音楽活動の話② 〜 している努力の方向と、本当に必要な努力の方向

👉 音楽活動の話①

②事務所がなくなってバンド活動(20代半ば~)

思いがけず事務所に所属することになり、スタジオミュージシャンの方にプロデュースしてもらったり、演歌歌手さんや俳優さん・タレントさんのライブの前座をやらせてもらったり、いま思えばプライスレスな経験をさせてもらってたわけですが、残念ながら数年で事務所自体がなくなるという憂き目にあい、事務所関係なくやってくれるバックバンドのメンバーだけ残って、活動を継続することになります。

ブルースギターは演舞みたいなもの

このころ一度目の転職をしていて、デンマークの知育玩具メーカー、レゴに入ります。ここでは「特殊マーケット」という、ブロック以外のプロダクトを日本企画で企画・生産する仕事を主に担当しました。で、レゴの朝は早かった。そして会社がえらい遠かった。

日中は会社、夜は音楽活動という二重生活は結構キツく、とにかく時間が自由になる働き方がよかったので、最初アルバイトを希望して入ります(が、その後社員にならざるえなかった)。

思い起こすと、本国から輸入したレゴウォッチをチックタック(パルコのグループ会社、ヌーヴ・エイ)に卸していたり、旧渋谷パルコのイベントスペース(SR6)で「レゴブロックで作った世界遺産展」(いまも続いてます)をやったり、いまと繋がるものですね。

レゴでは自由な発想で仕事できたし、たくさん成功体験ができた。エレキギターをレゴブロックで実寸大に組み上げてデザインに使おうという企画があって(実際に作った)、見本用に部門長が長いこと弾いてないギター(Epiphone ES-335)を持ってきてて、昼休みになったら無人の倉庫フロアにこもってそれを弾いて練習してました。毎日毎日。

このころにはギターがかなり弾けるようになっていて、ブルースの伴奏(バッキングといいます)をしながらオブリガード(合いの手の短いアドリブソロ)を入れたり、コード進行に合わせたアドリブソロを弾いて、ターンアラウンド(ブルースでお決まりの12小節ごとの締め)でまたバッキングに戻って、を延々繰り返すんですが、シカゴブルース風 → テキサスシャッフル風 → ロックブルース風、みたいにテーマ・型をどんどん変えていきます。演舞みたいなものと言えば分かりやすいですかね。

している努力の方向と、本当に必要な努力の方向

バンドのお客さんも増えてきていたし、中にはわざわざ地方から深夜バスに乗ってライブに来てくれる熱心なファンの方もいた。

事務所にいたときの繋がりやバンドメンバーの繋がりで大型の音楽イベントに呼ばれたりもしてて、十分いろんなチャンスがあったと思うのだけれど、お客さんとのコミュニケーションとか、いまでいう情報発信とか、レーベルや事務所への売り込みとか、そういう観点に対しては本当に無頓着だったと思う。苦手意識があったのか、関心が持てなかったのか、余裕がなかったのか。

このころは焦りやジレンマを感じていました。メンバーのミュージシャンたちはもう30代、彼らは音楽だけで生計を立てれるまでにはなっていなかったけれど、チャンスさえあればそうできる技量・経験を持っていたし、何より貴重な時間を割いて自分のバンド・音楽に賭けてくれていた。一方、自分は20代半ばだったけれど、本業はサラリーマンだし、仕事もどんどん忙しくなってきていた。

・もっともっと上手くならなきゃいけない
・音楽制作や編曲の知識、引き出しを増やさなきゃいけない

限られた時間と体力をそうした自分の内側の方向ばかりに向けていて、自分の音楽性能を高めることでブレークスルーできると思い込んでいた気がします。これはバンドを解散するときに気付いたことで、このとき本当に必要だったのは全然違う方向の努力、例えば「外に向かっての努力」だったのかもしれない。

本当に結果を出したいなら、している努力の方向と、本当に必要な努力の方向というのを一致させないとダメなんだな、と思い知るわけです。

👉 音楽活動の話③

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