自己顕示欲を削ぎ落す話

上手い文章を書く人は、そこに自身が入ってこない。極限まで「私」を削ぎ落した文章こそが美しいのである。


文筆家でもある星野源はこのように言う。


こうやって駄文を投稿していて思うのは、まさにこの通りだなという事だ。文章を書き始めるきっかけというのは、「私」がこう思った、「私」がこうした。話の中心に私情が入ってくるのだ。そして、気づけば文章の中に何かしらの誇示が入ってくる。一見、普通の顔をした文章も、近くでよく見ると、誇らしげな顔をしてる。


この文章も読む人によっては、「文章の中で自己顕示欲を発散する人を見下して、自身でオナニーをしている!」と考えなくもない。極限まで自身を削ぎ落すのは本当に難しい。


日常を切り取った文章ならわかりやすいか。そこにある風景をそのまま、写実的に文章に起こせる人は文章を書くのが上手い。そこに我が入り込めば入り込むほど、風景の文章の純度は下がっていく。真っ白で何もない部屋をテーマに、文章が上手い人に書かせたらどんな文章になるのか気になって仕方がない。

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