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ぼくの最大値と設定値、能力と誇り。

ぼくの部屋のリビングには、YAMAHA のサウンドバーが置いてある。43型の大きめなディスプレイの前に鎮座して、Fire Stick が接続された"彼"は今、 Spotify にあるぼくのお気に入りの音楽を静かに心地良く流してくれている。

lofi hiphop や chill music と呼ばれる曲たち。Sakura Chill。素敵な BGM だ。

生活に音楽がある状態が好きで、ぼくは家にいる時間は大抵、サウンドバーを使って曲を流し続けている。ほとんど無意識的にリモコンを手に取り、Spotify にレコメンドされるプレイリストの中から気分のものを選び、自分のしていることに影響を及ぼさない程度の控えめな音量で音楽をかける。

もはや習慣のようなもので、特別意志ある行為ではない。音のない空白が気持ち悪い、だから埋める。そんな感覚。まさしく生活の Back Ground に音楽が配置されていることに意味がある。"彼"は我が家に来てからずっと、空白を埋める役割を静かに果たしてくれていた。


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THE FIRST TAKE という YouTube チャンネルがある。もはや語る必要もないくらい、有名なチャンネルだろう。アーティストの緊迫した生感。女王蜂の「火炎」をきっかけに知って以来、発表されるほぼ全ての動画を観たし、気に入ったものは幾度となく再生を繰り返してきた。

特別好きなのが LiSA の「炎」だ。(観たことがない人はぜひ観てみてほしい) 歌い終わり、マイクスタンドに添えた震える手に、アーティストとはこんなにも、すべてをぶつけるように歌うものかと衝撃を受けた。それはライブを見に行くのと近く、紛れもない体験だった。


たびたび衝撃を受けたくなって、ぼくは Fire Stick で YouTube を起動し、「炎」を体験する。その日も検索窓に「ほむら」と入力し、MV と並んで 2 番目に現れるその動画を選んだ。

イントロが流れる。"彼"が優しくピアノの音を奏でる。いつものように曲を聴くのだけれど、いつもと違って、なぜか少し物足りなかった。日曜の午後という時間がそう感じさせるのかもしれない。あるいは昼過ぎまで寝過ごしてしまったという気だるさのせいかもしれない。理由はわからないけれど、とにかくうまく曲に集中することができなかった。

音量が小さいのか。そう思って、リモコンのプラスボタンを押した。
1回、2回。まだ足りない。3回、4回。

そして5回目、ボタンを押したとき。
急激に、音が広がった。

空間全てを埋めるようにピアノの音とLiSAの声が響き出した。普段大人しい"彼"は、生き生きと歌っていた。アーティストの感情を、ダイレクトに表現していた。

5:50秒。曲が終わる。気づけば余韻まで聴き入っていた。歌い終えたLiSAが涙を浮かべて想いを語る映像を見ながら、ぼくはみじろぎすることもできずに座り込んでいた。もしかしたら感情に打たれて、少し泣いていたかもしれない。

"彼"の本気を見た気がした。こんなポテンシャルを持っていたのかと、驚いた。のろのろとスマホを手に取り、サウンドバーの音量を数字で確認した。普段の値は10。その時、音量は15になっていた。


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小学生の頃のある光景が脳裏に浮かぶ。

音楽室、グランドピアノの前に座り、担任と口論をする女の子。その子は幼い頃から続けてきたピアノの腕をかわれて、卒業式の入退場の曲を弾くことになっていた。

全力で演奏をする彼女に担任は、入退場は卒業生が主役だ。そして彼女の弾くピアノは BGM だ。だから、控えめに弾いてくれないか。そうお願いしていた。悪気はなかったのだと思うし、真っ当なお願いだとも思う。卒業式に必要なのは、卒業生を飾る音楽だ。そこは彼女のリサイタルの場ではない。

けれど、彼女は怒っていた。噛み付かんばかりの剣幕で怒鳴っていた。

「私のピアノは、BGM じゃない。そんなことのために、私はピアノを練習してきたわけじゃない」
「そんな使い方をしようとするな。私のピアノを、蔑ろにするな」

冷静に考えれば無茶苦茶な言い分だと思うのだけれど、彼女の怒りはただ純粋だった。自らに誇りを持っていた。誇りのために怒鳴っていた。自らの能力を100%使い切ることに、ただただ真摯だった。

とても格好良く、美しい姿だと思った。


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怒鳴りはしないけれど、BGMを求めればその役割を丁寧に果たしてくれるけれど、明らかに"彼"は、能力を発揮しきっていない。何せ音量の最大値は50なのだ。1/5 の力で、日々空白を埋め続けている。

「炎」を聴いた日から、申し訳ない気持ちでいた。ぼくに所有されたことで"彼"は100%の力を発揮する機会を奪われている。ポテンシャルを見せつけてくれた15という値ですら、集合住宅の一室で流すにはギリギリだった。大きな音を立てるたび、心なしか騒がしくなる隣室の様子を伺ってしまうぼくに、50を選ぶ勇気はない。


Sakura Chill の『Drizzly day』を聴きながら考える。ぼくというヒトの最大値はいくつなのだろう。今は夜。ぼくはリモコンを手に取り、音量を7に設定する。

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