理解することを諦める
万有引力に関する解説サイトを見た。
そのページの見出しには「なぜ人間は地球に引き寄せられるのかを解説します」と書いてあった。
その見出しを見て僕はワクワクした。
物と物はなぜ引き寄せられるのか、どこからそんな手品のような力が発生しているのか知ることができると思った。
しかし、そんな僕の期待は呆気なく打ち砕かれた。
そのサイトには
「物と物は互いに引き寄せられる力を持っている、それを万有引力という、質量の大きなものほど強い引力を持っている」
要約するとだいたいこんなことが詳細に書かれていた。僕が知りたかったことはどこにも書いていなかった。
僕は"なぜ"物と物が互いに引き寄せられるのかが知りたかった。
どこからそんな魔法のような力が発生しているのかを理解したかった。
話は変わるが、僕は数学が嫌いだ。
嫌いになったのは中学2年生の時。
正解を導き出すための公式を覚えろと先生に言われ、みんなその通りに公式を覚えた。もちろん僕もそうした。自分で言うのもなんだが、成績はそこそこ良かった。
でも僕は正解なんかより、なぜこの公式を使えば正解が導き出せるのかが知りたかった。
だから僕は職員室に先生を訪ねた。
どうしてあの公式を使うと正解が出るんですかと質問した。
すると先生は
「今はそんなことは考えなくていいから、何も考えずに公式を使いなさい」と答えた。
僕は数学が嫌いになった。
そんな考えのない作業によって導かれた正解を、この世界でどう活かせばいいのか。そんな正解が何になるのか。
僕は正解が知りたいんじゃなくて、理解がしたかった。
わからないなりにも、理解しようとしたかった。
だが、残念ながら理解できないことはこの世の中に存在する。万有引力もそのひとつだと思う。
理解できないことが存在しているということを理解するべきだ。
理解できないことにストレスを感じるよりも、きっぱり諦めて別のことに目を向けた方が精神衛生上も良いことなのかもしれない。それが生き方として正解なのかもしれない。ただ僕はそんな諦めによって得られた正解は欲しくない。
『知らぬが仏』なんて言葉があるけど、僕が知らないことを仏様や神様はきっと知っているんだろう。
仏様や神様は知っているのに、知ることができないなんてそんなのはずるい。知る方がよっぽど仏だ。(?)
理解できないことも存在する。それを受け入れることはとてもストレスのかかることだけど、僕はそれを受け入れる。言いたい言葉を飲み込む。
ただその代わり、万有引力が持つ魔法のような力が、知らないうちに僕らと幸せみたいなものを引き付けあってくれることを願う。みんないつの間にか、なぜだかわからないけど幸せになってくれていれば、理解したいなんて希望はすぐに諦める。
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