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家をつくる - 古民家再生の意義

つくることは生きること。
そういう理屈を考えてみた。

これまでいろいろなところに住み、あまり落ち着きのない人生を送ってきた自分だが、いまは自分たち家族が住む家をつくっている。元来、様々な場所、環境に身を置いて新しい刺激を得ることを好んでいたが、子を持つ親として、自分たちの巣が必要だという人間の動物的本能なのからなのかもしれない。とにかくいまは色々なところに行きたいという欲求が薄く、自分たち家族にとっていい環境をつくるため、築100年の古民家を再生した家づくりに没頭している。

家づくりのきっかけ


思えば「自分で自分の家を建てる」ということのインスピレーション元はいくつか思い当たる。一つは、友人の実家。彼の父親はアーティストで、セルフビルドで山奥に家を建てた強者だ。都心から1時間強の郊外、自然豊かな環境で、アトリエを兼ね備えたとても居心地の良い空間だったことを覚えている。そんな田舎の環境で育った友人は今ではすっかり東京シティボーイだが、根はしっかりアーティストだ。どこかで親の価値観に反抗しつつ、何かを影響されて引き継いでいくものなんだろう。環境というものは子は選ぶことができない。結局、親の価値観を子に押し付けると反抗するし、そうではなく、環境を与えてやることしかできないのだろうと思う。東京で子供を育てることに大きな違和感を覚えたのは、そういう考えがあったからだ。自分が父親になって改めて友人の実家の話を思い出し、父親が自分んちをつくったという記憶は子供にとっては一生残るだろうなと思った。

もう一つは記憶に残っていた「きみによむ物語」という映画。あまりにもグッドストーリーすぎる名作恋愛映画だが、もう20年も前の映画ということは自分が18歳とかで見たことになる。主人公ノアが、自分の夢を叶えるため、そして離れ離れになってしまった初恋の相手アリーとの約束を守るため田舎の廃墟となっていた大きな館を自分一人の手で改修する。二人の淡い思い出がつまった幽霊屋敷が豪邸に生まれ変わり、たまたまその家の売却の新聞広告を見つけたアリーが、親の反対を振り切って婚約破棄してまで再びノアの元に戻る。裕福な家庭に育ち親の価値観を押し付けられて育ったアリーと、貧しいながらも自分のやりたいことをやり、心豊かな生活を送ってきたノア。結果、誰かに強いられる人生よりも、、自分に正直になってやりたいことやったほうが人間幸せだよというメッセージもさることながら、主人公の強い信念と、親の影響や家というものの存在の大きさが印象に残るストーリーだった。 (改めて映画を見返すと、息子の夢を叶えるために黙って自宅を売ってしまうノアの父親が最高にかっこいい。)他にも、シンプルライフの名著とも言われるヘンリー・スロー作「ウォールデン森の生活」は価値観に大きな影響を与えた。

実体験として、一人暮らしを始めて以来、いろいろな家に住んできて、古民家というカテゴリーに対しての夢が膨らんだ。郊外の上京者の寮、高円寺の小綺麗なアパート、ルームメイトと揉めたアムステルダム大学の寮、ただの荷物置き場となった江戸川区の社員寮、奥さんと同棲をはじめた五反田のボロいマンション、結婚して引っ越した祐天寺の低層マンション、新築で購入して1年で売った大崎のタワマン、祖師ヶ谷大蔵のリノベ築古マンション、鎌倉の戸建貸家、ロサンゼルスの家族向け大学寮、幡ヶ谷の古民家、代々木上原の新築ヘーベルメゾン。人生いろいろあり、よくもまぁこんなに引っ越したと思うが、圧倒的に新しいより古い物件、狭いより広い空間が好きだった。幸い奥さんも同じ価値観を持っていた。福岡に引っ越したら広い古民家に住むというのは、理想というよりむしろクリアすべきミニマムな条件にもなっていたような気がする。物件ありきで福岡に移住したわけではなく、保育園の申し込みぎりぎりの3ヶ月前とかに移住を決めたので、とりあえず機能的に充実した築浅のマンションに引っ越した。東京に比べたら広さは1.5倍で家賃は半分。結婚10年目を迎える夫婦にとっては最長となる2年を過ごし、綺麗で便利だけど、愛着は感じられない家だった。むしろ留学から帰国後に金がなくて、とりあえず空きがあった保育園の近くで一番安かった築60年超(おそらくもっと古かった)の平屋のほうが、わずか半年たらずにも関わらず、記憶も愛着も濃ゆい。子供が小学生になるまでに「家を買う」と夫婦の中で決めていたが、新築戸建てという選択肢はあまり考えなかった。単に古いほうが好きというのもあるが、同じ値段で土地4倍、建物2倍の広さを叶えてくれる古民家物件のほうが遥かに魅力的にうつった。

