「俺実はオタクよ〜」に対する正しい返答

こんにちは。小学生の頃からニコニコ三代宗教(ボカロ・東方・アイマス)を通っていたオタク、ケニーです。


現代の日本には音楽チャートの上位にアニソンや歌い手の音楽が入っていることになんの疑問も抱かない、アニメやマンガ文化に対して寛容な雰囲気が漂っています。

これが数十年前になると、話は変わります。

アニメやゲームを愛するオタクは迫害の対象であり、世間一般からの目は厳しいものがありました。

それに比べれば、現代は自らをオタクと語ることに抵抗を感じることは随分と少なくなりました。

それでも私は今までに自分のことをオタクであるとカミングアウトしたことはありません(自然にバレてるとかはなし)。他人に聞かれたら正直に好きなものは好きと言いますけれども。

決して自分がオタクではないとは言いません。今でもアニメは見ますし、ボカロだって好きです。

しかし、オタクは皆なんらかの分野で驚異的な知識を有しているため、私は自分でそんなに知識を持っているとは思えません。憧れの相手に会ってしまうと憧れで無くなってしまう感覚に通ずるものがあります。

他に興味のあることが特になく、気づけばネットが友達だった、「消極的オタク」は少なくないと思いますが、私もそのうちの一人です。

では「積極的オタク」になれなかった私はオタクと名乗る権利があるのかどうかが焦点になってきます。

この問題に関しては周囲に該当する人がいないので確証は得られませんが、おそらく彼、彼女らは閉鎖的なコミュニティの構築を望むため、決して積極的にこれらのコンテンツを求めているわけではない私たちの存在は目の上のたんこぶだと感じているでしょう。

彼、彼女らにある意味“尊敬”を込めて、私は私のことをオタクだとは呼べません。


ここで、タイトルにもある通り「俺実はオタクよ〜」と厚顔無恥に語る人の存在が出てきます。

彼、彼女らはおそらく自己防衛的な作用を期待しているのであると考えます。

私もこの人種と、置かれている境遇は同じです。

非オタではなく、かと言って生粋のオタクでもない。

発達したメディアを通して、なんらかの情報を入手し、それらをオタク構文を駆使してSNS、ないし口頭で拡散する。

こうして彼、彼女らは自己をオタクと認識し、オタクと呼称する。


こうなってくると、私が抱く尊敬とはいったいなんなのかとすら思えてくる。

積極的オタクとかの区分とか考えていたのが恥ずかしくなってくる。

プロフィールにオタクと書いておくことはないが、私はオタクだ。だって、オタクじゃないわけないから。

これから「俺実はオタクよ〜」に対して、ひきつり顔を見せるのではなくとびっきりの頷きをかましたい。

共感こそが会話の中での最高のスキルである。

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