「大人」のなり方
希望を持たないことが、賢いことだと思っていた。
明るい未来を期待しても、いつか終わることが見えているから。
そう思うことで、失敗から逃げていた。
何者にもなれない自分を受け入れることで、「大人」になろうとしていた。
いや、そうすることが「大人」だと思っていた。
幼いころから、物わかりが良い方だったと思う。
「大人」の唱える慣習や規範が持つ文脈に自らをゆだね、自我を押し殺すことで、「物わかりが良い自分」の正当化を見出した。
言葉にすると、とてもみじめで滑稽だ。
生まれ育った家に資産があったわけでもない。
生まれながらの、優れた容姿を持ち合わせてもいない。
生まれ持っての「才能」があったわけじゃない。
あふれる夢や希望に期待を持つことより、「凡人」である自分を受け入れることで、「大人」になろうとしていた。
それが普通のことだと、その時は思っていた。
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