LGBTQのQによるQ話

あんまり長く書くと読み疲れてしまうかなあとかなんとか思いつつも今この瞬間と少し振り返りをさせてもらいます。

子供の頃から性別に対する意識が薄いというかぼんやりしているというか、「あなたは女の子」よと言われたから「そうか私は女と呼ばれる生き物なのか」という感覚で。一応お伝えすると身体の機能は女性と同じものが備わってます。
月経もある。けれど女性だから月経がある、というより、私は私の体に子供を宿すことができる不思議機能が生まれつき備わっていて、そのシステムメンテナンス、そいつの名は月経。のような。しかもそうとうに重いので毎月屍のようになっていますね。いやあ、しんどいよね。

じゃあそれでもういいじゃないかと、そう突っ込まれると心閉ざしがちな私は「そうだよねえへへへ」でもう話を終わらせてしまうわけですが、
時折なんで己の身体にそういうものたちが標準搭載されて、男性に備わっているものがないのだろうとも思う。両方備わってていてもあまり妙なことと思わないし、ただそれが男性であるか女性であるか判断はすぐにはできない。結局心の問題だと思うし、私は今でも足元に置かれた男性と女性と表記されたパネルを時折男性、時折、女性、時には両方踏むし、踏まない。そんなことをしながら生きている。
昨日は昨日で明日の私がどう思うかも私自身よくわかっていない。

幸いなのは小さなコミュニティで(LGBTQの当事者たちだけのコミュニティではないです)そういう話をこぼしてもありのまま接してくれる友人が多いことだ。恵まれている。これが職場も含めてだったらなあはきっと贅沢な話なのだと思うし、相手を困惑させて居心地悪くさせるのは私にとっても不本意なことなので今の形が良いのかもしれないとも思っている。
そうして己を納得させているという気持ちは、まあ、あるけれど。

そういう友人たちのそれぞれの思う性に対する身の置き方や考え方ははわからないこともあるけれどそういうことを関係なく好きだし、変化が起きるならありのまま受け入れたいとは常に思う。

もちろん友人たちだけでなくこれからの人生で出会う人がもしも少数と呼ばれる人であるなら気にしすぎないくらいに気にかけて一緒に話をしたいと思いますね。

結局今よりずっと歳を重ねて今生終わるまでそうやって行ったり来たりしているのかもしれないけれど、最近ラテン語やっててneuterに出会ったりしたもので、どっちつかずでもまあいいかとは笑えるようになったし。
学ぶって良いことあるな、ほんと。

今回の話はあくまで私一個人の身の内話という形で「ほーん」くらいで受け取ってもらえるとありがたいです。
それなりに長い付き合いでようやく自分のそういう部分もやわらかく受け止められるようになったけれど世の中にはまだ声をあげてないだけで静かにもがいてる人もきっといると思いますし、そういう人たちの「自分をわかって欲しい」「自分を隠したいから気づかないで」には寄り添っていきたいもんすね。なるべく。

今の私は、結構楽しい。



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