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ぼくの、あこがれのアーティスト。

熱が残っているうちに、書いておかなければいけない。

書きたいと思う気持ちはいつだって急速に霧散してしまうもので、明日を迎えたぼくはこの焦りを含む興奮を微塵だって思い出せやしないのだから。


今日、あるアーティストのライブを観に、東京へ来た。
ここ数年、とても好きで、よく聞いているアーティスト。中野でルームシェアをしていた頃、友人の2.1chスピーカーからリビングを埋めるように鳴っていた音楽たちを思い返すとき、そのアーティストの曲が真っ先に浮かぶ。

歌詞に込められた人々の物語も、ボーカルの歌声も、柔らかく、強く、透明感がありながら、陰を帯びて美しい。

けれどここで話したいのは、歌詞のことでもボーカルの声のことでもなくて、そのアーティストのメンバーである、あるひとりのこと。
高校の同級生である彼が、アーティストとしてライブをしている姿を目にした、瞬間の想いのこと。


邦楽ロックが好きで、軽音系サークルの知り合いが多かったぼくは、よく同級生のライブを観に行った。

ライブハウスの入り口はステッカーやポスターに埋まり、地下に降りる階段は狭く薄暗く、いつも小さな気遅れを感じながら入場料とドリンク代を支払っていた。目当てのバンドの名前を受付に告げ、腕に入場スタンプを押され、重たいドアを開け会場に入る。ドリンクを受け取ってひとり端の方でぼんやりとする。興奮を胸の鼓動に感じながら、ライブの開始を待つ。

演奏中でもなければ、ライブに出演するメンバーもフロアにいることが多くて、タイミングが合えば「来てくれてありがとー」なんて声をかけてくれて、会話をすることもある。ただの同級生だ。「やべー緊張する」なんて手をプラプラと振ったり「CD買ってってよ」と無邪気に物販を指差す彼らは、ぼくと変わらない普通の同い年の高校生だ。

そんな彼らは、ステージに立つと、途端に「表現者」になった。
カバー曲でもオリジナル曲でも変わらない。彼らは自分たちがいいと思ったものを、自分たちが生み出したものを、楽器と声で表現し、会場に届けていた。

日々同じ校舎の、ほんの近い距離で過ごしている人間が、重たい熱量を放つ表現者に変わる瞬間は、いつだってぼくにぶっ叩かれるような衝撃を与えてくれた。涙が出そうになるのだ。彼らの格好よさにあてられて、頭の中を言葉が渦巻いた。なんで自分は今、フロアにいるのだろう。ここではしゃいでいるのだろう。俺も表現したい。この気持ちを外に出さないといけない。そうしないと、ダメだ。ダメだ。強すぎる衝動を発散するように、スピーカーから流れる爆音に合わせ体を揺らし、首を振った。

曲が終われば、またフロアに降りてくる。汗ばむ彼らはステージの空気を少しだけ引きずったままで、「格好良かったよ」と心から告げるぼくはその姿に眩しさを覚えていた。

複雑な、引き裂くような想いをぼくはあこがれと呼んだ。


ライブの冒頭、ステージ中央の画面に、プロローグととも並べられるメンバー一覧に彼の名前を見つけたとき、最初に感じたのは飛び跳ねんばかりの喜びだった。彼の姿を数年ぶりにステージに見られる期待感だった。この大きな会場で、今から彼は演奏をするのだという興奮だった。

そして曲が始まり、楽器を持つ彼が現れた。目に映る姿は紛れもない彼だった。楽器を弾く所作のひとつひとつが、そうであることを教えてくれる。技術的なことはわからないのだけれど、楽器を弾くその"サマ"は、当時見ていた彼のものに違いなかった。

客席を向くステージのライトが滲む。涙がこみ上げたことに、ぼくは驚いた。こぼれるでもなく眼の表面を濡らすだけの小さな涙だったけれど、意思とは関係のないところからの不意打ちに動揺した。

これがファン心理というやつか、と思った。音楽フェスで、苦節の末メインステージを獲得したアーティストを前に涙するファンを横目にすることはあったけれど、自分がそうなったのは初めてだななんて、冷静に考えようとした。

ライブは進んでいく。何度もイヤホンから、スピーカーから流した曲が、目の前で演奏される。作り込まれた世界観とストーリーが美しい声で奏でられている。最高なはずだった。いや少なくとも、こういう場所にいるときの自分は、最高な気分になるはずだった。

でもどう考えたって、ぼくの目を濡らしたのは単純な感動なんかじゃなかった。もっと胸の奥をずんとさせるもので、やわらかな喜びと焼けるような熱が同居したようなもので、眩しくて、複雑で。

過去同じ経験をした気がすると、記憶の中の感情をぐるぐると探し続ける自分を見つけたときには、さすがにもう、その名前を思い出していた。


ここまで語っておきながら恥ずかしい話だが、彼とぼくは、正直に言って親しい友人というわけではない。

同じ母校を持ち、よく彼のライブに通い、たまに言葉を交わした。同窓会で会えば懐かしく一緒にはしゃぎもするが、連絡先は知らない。

とても気の良い人だと思う。強い自分を持っている人だと思う。ぼくは人として彼を純粋に好きだし、尊敬しているけれど、それは酷く少ない関わりの中で生まれた思いでしかない。だから薄っぺらな、一方的に抱くこの感情だけで友人だなんて、口が裂けても言えないのだ。

今、彼とぼくは、アーティストとただのいちファンである。そこに元同級生なんて言葉をつけたって、虎の威を借る狐にも足らない。頭では理解している。それでも、彼の活躍を目にすると、どうしたってあの小さなライブハウスの光景が浮かんでしまう。ステージを囲う柵の先、手を伸ばせば届く距離にいた、あの格好いい少年を思い出す。

彼をまた目にすることができた喜びに押され、散々周囲の人間に「同級生が活躍してるんだ」なんて言いふらして、「すごい!」と言われることに自分が褒められたように嬉しい気持ちになって。

それが済むと、今度は柵の手間にいた自分の姿を思い出す。ステッカーだらけの薄暗いライブハウスの入り口に立つ心細さから、眩しさに目を細め飛び跳ねながら頭の中で言葉をかき混ぜた時間、熱をさらうように吹く夜風に自転車を走らせながら叫び出したい気持ちで帰った重たいペダルの感触まで、走馬灯のように駆け巡って。

そしていつも、ぼくにまた、あこがれを思い出させてくれてありがとうと、胸の内に呟くのだ。

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