見出し画像

水上村、でこぼこ道

水上村の道はでこぼこしている。

カンボジアのシュムリアップ。アンコールワットで有名な観光地は、驚くほど整備されていた。荘厳なホテル、ライトアップされた道、幅広の道路はコンクリートでキレイに舗装されている。

Pub streetの店からは、爆音でEDMが流れている。土産物屋が立ち並ぶマーケットでは英語が飛び交う。そこは、教科書で学んだカンボジアとは別世界のリゾート地だ。

そこから車で45分。コンポンプルック村(Kampong Phluk)を訪れた。

数メートルの木製の骨組みのうえに、家が建っている。「水上村(Floating Village」という名前だが、乾季の今は湖の水が引いており、村の中心を流れる川があるだけだ。これが雨季になると数メートルも水かさが上がって道がなくなり、船で移動するしかなくなるという。文字通り、Floatingになるらしい。

水上村にどうしても行きたい理由があったわけではなかった。せっかくカンボジアまで来たのに、遺跡めぐりだけではもったいないような気がしたので、おまけに参加することにした観光客向けのパッケージコース。大きな期待はしていなかった。

料金とツアーの時間によって多少の違いはあるが、どのツアーも流れは同じようなものらしい。

市内のホテルまでは迎えが来る。空調の効いたバスに乗って現地に行き、観光客向けの大きなモーターボートで川を下る。両岸にはお目当ての水上村があり、その様子を船のうえから「観察」する。

ボートを降りると、今度は湖の上のマングローブ林を現地の人が漕ぐカヌーで周る。ゴールは湖の上のレストランで、そこで食事をしたり、ビールを飲みながら湖に沈む夕陽を眺める。

一通り「冒険」を終えたら、モーターボートに乗って川を上り、バスに乗ってシュムリアップ市内のホテルに戻る。以上。

完璧にパッケージ化されたツアーのなかで、僕らはガイドに導かれるままに「観光名所」となった人々の暮らしを眺める。観光として水上村を訪れる人たちが、「一風変わった」人々の生活を眺められるように設計されたプランである。

ツアーは楽しかった。モーターボートで川を下るのは新鮮だったし、開放感があった。見たことがない高床式の建物、川から手を振る現地の子どもたち。わずか1時間前までいたシュムリアップ市内とは打って変わって、教科書やドキュメンタリーの中のカンボジアがそこにはあった。

自分の日常とはかけ離れた異世界に来たような感覚。好奇心の赴くままに、僕はその世界を眺め、思い出を写真に納めた。楽しかった。

一方で、大学で国際協力のゼミに入り、大学院で多少なりとも人類学を齧っていた身からすると、課題文献で読んだ「『珍しい』文化や体験を消費する」側の立場は少し居心地が悪かった。

『途上国は先進国の学校か?』というテーマでフィールドスクールを批判的論じる卒論を書いた友人の顔がチラついた。大学院で取った「観光人類学」の授業が頭をよぎった。数年前、単位を取るために慌てて読んだ論文の詳細は忘れてしまったが、観光開発を論じた内容はぼんやりと覚えている。

いわゆる「先進国」の僕らは、「途上国」の暮らしを観光しに行く。自分たちの便利で快適な暮らしからは想像できないような、「原始的」な生活をしている人たちを眺めに行くのだ。

僕たちが見たいのは、「不便な暮らし」そのもの。電気は通っていない方が良い。水道もない方が刺激的だ。家もボロいに越したことはない。要するに、日頃の生活で追い求めている利便性の真逆であること。日常生活との距離を楽しむのである。

単なる旅行とは明確に異なる文脈がそこにはある。ヨーロッパに旅行に行くときの僕たちの関心ごとは、市井の人の暮らしではない。有名な美術品であり、テレビで見た美しい風景であり、雑誌で特集されていた有名なレストランの食事である。

どちらも非日常空間であることは変わらないが、両者には明確な違いがあるだろう。経済格差に基づく不均衡な関係が生み出す、観察する側/される側という立場の違いは、避けようがなく存在する。


