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ブックレビュー「流転の海 第八部 長流の畔 第九部 野の春」

宮本輝の自伝的小説「流転の海」の第八部と最終作になる第九部をついに読み終えた。

第八部では、あれほど熊吾は自らの過去の数多くの詰めの甘さを恥じていながら、再びビジネスパートナーの裏切りに遭い、さらには博美との浮気が房江にばれてしまう。そして裏切られた房江は一人城崎へ行き、衝動的な行動に出る。

第九部では生まれ変わった房江が多幸クラブでの仕事に新たな生きがいを感じるようになる。大学生になった伸仁は、テニス部に入るが、ストリップ劇場や多幸クラブでのバイト、さらには大学のゴルフ部の連中にゴルフ場での仕事を斡旋するなどストリート哲学で学んだ世渡り力を存分に発揮するようになり、同じ大学に通うガールフレンドもできる。熊吾のビジネスは相変わらず順調とは行かず、縮小路線を進み、また博美との関係を断ち切るために彼女が独り立ちできるようなアイディアを練る。

筋書をこれ以上書くとネタバレが過ぎることになるのでこの辺りで止めておこう。

本長編の筆者である宮本輝は第一部・第二部では、熊吾に登場人物の出自や生き様、人としての大きさや品格を語らせることで人間の業に焦点を当て、第三部では生きる上での人情の機微と物事の要を取ることの重要性を語った。第四部では自尊心よりも大切なもの、として人の生きる目的の大切さを説いた。第五部以降は多様な人物が住む蘭月ビルや伸仁の思春期での経験、再三にわたる熊吾のビジネスでの失敗を通じて人情の機微に加えて人間が陥る暗い闇を見せた。

ところが第七部までの中心が熊吾であったのに対して、第八部と第九部では熊吾や伸仁への献身が生きがいだった房江が熊吾に依存しない人生を得ることで光明が差した姿をハイライトしている。

熊吾一家が歩んできた時代を通じて女性観に変化があったのか、あるいは一家に起きた事件が必然的に変化を生んだのか。

人は最後に一人に戻るというが、熊吾という台風のような人物の死であってもまわりの人間は結局受け入れざるを得ないし、それを乗り越えていくしかない。

最後に著者はそういうメッセージを残したかったかもしれない。

本書を推薦して下さった方には事前に「全て読み終えると寂しくなるよ」との留意を頂いていたが、実際最終作まで読み終えたことでほっとしたと同時に一抹の寂しさも感じている。

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