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ブックレビュー「アメリカの病~パンデミックが暴く自由と連帯の危機」

著者のティモシー・スナイダーはオハイオ州生まれのアメリカ人で、イェール大学の歴史学部の教授。2019年12月3日にミュンヘンで講演中に虫垂炎を患った。

これを運悪くドイツの医師が見逃し、虫垂が破裂して肝臓が菌に感染してしまったにも関わらず、わずか一日で退院。帰国後12月15日にコネティカット州ニューヘヴンで虫垂炎を切除したが、ここでも肝臓感染は見逃され、翌日に退院。

12月23日に以前から楽しみにしていたフロリダへの家族旅行中に状態が急速に悪化し、「手足がずきずきと痛んだり無感覚になったりする」症状と倦怠感を主張して同地で入院したがここでも一度目の脊椎穿刺の後翌日に退院され、やむなく12月27日に自宅のあるニューヘイヴンに戻った。

空港から同地の病院の救命救急室に運び込まれたが、ここでも重度の炎症に見舞われた肝臓に引き起こされた敗血症は放置され、二度目の脊椎穿刺のあと、17時間後にやっと医者の誰かが虫垂切除手術の際のCTスキャン画像で肝臓腫瘍に気づき、既に野球のボール大に肥大化した肝臓腫瘍に対してドレーン処置がなされた。

その結果2019年の最後の2日間と2020年の最初の日々を「怒りとそして共感を覚えながら」過ごす羽目になり、数週間後の退院時には、体に9つの穴を開けられたまま退院した。その際彼が書き留めたメモとその後のCOVID-19に対する米国医療の問題点を綴ったのがこの本である。

彼とその家族は米国以外にもオーストリアでの医療経験を持っており、その体験から得た医者の対応や医療費請求と米国医療を対比する。

何よりも彼が問題視するのは「すべての人間は平等に創られている」という前提が真面目に受け止められていないことにある、という。

具体的には、米国における医療機関の病床数、医療時間の短さ(患者との共感を持った対話の無さ)、商業ベースの薬物治療、そして医療保険制度の利益主義に追い込まれ現場で意思決定が事実上許されない医者が問題をさらに深刻なものににしている。

彼が示す統計はその問題点を浮き彫りにする。
・米国の寿命は、1980年には他の先進国の住人よりも一年ほど平均寿命が短かったが、2020年には50歳の平均余命の差は4年に開いた。
・アフリカ系アメリカ人女性はしばしば出産の際に亡くなり、アフリカ系アメリカ人の新生児の死亡率は、アルバニア、カザフスタン、中国はもとより他にも70か国を上回っている。

フロリダの病院で、一人のボランティアに病院での経験を尋ねられた時に、心地よかったが「ほとんど医師を見かけなかった」と付け加えると、彼は「驚かれるでしょうが、皆さんがそうおっしゃるんですよ」と答えた。

医療施設にとって、ある種の病気、とりわけ手術や薬剤で治療可能な病気は、「金の成る木」だが、患者を健康にし、治療し、生かすためのの経済的インセンティブは無い。そこでは医師は利益を搾り取るためのツールに過ぎない。追い込まれた医者は、患者と向き合うのでは無く、マニュアル通りモニターに向かい合う。

病床数についてもジャストインタイムの発想から、余分な病床数を持つインセンティブは無く、結果COVID-19のような緊急事態に対処できない。

1990年代に「ピルミル」(むやみに薬剤を処方する医療関係者)が出現、薬物治療が簡単に手に入るため、アメリカ人男性は、痛みを拒否していたのが、鎮痛剤が抱える問題を拒否することへと流れて行った。すなわち「薬を服まずに何ものにも勇敢に直面することから、すべてをあきらめて、とにかく薬を服むこと」へと流れた。

そして「苦痛と依存という二重の絶望」は、政治に影響を与え、オピオイドによって荒廃した地域に住む人々は、ドナルドトランプに投票した。白人に対して、保険や公衆衛生といった連帯を必要とするには、白人はあまりにも「誇り高く、傑出した存在」であり、そんなものは黒人や移民、イスラム教徒といった人に利用されるだけの結果となる、という。

およそ半数のアメリカ人が、その対価を支払われないという理由で医療行為を避ける。何千万人というアメリカ人が保険に入れず、さらに何千万人は不十分な保険にしか加入できない。そしてCOVID-19のせいで多くのアメリカ人が職を失い保険も失った。

著者は結論として「孤独と連帯のバランス」を取り戻すべきだ、という。自由を謳歌するには孤独が必要だが、人間が平等に基本的な人権を確保されるためには連帯が必要だ。

本著者は自らの医療体験を通じて、アメリカの医療制度の矛盾を強く認識し、さらに新型コロナウイルスで国家が分断される中、連帯としての「単一支払者制度」の必要性を訴える。

私は米国に住んでいた8年間の間、幸いにも医療行為での人種差別や理不尽な医療行為を経験する機会は無かったし、勤め先のお陰で支払いを躊躇して医療行為を避ける必要は無かった。むしろ自閉症で知的障害のある長男は米国で日本で手に入りにくい医療行為を受ける幸運に恵まれたと思っている。

それから15年が経ち、医療費用が高騰する中、米国の医療に関する不平等と格差は大きくなる一方で、それが政治にまで影響をお及ぼしている。

アメリカ国家がサステナブルであるためには、改めて自由と連帯のバランスを考えるべき時が来ているのは間違い無いだろう。



 



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