僕が参加したツアーはまさに観光開発の一環として、水上村の人々の生活を見せるというものだった。おそらくは現地の人は乗ることはないであろう観光用の船の上から、かれらの家を、かれらの暮らしを眺める。それを売りにしたツアーだった。

ホテルまでの迎え、流暢は英語を話すツアーガイド、フォトスポットを備えた水上レストラン。観光客向けにアレンジされたツアーに沿って過ごしているかぎり、僕たちは水上村に暮らす誰とも本質的にはかかわらない。

笑顔で手を振る子どもたちに手を振り返したところで、船の上からかれらの姿や家や遊び場を眺めるという一連の行為の延長線上である。むしろ、テーマパークのアトラクションを楽しむ感覚に近く、子どもたちもアトラクションの一部と化している。

マングローブ林を進む僕らのカヌーを手漕ぎで操舵してくれる女性も同じだ。小さな船の上、わずか数十センチのところにいるが、彼女と言葉を交わすことはない。というか、おそらく教育を受けること自体が困難な環境で育ったであろう彼女と、「こんにちは」と「ありがとう」しかカンボジア語を知らない僕の間には通じ合える言語がない。ほとんどの観光客がそうだろう。

彼女は、観光客がマングローブの森を船で渡るための動力と、「現地らしい」、「本物ってぽさ」を提供するだけの存在である。

古ぼけた洋服、日に焼けたすっぴんの顔、無造作に束ねられた髪。どこからみても「途上国の人」である彼女が、円錐形の帽子をかぶっている船を漕ぐ。その姿は、景色に溶け込み、高床式の家やマングローブ林と同じように僕たちの観光の対象となる。

自分でわざわざお金を払ってツアーに参加したくせに、頭の中ではこんなことをあれこれ考えていた。

TikTokの撮影に夢中な西洋系カップルを横目に見ながら、「僕はこの人たちとは違います。」と言いたい気持ちになった。

何が違うのか?というと、多分何も違わない。自分自身の娯楽のために、コンポンプルック村の人々の生活を観光として消費していることにはかわりはない。

そもそも、観光開発は必ずしも悪いことではない。貧困にあえぐ人々のギリギリの生活を、海外旅行を楽しむ一環として見に行くというと聞こえが悪いが、だからと言って「観光として消費するな!」と叫ぶことは誰の助けにもならない。

ツアーガイドのティアさんは、「水上村の人たちは、あなたたちのような観光客からの収入を頼りに暮らしている。それがカンボジアの漁村の人々を救ってくれる。ありがとう。」と行きのバスで僕たちに頭を下げた。

僕を含めて、「水上村の人たちの生活を支えたい」という思いでツアーに参加した人は誰もいないのだから、お礼を言われる要素はまったくないのだが、一つの事実ではある。

村の漁師のなかには、収入の6割を観光業から得ている人たちもいるという。かれらは自分の生活の空間を観光客に見せることで、その生活を成り立たせているのだ。

貧困削減の一環として、貧しい村の歴史や自然を観光資源として利用する開発のアプローチ、「金持ちが貧しい人の暮らしを眺める旅行」への批判、どちらにもそれなりの理がある。

どちらの議論も表面的に齧っただけの僕が考えたところで、何かしらの結論が出るわけもなく、ぐるぐると答えのない問いが頭の中を回り続けた。

夕日が沈み、帰りの船に乗る。下ってきた川を戻って、帰りのバスに乗る時間だ。いくつかの水上レストランに散らばっていたのであろう、十数台の大型の観光船が一斉に引き上げていく。これから僕たちは、空調の効いたホテルに戻り、ゆっくりと湯船にでも浸かりながら、水上村の思い出を振りかえる。

