母と本のはなし

わたしの母が生まれ育ったのは群馬県の山に囲まれた農村で、実家は民宿、スーパーは歩いて30分のところに夫婦が営む万屋が一軒、コンビニは20年前、山を越えた街の端っこにようやくできた。

母が農村の小学校に通い始めたのは50年余り前のはなしで、母の周りには外界の情報を得る手段がほぼなかった。テレビは近所の裕福な家に一台、小学校に図書室は無く、移動図書館が時々来て、児童書の選び方も分からず偶然手に取った洋書は、よく分からなかった。

母が中学校に入ると、世の中には本が、小説が、図鑑が、専門書が、無数にあることを知った。今でも母は言う、小さい頃から本を読みたかった、本を読んで素晴らしい世界を知りたかった。本を読むことについて教えてくれる人が欲しかった。母は中学生になるまで本を読むことを知らずに生きてきて、今でも本を読むのが苦手なのだ。

18歳で上京し、夜学に通いながら洋裁の仕事を始めた。本当は大学に通いたかった。知人の紹介で知り合った父は良い大学を出た東京生まれの都会の人で、9つも年上で、少し照れ屋で強がりで、何より本が好きな人だった。

初めてのデートは喫茶店で、めかし込んできた母を直視出来ずに小説をそのまま読み切った。やばすぎだろ父。

本題に戻るが、そんな母なのだ。23歳で結婚し、本の虫をそのまま受け継いだ姉とその真似をしてよく本を読む私を生み育ててくれたそんな母なのだ。私と姉が本の話をしていると一生懸命に聞き、読んでもいないのに楽しそうな顔をする。本を読んでも話の内容が分からない。文章に飽きて短編小説しか読めない。そんな母なのだ。

この話を書こうと思ったのは、母が私達に贈る本のチョイスがまあ悪いという話をしたからだ。なんてったって全23巻の人気児童書の6巻だけを買ってくる。(内容が全く分からない)小学校3年生に小学校1学年向け!とある短編集を買ってくる。(ひらがなばっかり)極めつけは胡散臭い自己啓発本まで勧めてくる。甚だ信じられない。

そうした話をしていたら、母は本当に分からず全23巻のうちの6巻だけを買ってきたようで、本当に良かれと思って短編集を買ってきたようだった。なんてったって今まで本を読んでこなかったから。試しに数ページ読んでも面白い本かどうか全く分からないのである。

自分が全く読めないのに、毎年毎年本当にたくさんの本を買い与えてくれた。それは母が私たちに本という世界があることを教えたかったからである。私たちにその可能性を与えたかったという。そんな事は唯の愛だ、自分が好きでもない、分からないものをうんうん悩んで子供にプレゼントするのだ。それも毎年。

本のチョイスが悪すぎると20年ほど思っていてごめん。母よ。でも本が読めないことと6巻を買ってくることは違う気がする。が、母の愛を感じた瞬間だった。ここで書いたこと実はこの時に初めて聞いたことばかりだったし、私は母のことを1%くらいしか知らないものだなと思った。そして父との初デートでよく別れなかったなあ。

そんな日でした。そんな母が大好きです。

因みに母の過去は中々に面白いエピソードで溢れてあるのでまた書きたいな。会社を1日で辞めた話とか。

おやすみなさい。

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