ほどほどな脱力感
つい最近、友人に、かとうくんと話の合いそうな後輩の子がいたよ、と言われた。
こういう言葉で紹介されるのは大概、上昇志向や成長志向が強いガツガツとした人で、そういう人のことは素直に尊敬するし面白いと思うけれど、自分もこういう感じで見られているのかなあと思うと、少し違和感があった。
直接言われることもある。
しっかりしてて合理的で真面目で仕事ができて。ここまでは嬉しい褒め言葉なのだけれど、常に未来を見据えていて成長に貪欲で無駄を嫌う、なんて続けられると、それはもはや、ぼくではないな、と思ってしまう。
合理より感情で動く人間だし、どうやったら真面目に丁寧に物事を進められるのだろうと常に悩んでる。未来はわからないし成長より居心地だし、無駄は大好きだ。
だから友人が合うと思った理由として「ほどほどな脱力感が似てる」と言ってくれたときには、なんだかとても嬉しい気持ちになった。
ああ、この人は自分のことをわかってくれているんだな、と、あったかい気持ちになったのだ。
ぼくを表す言葉として「ほどほどな脱力感」を選んでくれたことが、ぼくはとても嬉しかった。
自然に生きたいと願っている。常に肩肘を張って生きられる強い人間ではないから、普段は力を抜き、楽しむところでは全力を出し、ゆるやかに波のように過ごせるようになりたい。そしてできるなら、その波を、身近な人に伝えられるとなお良い。
そうだった。
そばにいるとホッと一息をつけるような、ひだまりのような人に、ぼくはずっと憧れていた。
最近もらった、嬉しい言葉のお話。
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