずなんだけどなぁ・・・。アーニャ、かわいいのは間違いない、はずなんだけどなぁ・・・。アーニャ×ダミアン、すごく好みで応援したいカップリングだった、はずなんだけどなぁ・・・。かなしい・・・。

──だが、ここまでダラダラと書いておいて言えることではないが、アニメ『SPY×FAMILY』は、わたしのような「楽しめなかった」人間がグダグダと感想を書くべき作品ではない、という気持ちも、強くある。
これは決して「ネットにはポジティブな感想しか垂れ流してはいけない!作品を好きなひとが読んだらどう思うか考えてください」的な言論封殺の意ではない。わたしはこれまでも(ついさっきも)作品を、キャラをこき下ろし、あまつさえファンを挑発するような感想文を書いてきたし、これからもそれをやめるつもりはない。自分がたしかに感じたことを、「好き」も「嫌い」も平等に、好き勝手に表明する権利はあると思っている。(無論、表明する場は選ぶべきだ。ブログ/noteのような自分の「城」で自由にやろうね。あと、最後の「その作品のファンを挑発する」のは普通にしないほうがいいと思いますよ。あっ、だからさいきん自分の身の回りからどんどん友人が去っていくのかぁ〜〜)
……ここで自分が言いたいのはそういうことではなく、なんというか、「これを楽しんで観れている人びとがいるんだから、それで、よくね? 俺らは何も言わんでもよくね?」的な感情というか……いやこれじゃ全然伝わらないな……。「『嫌い』ではなく『Not for me.』と言い換えろ」とかいうライフハック的なあれじゃあないんだよ。のっとふぉーみーなんていちばん嫌いな文字列だから……(そんな字句で逃げ(られると思いこんでい)るんじゃあない!!!正々堂々と主張しろ!!!)。
・・・えーと、『プリパラ』とか『プリキュア』を観て、「あのキャラ/展開が気に入らん」と言ってるときの申し訳なさ、「自分はこれでいいのか」感に近い。自分は明らかにこの作品の想定するターゲットではないのにも関わらず、そんな「お呼びでない消費者」である立場から口を出すことの社会道徳的是非?というか……。うーむ、これも結局は言論弾圧に回収されてしまうし、明らかに問題ありまくりなんだよ、それはわかってるんだけど、なぁ・・・。その作品のファン/ターゲット層に対する申し訳なさというよりも、その作品そのものの価値を毀損しているのが問題だろう。(「作者/制作陣への申し訳なさ/遠慮」ではもちろんない。そんな理由で感想表明を躊躇するのはいちばん作者を馬鹿にしている行為だ。)
要するに、今のわたしは、ある種の作品を「子供向け」であるとレッテル貼りして、「子供」という記号への差別的な意識に基づいて、そのレッテルが貼られたものにだけ、条件付きの「Not for me.構文」を適用してしまっている、という感じかなぁ…… あ〜嫌だ!!!自分が嫌いな人間とまったく同じことをしていることに気付いてしまうのはいつだってつらい!(はい、いつもの「安全に痛い」パフォーマンスです。)


もう埒が明かないから、開き直って、目も当てられない差別的発言(たしかに自分はこれを思ってしまっている)で締めよう。



どこかの小学生が、ドッジボールで「アーニャ投げ」をして盛り上がってくれていたら、それだけでわたしは満足だ。


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