マイホームは正しさなのだろうか
凄く基本的な話なんだけど、仕事を頑張ってローン組んで手に入れたマイホーム。脛かじりから社会人としての自立の象徴として手に入れたこいつ(正確にはローン終わってないから法的には自分の物ではないのかも知れないが)におれは住んでいる。愛する家族と一緒にいて、たまに出張とかで家を空けるけどおれは普段はそこから会社に通っていて、それが一つのベースメントであり生活の大きな軸になっている。
夫であり父親であり家主であり、そんなアイデンティティはこのプロパティの賜物ではないだろうか。
マイホームの持ち主にして家族というグループの首長。本当の権力者は誰かは置いておくとしてもこの家の筆頭に挙げられるのはおれ。仕事で家を空ける事はあるにしても、そこに居るのが当たり前、居るべきものとして自認してきた。今このnoteも慎ましやかにマイホームの書斎兼スタジオから快適にキーを叩いている。
ところが、だ。
これから長く家を空けるかも知れない。
子供たちの父親像も薄くなるかも知れない。
おれの社会人としてのアイデンティティを作った創造主・カイシャ様が行けと言っている。ローンの源もカイシャ様。みんなも行って来ていいよと言ってくれた。
おれの今までやって来た業務はもの凄い勢いで引き継ぎが付く事になった。
なぜ。
おれの市場価値。カイシャがおれに投資してくれようとしている。おれが向こうに行く事に価値が産まれるという経営判断。誰も何の痛みを感じていない、将棋の一コマだ。がんばってね。そうなるとこれまで散々、主人は家に居るべきものとして認識されていたものが急に行って来ていいよとなる。家族総出で頑張ってね。そういうの好きだもんね(確かに)。
・・・え?え?そうなの?みんなそれでいいんだ?
そこが理詰めだけでは腹落ちしない何かがある。喉に引っかかった魚の骨のように、いつまでも残っては徒らにチクリと心を抉っていく。
おれが現地滞在するかどうかはまだ具体的な段階に入っていないのだが、ある程度の現実味を持って進んでいる(早くどっちか決めてくれよ)。
そして主人の居ないマイホームには、おれがどこかで生きている限りはリモートで生活に必要十分な金が毎月振り込まれるだろう。
だから問題なしってか。
なあに、ちょっと自宅が遠くなるだけの事だろ。
(片道22時間くらい)
長年一つのポジションに留まっていると、動く時には多少の痛みを伴うものだ。100%何の迷いもなく、能天気に大手を振って旅立って行ければどんなに良いだろうか。だが考えてしまうのだからしょうがない。火山口から勢い良くダイブしたは良いけど、まだ巣窟に到達するには時間があるので、フリーフォールしながらも後ろ髪が引かれて仕方がない。もう変化は始まってるというのに。