物件との出会い


その古民家との出会いは移住して間もない頃だった。自分が津屋崎千軒というエリアで空き家を借り始めたのと同じタイミングであり、そのエリアの中心とも言える場所付近にある築100年の物件。父親の実家が昔このあたりにあったという事実はあるものの、そこまで大きな執念じみた想いがあったわけではなく、海が近く、どこか退廃的でノスタルジーな港町の雰囲気で俗世と隔離される感覚が気に入っていた。聞けば、おばあさんが最近まで一人暮らしをしていたが、施設入居を機に売りに出されたところ、解体を防ぐために、町の人たちが出資し合って物件を買取り、建物を残して活用してくれる人を探していたという。なんだか少し荷が重たいなと思うが、それだけ町の景色と歴史にとって大事なものであることは間違いない。でも、最初見た時はあまりに残置物でごちゃごちゃしていて、昭和的な改装が施された家の中は思い描く古民家とギャップがあり、スルーした。そこから約一年ほど、エアコンで快適な賃貸マンションと、ほぼ外と同じような築50年の事務所を行き来する生活を送り、東京の頃の消費者的なマインドが、どんどん生産者的なほうへ移っていった。不便で不快な建物であっても自分の好きなものに囲まれて、好きなように変えられて、自分でつくっているという感覚をもてるもののほうが居心地がいい。この事業用に借りた物件も、通りに面した一階の土間が元自転車屋、一階奥と二階が居住スペースという職住一体のための家だった。昔はこういう暮らしが当たり前だったんだろうし、近所同士の支え合いや自分たちの生活を自分でつくる感覚が濃ゆかったのだろうと想像する。現代では近所で買い物できるものもネットで買い、開けたらすぐ使えるみたいな便利な物で溢れてる。生産より消費の比重が増えることで、自分で生きるより誰かに生かされてる感覚が強くなる。戦前では地域の人々が協力し合って家を建てることが当たり前だったのが、経済成長とともに家も買い物になった。そして長くもつ丈夫な家よりも、安く早くつくれる(30年で建て替えられる)家ばかりになった。たった一年の間にも近隣の古い家が何軒も建て壊され、その度に捨てられる古物を頂戴しにお邪魔したが、他人ながらも家の記憶とともに家族の思い出のようなものが消え去る哀しみをどことなく感じた。そして、昨年夏には自分の父親の実家があった土地で唯一残っていた建物も壊された。そこに住みたいという気持ちはなかったが、こうして建物がなくなるということは人々のストーリー、町の記録と記憶がなくなっていくことなんだろうなと思った。

そこで、一年前に見た物件のことを思い出し、まだ買い手がついていないことを知り、再び見せてもらうことにした。残置物の多くが処分されていて、以前よりがらんとした本来の古民家の姿が少し見え、自分の意識の変化もあり、まるで別の建物のように思われ、100年もの間そこに建っているという事実の重みを感じた。そして、以前の持ち主も製パン業を営んでいたというストーリーにも何か縁があるかもなぁと思った。レコードとオーディオに触れすぎて、古いものを活かすことが自分にとってデフォルトになってきたのもあるかもしれない。よく、古民家を住めるようにするには新築と同じかそれ以上のお金がかかるということも言われるし、どこにどれだけ必要かもまったく見当がつかない。地震で崩れないか?屋根や構造に傷みはないか?思いもよらないところに落とし穴がないか?いろいろな不安が脳裏をよぎる。そこから、色々と古民家について勉強して、伝統構法で建てられた古民家は免震構造で現在の建築基準法でいう耐震基準とは全く別の建てられ方をしていること、木材は100年くらいで強く頑丈になっていくこと、建て替えではなく手をかけて維持していくことを前提につくられていること、などを知った。単に最初に新築と同じかそれ以上のお金がかかったとしても、30年ではなく次の100年、孫の代までもつ建物だとしたら3倍以上お得だということになる。そして、同じような物をいまつくるとしたら1億円は超えるかもしれない。自分の子供にずっとここに住むことを強要する気もないが、町の人たちが建物を守ったように、誰かが家の記憶とともに紡いでくれるのであれば、記録としても残っていくことになる。先祖からの命のつながりや、縁の力を感じさせてくれるのが、家という圧倒的な存在なのではいかと思う。現実的な諸々な問題はさておき、そんな唯一無二の価値をこの家に感じて、住み継いでいくことに決めたのだった。

