生きていく自信がなかったから、ぼくは IT エンジニアになった。

かっこいいことを、語ってきたように思う。

新卒で入った会社では本当にいろんな機会に恵まれて、その中の 1 つに、就活イベントでのプレゼンがあった。大学 3, 4 年の人たちを目の前に、流暢に、冗談も交えて、自分の就活体験を語ってきた。

個の時代、社会の歯車にならず、自分の力を発揮して社会に貢献していく仕事をしたい。だから IT のベンチャー企業に就職しようと思った。たまたま行った合同説明会でこの会社に出会い、その姿勢に惚れ込み、就職を決めた。

嘘はついていないけれど、数年がたった今、改めて振り返ったときに、前向きな、イイ言葉を使って当時を表現することに違和感を覚えるようになった。

ぼくが IT エンジニアになったのは、貢献したい・成長したい・個人として活躍したい、なんてそんなかっこいい思いがメインではなかった。

一番は、もっとみっともない焦燥感のような思い。社会の中で、きちんと生きていく自信がないという、漠然とした恐怖だった。
ぼくでも生きられそうな環境を探し、それがたまたま運よく IT エンジニアという形で見つかったという、それだけの話。


大学で所属していた団体が「体育会系」だった。
縦社会の雰囲気、飲み会の文化、めちゃくちゃ忙しい活動、精神論。当時でも昔に比べればだいぶマシだったのだと思うし、今あの団体がどういう様子になっているのかもぼくは知らないから、団体自体について批判的なことを書くつもりは全くない。

所属している人は本当にいい人たちばかりで、本当に大好きな人たちばかりだった。先輩も同期も後輩も、素敵な人が揃っていた。仲良くしていたいと、思う人がたくさんいる。

ただ、どうもぼくは「体育会系」の雰囲気が苦手で、そこに流れる "ノリ" に、馴染めないところがあった。

飲み会の雰囲気はわかりやすく苦手だった。両親が酒をあまり飲まない人たちで、親族見渡しても酔っ払った人間というものをほとんど見たことがなかったのも理由の一部かもしれない。1 年生の頃、酔った先輩に絡まれるなんていうのは、恐怖以外のなにものでもなかった。

声が大きい人が苦手だった。何かを強要されるのも心底苦手だった。先輩に何を言われるのだろうとビクビクしていた。自分の振る舞いが間違ってはいないかと常に気にしていた。謎のルールが敷かれた世界に、自分を合わせることができないということを知った。心が閉じる音を明確に聞く。同時に、体調が崩れていく。

取り繕うのが得意な部類の人間ではあるから、もしかしたら表面上、うまくできているように見えていたときもあったかもしれない。けれど、それはひどく負担なことであった。

重ねて言うけれど、そこにいた人たちはとてもとても素敵な人たちだった。団体の活動は好きだったし、同期には戦友とも呼ぶべき、尊敬と親しみの念を持っている。

個々の人ではなく、それが集まった集団の "ノリ"。これが、ただひたすらに苦手だった。もしこれから先、自分の苦手な "ノリ" の世界しか存在しないのだとしたら、ぼくはもう生きていくことができないのではないかと、本気で心配だった。

多分こういう感覚は、わからない人には全くわからないのだと思う。嫌だという感情を理解はしても、それが物理的に「ムリ」なのだということはきっと経験している人にしか伝わらない。

汗がにじみ、舌が張り付き、体が強張り、やけに早い心音と浅い呼吸を意識する。現象として現れる「ムリ」さ。直前まで流暢に喋っていたのに、ある場面になると突然頭が真っ白になって、言葉がひとかけらさえも出てこなくなることが、人間にはある。


プログラミングを勉強していて、IT の分野にはもともと興味があった。それに IT 系は、他の業界に比べて自分の苦手な "ノリ" は少ないんじゃないかと思った。だから、IT 系の企業に入ろうと考えた。

旧来からの大きな企業には、きっと "ノリ" が残っている気がした。だから新しい会社、ベンチャーと言われるような会社を探そうと考えた。

成長意欲より、自分が生きていけそうな環境を求める気持ちが強かった。

ぼくは本当に運が良くて、団体での活動の中で HTML / CSS / JavaScript の勉強をやっていたし、インターンで Ruby の勉強もさせてもらっていた。
文系の大学に通っているくせに IT にある程度詳しいというのは、就活においていいエッジになっていたんだと思う。

IT 業界を詳しく知りたいと、適当に選んで参加した初めての合同説明会は理系院生向けのイベントで、ゴリゴリのエンジニアに囲まれた肩身の狭い文系学部生は、楽しそうに呼び込みをする人事のお姉さんにフラフラと引き寄せられた。

そうして、新卒で入る会社を決めた。


まとめてしまえば、苦手から逃げた結果、運よく IT エンジニアになれたと言ってもいい。就活生の前ではかっこいい言葉で飾って話していたけれど、現実はこんなものだ。

だから本当は、人様に偉そうに語れる言葉なんてぼくにはない。逃げてもいいんだ、なんてことも言えない。だって、たまたまが重なってここにいるだけだから。強いて言うなら「積極的に動くことは大事だよ」だろうか。そんなの、誰だって知っている。

ならなぜこうして文章にしてみたのかといえば、ダサいぼくを晒してみたくなったから。

最近、後輩と話す機会があって、そこで変に持ち上げられた加藤和也像を聞かされた。高い評価をくれること自体はありがたいし嬉しいのだけれど、自己認識とあまりにかけ離れた別人のような加藤和也がそこにいて、耐え切れないくらいのむず痒さを感じた。

だからこんな文章を書いて、自分の中でバランスをとりたくなった。かとうかずやにナイーブな自分を語らせることが、ぼくの処世術となりつつある。


さて、IT エンジニアになったぼくは、果たして生きていく自信を得ることができたのか。

答えは、おかげさまで、Yes だ。

たまたま入った新卒の会社は自分の好きな "ノリ" をしていた。居場所を手に入れ、心地よく生きることができるようになった。転職した先にも、とても好きな "ノリ" があった。一度自分の好きな "ノリ" を手に入れると、そこが拠点となって他の "ノリ" にも少しずつ、足を伸ばせるようになることも分かってきた。

生きやすい居場所がひとつあって、それが人生の多くの時間を過ごす仕事の場であるということは、ぼくが日々感じる幸福を、力強く支えている。

この居場所を守るため、そして、この居場所をつくる周りの人々に少しでも恩返しができるように、頑張っていこう。


新年あけましておめでとう。2022 年、最初の語り。


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