物語から自分を見つける〜レゾナント体験と自己探求
イントロダクション
物語は単なる娯楽以上のものです。アニメ、ドラマ、小説などの物語は、私たちが自己認識を深めるための鏡となり得ます。
この記事では、特定の物語が私の内面にどのように響き、自己探求の旅へと導いてくれたかを探っていきます。筆者の具体的な鑑賞体験をもとに、感動というポジティブな体験、嫌悪・不快感というネガティブな体験を通じて、筆者が物語のどこに共鳴・共振し、自分の内なる痛みや願望に気づき、洞察に役立ったかを解説します。
これらの体験をもとに、物語が自己の深い部分で共振・共鳴する体験を、「レゾナント体験(Resonant eXperience : RX)」と名付け、RXをもとに自己を深く洞察するヒントを解説します。
自分を知るために物語を鑑賞する
この数ヶ月間、アニメやドラマや小説などの物語の鑑賞を、自分の内側にある痛みや願いに繋がる行為だと自覚しながら見ています。
強く感動する物語は、自分の内側にある痛みや願いに繋がっている証拠ですし、逆に物凄い怒りや悲しみ、拒否反応を伴う物語は、自分の痛みや見たくない自分を教えてくれます。
この現象に気づいてから、NetflixやU-NEXTで、かたっぱしから気になるアニメやドラマを見始めました。それまでまったく見ることがなかった恋愛ものやラブコメも沢山見ました。
それぞれの作品に、それぞれの魅力はあり、面白いと思うものはありましたが、それでも自分の心が震えるほどの体験は限られていました。それゆえに、心が揺さぶられたり号泣するシーンに出会うと、自分の何に共鳴しているのか?という点を深く感じるようになりました。
この現象に気づいたのは、あるアニメがきっかけでした。
『ハイスコアガール』が教えてくれたこと
『ハイスコアガール』という作品は、90年代のゲームセンターの格闘ゲームを舞台にしたラブコメで、自分の世代的にもフィットするし、妻と出会ったのも格闘ゲーム(バーチャファイター2)がきっかけだったので、二重の意味で感情移入して見ていました。アニメ版を全部見終えたあと、円盤も購入し、原作も揃えてしまうほどハマりました。
アニメ版を何度も見ても、毎回必ず号泣するシーンがありました。それは、ラスト直前で、主人公を好きな負けヒロインが、日本を発つヒロインの見送りに躊躇していた主人公の背中を押すシーンでした。
その負けヒロインの後押しをきっかけに、主人公はヒロインを見送りに向かうことを決意し、奇跡的に見送りに間に合い、感動の告白をするラストシーンに繋がります。この一連のストーリーに、私はとても強く心が揺さぶられました。
このシーンは物語のハイライトなので感動して当然なのですが、他のラブコメ作品をいくつ鑑賞しても、ここまで何度も号泣するシーンはなかなかありません。
それがずっと不思議だったのですが、ある時「ああ、これは自分の中にあるものが共鳴したからなんだ」と気付いたのです。
自分の何に共鳴したのかを見つめる
この作品は、「誰かに認められなくても、自分の好きなことだけやり続ける」という主人公の話です。主人公の春雄の行動は、若かりし頃の自分とそっくりで、強がっているものの傷つくことを恐れていたり、自分から諦めてしまうところもよく似ていました。
そんな春雄に恋心を抱き、振られたにも関わらず、ヒロイン晶の見送りへと送り出す小春の振る舞いに、自分が報われなくても相手を想う心を、そして、自分の気持ちに向き合って、もう間に合わないかもしれないけど、全力で空港に向かう春雄の姿は「結果を恐れず、今できることを全力でやる」姿を見ました。そして最後のシーンでは、自分の弱さをすべてさらけ出した愛の告白でした。
これらの共鳴ポイントを自覚してはじめて、感動とは「自分がそうであって欲しい」世界であり、それをただ鑑賞するのでなく、自分がそのように生きるために響いたのだと気づきました。
『女帝 小池百合子』への嫌悪感から気づいたこと
一方で、逆のとき、つまり、ある場面に無性に怒りが湧いてくる時もあります。そういった場面に出くわすと、つい作品への文句や、キャラクターへの不満をもらしたくなりがちです。
自分が一番作品にネガティブに反応したと自覚したのは『女帝 小池百合子』を読んだ時でした。
2020年に話題になっていたこの本を興味本位で読み始めて、途中でとても気分が悪くなり、それ以上読み進められなくなってしまいました。読んでいる途中もひたすら嫌悪感だけが湧いてきました。あまりに気分が悪くなったので、一旦手を止めて、一週間ほど時間を置いて、ようやく再読できて読み終えることができました。ここまで身体が本を読み進めることを拒否したのは初めての体験です。
当時はなぜそんなことが起きたのかはわからずにいました。今になってみると、小池百合子氏の正当化にまみれた物語を読むことで、自分自身の正当化して分離した影(シャドウ)が強く反応していたのだとふと気づいたのです。
自分の弱さに向き合いたくない拒否反応
書籍に書かれていた小池氏の振る舞いの数々、「弱い自分を隠して強く見せようとする」、「自分の都合の良いように解釈する」、「本心を決して明かさない」、「自分のやっていることを正当化する」などの振る舞いの数々は、程度の違いはあれど自分の中にもありました。これらの振る舞いは、無自覚に痛みを避け、そこに決して触れようとしないがゆえの痛みの回避行動です。