自分の住む家に向き合う


すったもんだはあったものの、地元の工務店・信用金庫に頼んでローンを組んで改装準備にとりかかったのが、いまから半年ほど前だが、そこからさらに二転三転あって今に至っている。この物件は大正時代に建てられた母屋に年代不詳の増築部があり、内装は昭和時代に改装されている。水回りを刷新する予定の増築部には雨漏りもあり、ほぼスケルトンにしてやりかえるような計画だ。改装の費用を抑えることと、構造を理解することを目的に自分でできる範囲で解体をしてみた。母屋は建具と畳を剥がすだけだったが、問題の増築部は接着剤やら釘やらで合板をがんがん打ち付けてあり簡単に剥がせない。母屋の部分も土壁のままにしておけばよかったものの、化粧合板を貼った箇所が案の定、白蟻の被害が見つかった。こうやって自分でやってみると、いかに本来の古民家が合理的にできていたかがよくわかる。一度つくると変えられない昭和時代の部分からどんどん劣化していて、大正時代のほうは構造が剥き出しで風通しも良いのでほとんど傷んでない。傷んだら見に見えるから直せばいい。古民家は本来、季節や条件・目的によって対応できる可変性と許容度が高くなるようにつくられている。日本の狭小住居の原型、最古のモバイルハウスと呼ばれる「方丈記」の方丈庵(四畳半の折り畳み式住居)はその最たるものかもしれない。実際に、今でも古民家は解体されて場所を移して再建築するという移築が行われている。増築部の天井を剥いでみると梁の丸太もかなり太く、床には基礎がなく柱は石場建(土の地面の上に石を置いて柱を載せる)になっており、相当に古そうな構造だということがわかった。屋根裏の野地板は煤で黒くなっており、おそらく昔は土間で台所など水回りがあったのではないかと思われる。「本来の古民家の姿」というものの妄想が膨らんでいた自分にとって、いっそ、かまどと、薪風呂と、井戸だけで生活するトトロのサツキとメイの家にしてしまえという気も湧いてくるが、流石にそこまで家族に強いるのもどうかなと冷静になる。そんなこんなで、白蟻にやられた大事な梁をどうするのかが大きな悩みの種となる。

家にとって最も大事なのは屋根や柱・梁といった躯体だ。現行の建築基準とは全く異なる考え方でつくられた古民家にとって、耐震基準を満たすために耐力壁、筋交い、金物でガチガチに構造を固めることは本来の柔らかく自然の力を受け流す構造の良さをなくしてしまうことになるため、考えないものとした(それによって税金の控除や補助金が受けられないデメリットもある)。とは言え、素人では判断しにくい躯体の痛み具合を専門家に診断してもらうために古民家再生協会にお願いしてみてもらった。結果としては、白蟻被害や床下の腐朽した箇所もあるものの、地震ですぐ倒壊するような危険な状態にあるわけではなく、対策をしっかりすれば次の100年まで持たせることができるだろうと言うお墨付きをもらった。補強をしっかりとするため、設計士の方に入ってもらい、改めてプランを練り直すことになった。コンセプトとして希望したのがオーガニックとオフグリッドという点で、化学系のものを極力使わず、必要なエネルギーを自給し、「人と自然が調和する家」というものを目指したいと伝えた。有機的建築を提唱したことで知られる建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの展示に行って感化されたのもあるが、日本の古民家での昔の暮らしはオーガニックでオフグリッドそのものである。そう考えると単に昔に戻るだけなのだが、現代の生活慣行に合わせようとすると、このコンセプトを実現することは簡単ではない。食べ物で例えると、オーガニックなものは身体にいい代わりに価格が高く、自分で畑から育てて作らない限り、贅沢品だ。単にお金を節約するということではなく、経済合理性に従わずに自己の選択に従うという点で、本当の自給自足生活というのは贅沢な生き方なんだなと感じる。予算の制限がある中で、どこまでコンセプトを具現化できるかは自分の関わり方次第であり、常識に従えば経済的・論理的な判断がなされる。そこに自分の感性を注ぎ込むには、頭と手足を駆使しまくるしかないのだ。

改装計画を再検討しているうちに、借りていたマンションの契約更新が近くなったため、マンションを退去して、事務所の隣に借りていたもう一軒の空き家(築60年)に仮住まいすることにした。子供たちはボロいとかぶーぶー言っていたが、戸建てというのはやはり空間的にも精神的にも安らぐし、いくら子供が騒いでも隣にも気をつかわなくてもいいし、マンションより遥かに住み心地がいい。おまけに、たまたま事務所の隣に住むおばあちゃんに空き家を貸してもらえているので家賃は破格だ。まだよく状況がわかってない子供たちには、「いまは古いおうちを住めるように直してるんだよ」とか話しているが、「古い木のほうが硬くて丈夫なんだよ」とか「自分の好きなようにつくれるんだよ」とかいうのを吹き込みつつ、友人の実家のように、なんか親父が頑張ってつくっているという記憶を植え付けようとしている。ガチのセルフビルドは無理だし、素人の限界はあるので、プロに任すべきところはしっかりお願いしつつも、自分たちの理想の生活を可能な限り自分たちの手でつくるべく、日々あれこれ思案して、何度も途方に暮れつつ、ゆっくりと着実に前に進んでいる。

家は一生の買い物とよく言うが、自分が住む家を自分でつくるというのは、純粋に心からワクワクする楽しいことで、買い物で済ますにはもったいない。住むこと、暮らすこと、つくること、日々の営みの中に自分という意識を強くもつことが、より豊かに生きる、ということになると思う。生活の器となる家にこそ時間と手間をかけることが、毎日に彩りをもたらす。もちろん他にやるべきことがたくさんある時は買い物するしかないけど、前の持ち主(会ったことはないけど)、町の人たち(いつも家の状況を聞かれる)、自分の家族、そして未来の継ぎ手、いろんな人の想いが家という存在に宿ると考えたら、いまこの家に自分の想いを注ぎ込むことが長い目で見て大切だと思う。やっている間は辛くて大変な思いばかりだけど、後から思い返せば最高に贅沢な時間の過ごし方だったと思うことだろう。

だから、家をつくる。それが、生きることだと感じるから。

つづく

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