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とうとう「すれっず」とやらへ

すれっず、とやら

様子見をしていたけれど、
「インスタの投稿動画作るよりは、文で書いた方が早いのでは?」と気付き
一旦開設。

↓今日投稿した内容



発達障害に興味を持ったきっかけは、母の読む書籍だった。母が勉強のために積みながら読んでいた本を、下から順に私も読んだ。
「クラスの“できない子“とおもっていた友人はこんなふうに苦しかったのかも…」と思ったのと同時に
「私にも、十分傾向はあるな」と思った。
これが、私の中の、本当の意味での「障害」との出会いだったのかもしれない。

感情が鈍かったから「あなたも同じことされたら嫌でしょ?」が分からなかった。時間をかけて「人間はこういうことをされるのが嫌なんだ」と一つずつ学んでいった。

どんなに細かくても、違いがあるとそれを捉えてしまった。「ティッシュをポイ捨てしない」と「お菓子の袋をポイ捨てしない」は私の中で全く別の話題だった。
ティッシュで怒られた直後に平気でお菓子のゴミを捨てる子どもだった。なぜ怒られるのかわからなかったから、これもやっぱり一つずつ学んだ。

障害の定義を見ていると「日常生活に支障をきたさないもの」的な文言をよく見かける。

幸か不幸か、人よりもいわゆる「お勉強」ができてしまったので、障害特性らしきものは隠されてしまっていた。「お勉強ができる子だから、ちょっと変わってても普通よね」と思われていたのかも。

世の中に関することほとんど全てを「お勉強」して身につけた。

何が正しいかを、いつも考え続けるクセがついた。

今日、たまたま、これらの自分の経緯について話すことがあった。
久しぶりに過去のことを掘り起こしたので疲れたのか、家に帰り着いたらパタリと眠ってしまった。

昔から、どんな時でも「過眠」になる。

私は物事をわかっていないから、人よりもたくさん見ないといけない。人よりもたくさん、どんなこともわかるように目を動かし続けて、耳を傾け続けないといけない。

だって私は「わかってない」から。

そう思って生きてきたし、多分これからもきっとそう。

人よりたくさん頭を使わないと、私は生きていられない。

過眠は、脳への情報量が多いことによる脳疲労で起きるらしい。
仕方ない、これ以外の生きていき方がもう、わからないのだから。

この生き方を変えたいか?つらかったか?
とも聞かれるけれど
これに関しては「よく分からない」のだ。
この生き方しかしてきてないので、他の人たちがどれだけ「楽に」生きてきたかなんて、私にはわからない。

私が見る限り、みんなみんな、それぞれ何かの苦労をしていたと思うから、
誰かだけ、ってことはないのかなと思う。

何より、今、この仕事に就いていて、
ほんの少しでも、お子様の気持ちがわかるのがうれしい。
「わかるわかる!あなたは、同じことされても嫌じゃないし、そもそもそんなの関係ないよね!わかるよー!」
「そうだよね!これとこれって、違う話って思うよね!わかるー!」
と、児童理解とかいうより、完全に「味方」になれるのがうれしい。
それを他の大人に通訳できるのもうれしい。

私だから分からないこともあるけど、私だからわかることもきっとあると、信じられるから。



すれっずではこれからもこんな感じのことを書いていくので
フォロー等はご無理なくー。特支のことばかりになる予定。

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