そして、当時の自分は、それらを決して認めたくありませんでした。その必死の抵抗が、身体の拒否反応として現れたのではないかと、推測しています。
このことに気づけたのは、『女帝 小池百合子』を読んだ後、『ザ・メンタルモデル』をきっかけとして、自分の内的世界の探求に取り組んできたためです。
自分の内側の探求の中で、自分の痛みや回避行動に何度も直面してきました。正当化せざるをえなかった自分の弱さ、そしてそうすることでしか生きてこれなかった自分を感じてきました。この事に気づかなければ、きっと「小池百合子さんは嫌いだ」で終わっていたことでしょう。
『ギルティ ~鳴かぬ蛍が身を焦がす~』に反応する人たち
最近、読み終えた作品で『ギルティ ~鳴かぬ蛍が身を焦がす~』というマンガがあります。これは仲の良い30代夫婦が、浮気、裏切りなど次から次へと降りかかる不幸に主人公が巻き込まれていく昼ドラにありそうなドロドロ男女関係を2〜3作品分くらい注ぎ込んだジェットコースターのような展開の濃厚な物語です。
この作品をアプリで読んでいると、コメント欄で多くの読者が「あのキャラはクズだ」「誰も信じられない」「まったく共感できない」「これ以上この作品は読めない」などという様々な反応のコメントを寄せています。このように人間の負の面を表現する作品は、人によっては物凄い抵抗を巻き起こすのでしょう。
私自身は、作品を読んでいて強い抵抗反応はありませんでした。(これは「なんでこの人はこのような破壊的な行動をせざるを得ないのだろう?」という好奇心に駆動されて最後まで読み進めていたためです。)
同じ物語でも、受け取り側毎に、様々な解釈があり反応があります。これは、作品よりもむしろ、受け取り側の内側の世界から反応が生み出されていることに改めて気付かされました。
強い反応があった時にどうする?
感動とは異なり、強い反応は共鳴・共振ではなく拒絶反応と言えます。顕在意識では「嫌だ」と不快感情が湧き上がります。しかしここで、不快から離れずに踏みとどまれると、自分の内側に繋がることができます。
このような強い反応が起きた場合は、その不快感情に飲み込まれてしまうのではなく、一呼吸置いて「何に私は反応したのだろう?」と自分の内側、不快感情が何を伝えようとしているかを感じてみることをオススメしたいです。
不快感情は、何かが満たされていないことを教えてくれるサインです。特に怒りは「あるはずのものがない」ことに対しての強い感情です。
「ない」ことに怒るだけではなく、本当は「何があってほしかったのか」を感じて繋がることができます。そうするとこで、自分が望んでいるが満たされなかったニーズに繋がることが出来ます。その隠されているニーズを自覚できると、大きな発見があります。
作品ではなく、自分を読み解く
アニメや小説、映画のような物語を鑑賞するときには、誰しも響く作品や、響く特定の場面があるはずです。作品や場面の解釈は人それぞれで、それも含めて作品の楽しみ方のひとつです。
もし、そのような場面に出会ったら、自分の何が共振しているのかを、自分の内側を見ていって読み取ってみることをおすすめします。作品が何を伝えようとしているのかを読み解くのでなく、自分の何が作品に共振したのかを感じてみるのです。そこには、必ず内側に存在に気づいて欲しい痛み、叶えたい願い、抑圧や否定している自分自身があるはずです。共振・拒絶反応は、それらの「内側にあるもの」に繋がれるチャンスです。
ポジティブな反応も、ネガティブな反応も、自分の内側にあるものに気づかせてくれるサインであり、それらは自分自身への深い理解を促し、現実を創造するためのヒントをくれるのです。
レゾナント体験で自分を知る
私は、これらの魂が共鳴する感動体験のことを、
レゾナント(共鳴・共振)体験(Resonant eXperience : RX)
と呼びたいと思います。
共鳴・共振とは、単なる比喩ではなく、実際に身体がブルブルと震えるほど感動する体験に由来しています。その瞬間、まさに心と身体は一体となって共振しています。鑑賞者は、単にエンタメとして消費するのではなく、そのような体験が得られたら、自分の内側に繋がって、その体験が何を伝えようとしているかを感じてみてください。
今回は物語を題材にしましたが、スポーツ観戦や、芸術鑑賞など、全てのRXには同じような共振する内側の何かがあるのではないかと思います。
感動をそのようなサインと捉えると、娯楽とは、単なる消費活動ではなく、人生に必要のない無駄な行為でもなく、本当の自分に繋がる大切な体験であるということに気付きます。
あなたの感情は、単に感じて消費するものでも、揺さぶられて反応行動を起こすためのものでもなく、内側の「あるもの」に繋がる大事なきっかけであると捉え直してみてください。RXに出会うことができたら、それは自分をより深く知ることができる機会であり、あなたの人生にとっての祝福です。
レゾナント体験をどう紐解くかについては、別の機会に書いてみたいと思います。レゾナント体験を紐解くためには、日頃から自分の内面を見るワークをやっておくと役立ちます。とりあえず、参考になりそうな自分の記事を上げておきます。