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「学校の英語教育は文法過多でもっと実用的な英語を学ぶべき」は本当か

タイトルにあるような主張を、よく見かけます。
本当にそうなのか、さまざまな角度から考察してみました。
結論から言うと、僕は、この主張は的を射てないような気がします。
小学校では年齢的にそもそも文法をやらないので、今回の考察対象は中学高校です。


1. そもそも文法過多とは何なのか

そもそも文法過多ってなんでしょうか。少し掘り下げて考えてみます。
要するに文法を学びすぎということですが、それは「文法なんて多少めちゃくちゃでも伝わる。伝わればいいのだから文法よりもっと他のことをすべき」であったり、「やっていることは確かに重要だが、深くやりすぎていたり重要度の低いものまで学んでしまっている」という考えからくるもののようです。

どうやら大雑把に、そもそも文法の重要性を軽視したものと、文法の重要性は認めつつその中身に改善の余地を感じているものの二つに分類することができそうです。では、これら2種類の文法過多派(とここでは呼ぶことにします)の主張についてそれぞれ言及していきます。

2.「文法がめちゃくちゃでも伝わればいい」
について

まず、この言説についてですが、一つはっきりと言いたいことがあります。それは、私たち国民は、国の英語教育のお客さんではないということです。国が私たちに英語の教育を提供してくれるのは、もっぱら私たちのためではなく、国が、私たちに英語ができるようになって欲しいからでもあるのです。

だから、私たちが文法なくても伝わるからいいと思っていても、国がそう思っていない以上は、国の教育に文法は含まれるし、私たちは半ば強制的にそれを学ぶことになるということです。つまり、文法の教育の重要性は、国視点で考えなければならないのです。


そして、国の損益は最終的には国民の損益になるので、私たちの問題でもあります。それについては、この記事では深く説明しませんが、何となく分かっていただけると思います。一応、こちらの記事で詳しく解説しています。


3.国が求める人材とは

国が私たちに教育と提供するのは、人材育成のためです。では、国はどのような人材を育てたいのでしょうか。

文法はあんまり理解できていないけど、とりあえず伝わるよう喋れる人材がほしいのでしょうか。確かに全く意味がないわけではないと思います。外国人のイメージアップになるかもしれません。

しかし、国としては英語がちゃんとできる人材を育てなければいけません。研究に携わる人は、英語の論文を読み、英語の論文を書けなければならないし、国際社会で活躍する人も、きちんとした英語が使えなければなりません。

そうした人材を育てるのは国の責任です。そうである以上、国はきちんとした英語教育をしなければならないのです。きちんとした英語とはなんでしょうか。少なくとも文法がめちゃくちゃではだめでしょう。出川イングリッシュでは通用しません。それが、文法を学習しないといけない理由です。

4.高校終了時点で、一通りの文法の学習が終了する

次に、文法の重要性を認めつつ、やりすぎではないかという意見について考えてみます。

実は、高校までの英語学習のカリキュラムは一つ素晴らしいところがあります。それが、この節の見出しに書いた、高校終了時点で、一通りの文法の学習が終了するという点です。

だから、(外国語学部などは例外かもしれませんが、)一般的には大学で文法の授業はありません。もう学ぶことがないからです。

文法も、細かいことを追っていけばキリがないのかもしれませんが、メインとなる重要な文法事項は有限です。それを高校までで学び切ってしまえば、そこから先の英語学習はそれ以外の勉強に専念できるのです。

これってとても素晴らしいことではないでしょうか?高校になると勉強が難しくなって、「ここまでやる必要あるのか・・・?」と思うかもしれませんが、そのような内容を省いて大学以降に学ぶことになるより良いのではないでしょうか。それに、大学まで先延ばしにすると、それまで文法が分からず不便するかもしれません。

なので、「高校までで一通りの文法が学べるようになっているのだから文法学習は決して過多ではない」というのが私の立場です。

5. 受験でしか役立たない構文(補足)

といっても、学校での文法の学習に、全く無駄がないかといえばそんなこともありません。例えば、クジラ構文と呼ばれる有名な構文があります。

これは、実際に海外で使われることはほとんどなく、死んだ英語と言われています。こういった知識は、確かに受験でしか役に立ちません。なので、こういう死んだ部分に関しては省いてスリム化するといい気がします。

といっても、量は知れているのでこれをもって文法過多と言うのは言い過ぎだと思うわけですが。。。

6. 大学が求めている英語力

と、これまでの節で文法をやらないといけない理由とそれに対してほとんど現行課程に近い量やらないといけない理由について説明しました。

なので、文法学習が過多だと言う主張に対する反論は終わったことになります。では、最後に、もっと実用的な英語を学ぶべきという主張について考えてみます。

4技能の重要性が叫ばれ、それに英語教育もそれに近づいているとはいえ、学校の英語学習は実用性からかけ離れていると感じている人も多いかもしれません。

先に答えを言ってしまうと、学校の英語学習が実用的でないと感じる理由は、それがアカデミックイングリッシュ、学術英語へと近づいているからです。

中学、高校までの勉強は、レベルが上がれば大学に入るための勉強になりますが、それは、大学が求める学力を身につける勉強になります。確かに、日常生活で使うような英語や、ビジネス英語の方が、実用性があるでしょう。

しかし、大学が求めているのは、学問と研究に重要な、学術英語ができる人材です。だから、入試もそれに近いものになっています。実用性が低いと感じるのも、仕方ないのかもしれませんね。

7. おわりに

誰しもが一度は、学校の英語教育のありかたに疑問を感じたことがあるのではないでしょうか。こんな英語の勉強しててもちっとも身につかない、と。

でもそれは、大学が求める学問的な英語を身につけているからであって、日常生活で使うような英語やビジネス英語を学んでるわけではないからです。

決して、非効率で、意味のないことをやってるわけではないのです。そして、そのためによく槍玉に上げられる文法ですが、これのカリキュラムも、よくできたものであることが分かっていただけると幸いです。



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