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象徴への草稿。

まず日本には象徴がいることを考えたい。
世界中を見回してもこれほど長く象徴が存在している国もない
この特異性を喜ぶべきかどうかは別にして
海外からは恐らく日本を神秘的にしている要素の一つといえる。
アイドルは偶像であり期限がある。
象徴はその血筋が続くことで
象徴としてあり続ける
現代的にはとてつもなく厳しい宿命を
背負っている。
(それがあり得ること自体、別の立場からすればありえないことなのだろう)
日本の象徴であり、看板であり、代紋である。
日本が日本たる所以の基礎にある存在。
このためこれを害することは日本にいて日本に愛着がある人たちを傷つける。
敗戦でこの点を忖度され敗戦という現実に打ちのめされた日本にいる人々を
これ以上を痛めつけて良いものか・・と
理解ある人々によって
残してもらったものでもある。
以上のことからしても、
税金の無駄使いだ!とかいう見解は日本の見栄を害するもので一定の許容というか、いいのではないかと個人的には感じてしまうが
それが一定の説得力を持っているのが現実だとすると著しく日本にいる人の余裕が無い状態であることが分かり世情の発露ともいえる。
外国から日本はちょっと違うぞ(心理的に)と
一目置かれる何かしらのファクターのうちの一つとして機能し続けるのだから
象徴をいい感じに残し続けることはメリットなのだと思う。(象徴である彼らの思いをさし置いてはいるが)
また彼らの先祖もそうして何とかして生きながらえ最終的な権威として日本にいる人たちの納得の落としどころとして
機能してきたのだからその機能は持つべきである。(何度も言うが彼らには酷な話であるが)
後の世界で前代未聞の組織的慣習的な人権侵害と言われることも覚悟しつつ
彼らの想いも尊重しつつうまく付き合っていかねばならない
日本とはそういうもので、いままでもそうしてきたのだろう。
それを知り考えることで日本にいることの基礎になりえる気もする。
割り切れないものの最たるものであり、また日本らしいものかもしれない。

以上

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