「〜になりたい」のではなく「〜であるかのように振る舞う」ロールプレイングゲームのススメ
おお、これは!
スクラムフェス大阪のLTで@miwa719さんのスライドを拝見した。(LT自体は聞いていない、ごめんなさい)
以前から、咳さんが心理的安全性について言いたそうな感じなのはなんとなく把握していたのだが「あ、こういうことか」とやっとわかった。
ロールプレイングゲームというアプローチ
「〜になる」のではなく「〜であるかのように振る舞う」とは、昔から咳さんがやっている「ロールプレイングゲーム(以下RPG) 」という対処法だ。
以前咳さんが言ってたのは「理想のプログラマ」になるのではなく「理想のプログラマ」という役になりきって仕事をするということだ。このメソッドのポイントは「自分は変わらなくていい」「痛みを感じなくていい」という点だ。あくまでも帽子を被りなおすだけ。「仕事だからできるでしょ」というのが決め台詞。
ロールプレイの対象が具体的な人であってもいいだろう。例えば、憧れている先輩、尊敬する友人、講演を聞いてる著名人でもよい。
例えば、プログラマーなら「t-wadaさんであるかのようにコードを書く」というRPGをしてみるのはどうだろう。
自分も以前、「平鍋さんならどうするだろう?」「角谷さんならどうするだろう?」というロールプレイを仕事中にやってたことがある。いずれも身近でよく知る尊敬する人たちの思考や行動を自分自身に憑依させ演じるのだ。(仮面ライダーゴーストです)
このような「特定の個人のRPG」の場合は、その人となりをよく知っていることが前提になるかもしれない。
「演じる」という側面は薄いかもしれないが「徒弟制」は日頃から身近でその人となりを見ている弟子が師匠を演じることに近いのかもしれないとふと思った。
「引き寄せの法則」っぽいかも!?
「ないものを欲しがる」のではなく「その状態がすでにある」ように振る舞うという考え方は実は「引き寄せの法則」に近い。
「引き寄せの法則」というとスピリチュアルで胡散臭く感じてしまうかもしれないが、要するに
「〜がないから、〜が欲しい」(不足)
と考えるのをやめて、
「〜がすでにある」(充足)
と考えて行動するということだ。
引き寄せの法則的には「アフォーメーション」という形で自分自身に刷り込むらしいが、ロールプレイングゲームの場合は、自分の行動として「であるかのように振る舞う」ことで現実に働きかけていく。
実際に今そうであるかは問題ではない。RPGの場合は、まず自分自身が「既に理想状態である」という前提条件で思考し行動するのだ。
これがアフォーメーションの代わりとなり、自分自身に変化を起こし、その周囲に変化の波を広げる、、、、のかもしれない。
心理的安全性はないが、あるかのようになるとは?
LTの中で、@miwa719さんが
「心理的安全性はないけど、心理的安全性があるかのようになるんですよ」
と言っていた。
相変わらず躊躇や葛藤は残り続けている、でも全体としては心理的安全性があるかのようになっているそうだ。(なので引き寄せの法則ではないかもw)
「心理的安全性を手に入れたい」「変わりたい」と考えると途方もなく長い道のりに感じてしまうかもしれない。でも自分だけがまず「心理的安全性があるかのようふるまう」「本当の自分自身は今のままでいい」「帽子を被りなおす」「その時だけ演じる」のであれば、なんかできそうな気がしません?
というわけで、皆、RPGをやってみよう!!
究極のロールプレイは?
ちなみに、究極のロールプレイは、『神との対話』に書かれていたこれに尽きると感じている。
「今、愛なら何をするか?」だ。
ちょっと言葉が変だけど、本にそのまま書いてあった文章そのまま。
自分は「自分が愛そのものならばどんな選択をするか」と解釈している。
世界を愛で包みたいなら、まず自分が「愛そのもの」であるかのようにRPGしてみると、少しづつ愛が広がるのかもしれないと思った。RPGなら「聖人君子にならなくてもいい」のだから。
まとめ
@miwa719さんのLTで語られた「ロールプレイングゲーム」は心理的安全性だけでなくすべての場面に通じるアプローチです。そしてそれは「引き寄せの法則」に繋がる...かもしれない(繋らないかも)。みなさん、試してみてね。
そうそう「愛」がなくても「さも愛があるように」振る舞えば、愛が生まれるのかもしれないけど、「愛」がないのに「愛」があるように振る舞われてすっかりその気になって騙されないようにしよう!
RPGは「相手を騙す」とか「詐欺師」とは違うのでご注意を!😄
皆様のサポートによって、より新たな知識を得て、知識と知識を結びつけ、実践した結果をアウトプットして還元させて頂きます。