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私の武装解除日記〜自己理解と変容の旅路

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武装解除=自分の無自覚な信念、回避行動、正当化、痛みに自覚的になり、少しづつ心に装備していた鎧を脱いでいくジャーニーを仲間とともにしたためます。 勝手に知り合いの武装解除っぽい…
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#内的世界

僕は全力をだすわけにはいかないんです!だって...

はじめに前回は、自分の武装解除に最初に気づかされたエピソードを紹介した。 沢山ある自分の無自覚な武装に気づいて、 解除していく様子をどんどん書いていこうと考えていたのだけど、 なかなか筆が進まない、うーむ。 今回は、自分で突然気づいてしまった、 無自覚な武装のエピソードを紹介してみることにする。 コロナ明け最初のハーフマラソン大会にて昨年の12月に、地元(愛媛県松山市)のハーフマラソン大会があった。 コロナ禍でしばらくマラソン大会は開催されておらず、 久しぶりの大会だっ

「俺は悪くない」の反抗的態度の内側に何がある?(後編)

前編の概要『私の武装解除日記』、最初に取り上げるのは「俺は悪くない」という反抗的態度の内側の構造について。 前編では、外側の世界で自分が無自覚にどんな行動を取っていたかを紹介した。後編では、その内側の構造や、メンタルモデルを作り出したエピソードを紹介する。 「自分は悪くない」を生み出した体験自分が就学前くらいの頃、叔父の結婚披露宴に家族で出席した。初めての結婚披露宴への出席だったのできっと楽しみにしていたのだろう。 当時、自分には2歳年下の弟がいたが、彼はまだ幼く披露宴

「俺は悪くない」の反抗的態度の内側に何がある?(前編)

自分から謝らない自分の武装解除の旅路で、最初に気づかされたのが「謝ろうとしない」という行動の裏にある構造だった。 若い頃から、自分の行動パターンとして「自分からなかなか謝らない」というものがあったように思う。 普通に考えると、悪いと感じたら謝るのは当たり前なのだが、以前の自分はとにかく、自分の非をなかなか認めなかった。 何かあっても、自分に非があると認めないと「自分は悪くないから謝らない」という行動を無意識に行っていた 他者から見たら「なんでこいつ、謝らないんだ?非を

人や虫に対する嫌悪感についてのあれこれ

人はなぜ虫を嫌いになるのか?先日、FBで虫嫌いな知人のコメントから、もしかすると虫に対する嫌悪感は、自分の中の醜い部分や嫌な部分を虫に投影しているのではないだろうか?という仮説が浮かんだ。まったく根拠はないんだけど。 そういえば、虫嫌いについて昔考えていたことがあったので、あらためてまとめてみた。 虫嫌いについての研究結果現代人の虫嫌いについて、昨年こんな研究が発表されていた。 上記の研究仮説としては以下の通りだ 13000のオンライン実験と調査の結果、上記の仮説が支