【新潟県三条市】金属加工と五十嵐川の意外な関係性!
皆さんこんにちは。新潟県三条市在住の21歳男性のけけけのけと申します。いきなりですが。私は三条市に住んでいながら自分の市で発展している産業の歴史について全然知りませんでした。大人になるにつれいろいろな人と関わる機会が多くなる中、自分の市の特徴について詳しく回答できないことが恥ずかしいと感じるように…ということで今回は三条市で有名な金属加工と、金属加工の発展には欠かせない五十嵐川についての意外な関係性について調べましたので、お伝えしていこうと思います!
三条市を軽~く紹介
その前に、まずは三条市を軽~く紹介していきます。三条市は新潟県のほぼ真ん中に位置する市で、人口はおよそ10万人。市内には信濃川の支流である五十嵐川が流れていて、自然の豊かさを感じることができます。また、産業においては三条市は県内有数の工業都市で鍛造やプレス加工、金型製造といった金属加工業が非常に盛んです。隣の市である燕市と共に燕三条ブランドとして世界に羽ばたいていて、その品質の高さから世界中で評価を得ているほどです。金属加工業に付随して、卸売業も盛んであり、「犬も歩けば棒にあたる」ならぬ、「犬も歩けば社長にあたる」といったことわざがあるくらいに企業がたくさんあることが特徴です。(諸説ありますが20人に1人の割合で社長がいるようです。すごいっ!!)
水害の多い五十嵐川
そんな三条市ですが、五十嵐川の水害によって大昔から何度も被害を受けていて災害が多かったことが分かりました。公的な記録が始まった江戸時代から現在に至るまで数十回もの水害が発生し、中には大改修のきっかけとなるほどの大きな被害をもたらす水害もあったのです。ここ最近では特に大きな水害はありませんが、平成に起きた7.13水害(平成16年)や7.29水害(平成23年)は市内に大きな被害をもたらし、その記憶は新しいのではないでしょうか。
また、これらの水害の歴史を後世に残していくために三条市内には五十嵐川水害復興記念公園や三条防災ステーションがあり、水害の歴史を風化させない役割を担っています。
金属加工業の歴史
さて、話は変わり金属加工業について。金属加工業の歴史ですが取材をしていくうちにこんな資料たちに出会いました。
そう。五十嵐川による度重なる氾濫が人々の仕事を農業から鍛冶職人へと変え、鍛冶職人にとっては生活を脅かしてきた川が重要な輸送手段になっていきます。
また、鍛冶職人によってつくられた製品たちは信濃川を利用して大消費地である江戸に運ばれ、更には全国各地へと広がっていくこととなります。ここでは三条商人といわれる問屋が活躍をしていて、金属加工業から製品を販売する商社へと産業が派生していくこととなります。このような背景があり、三条市は金属加工が有名になっていったのです。
まとめ
これまで、三条市における五十嵐川の氾濫の歴史と金属加工業についてお伝えしてきました。五十嵐川と金属加工業とは切っても切れない関係で
・度重なる川の氾濫によって農業から金属加工に産業が移り変わっていったこと
・生活を脅かしてきた川が今度は材料や商品の運搬の重要な輸送手段になっていったこと
が分かりましたね!私自身、今回の取材を通じて三条市のことをより知れたいい機会になってよかったです!また、取材を通じて三条市民ながら、三条市の魅力について再発見することができました。三条市はとっても魅力あふれる市なので気なった方は是非足を運んでみてはいかがでしょうか!
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