高床式の家やカヌーで渡ったマングローブ林の写真をSNSに投稿したら、ちょっとした冒険家になった気になるかも知れない。

一方で、僕たちが観光を終えた後も水上村の生活は続く。カヌーを漕いでくれた彼女は、家に戻って家族のために料理をするのだろうか。

僕が覗いたかれらの暮らしは、僕がホテルでSNSを眺めている間も続いていく。

ぼんやりとそんなことを考えながら船に乗っていたが、もう一つ「アクティビティ」が待っていた。ツアーガイドのティアさんに連れられて、村を歩く。

出発した村の入り口にある船着場より数百メートル離れたの場所で船を降りる。十台の船の中には、村を通らずにその先の船着場まで戻るものもある。下船したのは3組くらいだろうか。僕たち以外の組も、村の中は歩かず、降りた場所でバスに乗って車内から村を眺めるようだ。

バスを見送り、一緒のツアーに参加している十数人のグループで村に足を踏みいれる。少し前に船の上から眺めていた地面に立つ。

村の間を割くように道路がある。とはいえ、バスと数台の原付バイクを除けば、その道を通る車両はない。両脇にあるのは先ほど船から眺めた高床式の家々だ。

道端には魚を燻している人がいる。子どもが走っている。赤ん坊を抱いている人。ベンチに座っている人。

途中で学校の前を通る。川側から見た時は気が付かなかったが建物の道路側は壁もない。数メートルの高さの骨組みに、十数人をのせるにはいささか不安な造りの小屋がある。午前クラス、午後クラスの二部制だが、希望者はこうして夕方に追加で授業を受けられるという。

学校の前あたりで、ノートやペンをカゴに詰め込んだ女性が僕たちのグループに声をかけてくる。

Do you want to buy pencils for children? buy notebooks for school?1 doller, 1 doller!

流暢とは言えない訛りの強い英語だった。英語が話せる、というよりは売り文句として暗記しているのだと思う。school, children, educationを順番に並べて参加者に話しかける。彼女にお金を渡すと、子どもたちの文房具代になるのだろうか。

ほかの参加者はあまり関心がないようだ。あまりに声をかけてくるので、1ドル渡した。ニコリともせずに受け取ると、また別の参加者に声をかけに行く。

その後も彼女は諦めずに何度も声をかけてきた。For school! for education! 1 doller!の声を浴びながらもう少し村を歩くと、僕たちのバスが待っていた。

バスの手前で、子どもがライターで遊んでいる。近づいてきたので、かれもライターを売っているのかと思ったら違ったようだ。僕たちに一瞥をくれると、目の前を横切って家に駆けていく。

バスに乗り込む。ドアが閉まるとそこは村から隔離された別の空間になる。文房具売りの女性も、駆け回る子どもも乗っていない。

結構のところ、わずか十数分、数百メートルを歩いただけでは、かれらのことは何もわからない。村に足を踏み入れないままシュムリアップに戻ったグループとの違いはほとんど何もないだろう。

でも、子どもが前を横切ること、真横にかれらがいること、声をかけられること、応答することはいずれも人と人としての繋がりを作る。

船の上から眺めていた景色に降り立つと、そこには人の生活があった。テーマパークをクルーズ船で旅するような感覚ではいられなくなる。風景に溶け込んでいた一人一人が、前面に出てきてくる。

船の上から無邪気に押したシャッターを押すことが急に気まずくなる。「珍しい高床式が立ち並ぶ風景」が、急に「目の前の人が住む家」に変わる。

違うコースを選んでいたら僕は高床の家に住む人たちと言葉を交わすことがなかったかもしれない。

学校のために!と押し売りに近い感じで声をかけてくる女性の声を少しわずらしくも思いながらも、眺める対象だった場所がリアルな色彩を帯びた気がした。

同じ場所にたって、触れることができる距離まで近づいて、行儀良く写真のなかに収まっていた村は立体になった。

村と村の人たちを残してバスで市内に戻る。かれらの村の道路はボコボコしていた。段差のたびにスピードを落としながら走るバスに揺られながら、観光開発について改めて考えていた。

何が正解かはわからないが、1ドルしか渡さなかったことの後悔と、目の前を横切った子どもの顔は忘れないようにしようと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?