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ブックレビュー「奔流 コロナ「専門家」はなぜ消されたのか」

2023年5月に五類に移行した新型コロナウイルス感染症法上の扱いだが、日本で新型コロナウイルスが広がり始めた2020年初頭からの3年余りの間、奔走した専門家たちがいた。

その中でも、必要なら専門家の枠を越え一歩も二歩も前に出ることを厭わず、巧みなコミュニケーション能力を発揮した尾身茂が、首相官邸で岸田文雄氏とおこなった最後の面談はわずか15分だった。

英国で尾身と同様の立場である主席科学顧問のパトリック・バランスと主席医務官のクリストファー・ウイッティという二人に医学者が王室勲章を王室協会から送られたのとは余りにも大きな差だ。

同じ専門家として尾身を支えた京都大学大学院教授の西浦博はこの扱いを「キック・アウト」と表現している。

2020年以降安倍、菅、岸田政権は都合の良い時に尾身を利用し、また時には専門家の意見を聞かずに決定した。安倍の小中高校の全国一斉休校、菅のGo Toの前倒しスタート、岸田の待機期間短縮がそれにあたる。

尾身は本書の筆者に「日本では、危機に際しての『意思決定の文化』がまだ確立されていないというのが私の実感です。(略)専門家の意見を聞きつつ、ほかの政治状況も考え併せて結論を導くという正・反・合の弁証法のようなプロセスが足りなかった」と振り返っている。

西浦は尾身について、「頼られすぎたと思う」、「尾身先生がいないと成り立たない政治決断のプロセスとかコミュニケーションというのは相当に矛盾している」と指摘する。そして「セキュリティというものを他者に任せていて、依存していれば大丈夫と考えてしまうような、自主性が掛けているような国民性はありはしないか」という。

尾身は小林秀雄の「無私の精神」から多くのことを学んでいる。

有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。

まさに無私の人間がキックアウトされるという社会。こういう社会を我々は変えて行かなければならない、という思い課題を背負った形だ。

著者は最後に次のように締めくくっている。「国民を守るための仕事で、国民の代表から、あるいは国民から蹴り出される。そうわかっていながら黙って職責を果たそうとした者たちもいた。そのことだけは記憶されてよい。」


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