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ブックレビュー「みんな水の中」

先にご紹介した「普通という異常 健常発達という病」に続いて、こちらも発達障害者による当事者本だ。

著者の横道誠氏は京都府立大学文学部国際交流学科(ドイツ言語文化)の准教授で、40歳の頃に仕事を休職したことをきっかけに発達障害の診断を受け、その後発達障害に関する書物を読み、また現在は余暇を「発達仲間」との交流や自助グループの運営に充てている方だ。

著者によると「本書に書いていることは、私という唯一無二の人間の自己解剖記録」であり、私と私の仲間による当事者研究の成果、だという。

本書は、三部構成で、最初に「詩」、次に「論文」、最後に「小説」形式で表現されているのが面白い。しかし、形式の違いこそあれ、そこには発達障害当事者でかつ文学者ならではの多彩な表現が満載で、それらは発達障害者に共通した意識や感覚を理解するのに極めて有効だ。タイトルの「みんな水の中」はその代表的な共通感覚を表したものだ。

私の長男は知的障害を伴うASDなのだが、彼がASDと診断された30年近く前はこういった発達障害者の当事者本というと、ドナ・ウイリアムズやテンプル・グランディンといった欧米人の翻訳著書しかなかったと記憶している。しかも広範な発達障害の意識や感覚を少人数の説明だけで理解しようとするのは困難だった。

本書は、多彩な表現で発達障害者の意識や感覚が表現されているという利点に加え、著者が当事者研究を通じて広範な発達障害から共通点を模索した結果が披露されているのも素晴らしい。

著者の多彩な表現例の中から、特に私自身の長男との経験から響いたものをいくつか挙げてみると、

解離型ASDがあると、人は「感覚の洪水のなかで立ちつく」し、それを鎮めようとして「好んで海、屋根の上、崖の上などに身を置き、世界との距離を保ち、自分に迫ってくることのない自然のなかに身を置こうとする」。
・また、空想上の同伴者が生まれて、「素顔のない仮面、それに全面的になりきるヴェールを被ったコスプレイヤーのような存在」である。
ASDやADHDの実行機能障害は、まるで巨大な人造人間に乗り込んで、羊水のような液体で満たされた操縦室で、「動け」と操縦かんをガシャガシャ動かしているような感覚。
村上靖彦はASD者が「相手に意思を伝えて、相手からお菓子をもらおうとしているというよりは、ある状況で「開けゴマ!」という呪文をとなえるとお菓子が出てくるといった感覚」を有しており、すなわち「コミュニケーションではなくて呪文」であり、「本質的には対人関係は介在していない」
「定型発達者は魔法が混じった現実の世界に生き、私たちは現実的要素を孕んだ魔法の世界に住んでいる」。そこではさまざまな「もの」がやってきて、私の行動選択を促すような自己主張をし、「飽和」している
・私は、現実がつねに夢に浸されているような体感でいる。
・おそらく人間は、あるいは生物はすべて中動態を生きているのだが、病者や障害者は、弱さによってそれを感じやすいのだと思う。
・私たちの感性は全体の統合性に対して冷淡で、事物や身体に対する感覚を緩やかにしてしまう
視覚によって、私たちは容易に陶酔する
想像のなかで、私は何百回も転落死を遂げてきた
・私たちの多くは、圧迫される喜びを切実に求めている
音の洪水に拉致される私を、しばしばもうひとりの私が「くじけるなよー」と大きく手を振って見送ってくれる
・感覚が過敏でそこから逃げようとする一方で、感覚の処理で容量がつねにパンクしているからか、人並み外れて感じないことも多く、そのために感覚をもっと強く求めてしまうのだ
雑談が起こるとき、私たちはこれらの三つの特性(*)によって処理しがたい言語空間に放り込まれている(*:シングルフォーカス特性、シングルレイヤー特性、知覚ハイコントラスト特性)
・おそらく定型発達者は他者の意図を三択問題のようにして解いており、対して私たちはそれを十択問題のようにして解いているのではないか。
過集中によって快感を得る場合には至福に、過集中によって日常生活や労働がおろそかになり、不利益を被るときには恐怖になるのではないか。
私たちは時間跳躍者、タイムトラベラーだ。というのも、私たちは侵入的想起(いわゆるフラッシュバック)を頻繁に体験しているからだ。
・私はいまでも毎日何度も地獄行きのタイムマシンに乗せられる

出典:横道誠「みんな水の中」

私の長男は十代の頃、数年間毎日長い時間風呂に入っていたことがある。どれぐらい長いかと言うと、自宅まで水道メーターをチェックしに来た人が「水漏れがあるに違いない」と心配して警告してくれたぐらいだった。

今はそういう習慣が無くなってしまったのだが、長年どうしてあれほど長い間風呂に入っていたのかが今一つピンと来なかった。

本書を読むと、この本のタイトルと同じ「水の中」感覚を体感しようとしていたのか、あるいは水が光る様子が彼の脳に刺激を与えていたのか、あるいはその両方だったのか。少なくとも、彼にとって当時浴室が、日常社会の迫りくるモノ、感覚の情報やフラッシュバックから逃避する場所だったのではないかと思う。

本書は著者自身の「自己解剖記録」のため、虐待、誹謗中傷、性などご本人のプライバシーにも該当するであろう情報をかなり曝け出している。

それとともにご自身の縦横無尽な興味範囲、特に文学、音楽、映像、漫画等についてたくさんの作品情報が溢れている。その点で本書は発達障害者による当事者本であるだけでなく、優秀なカルチャー本でもある。派生本として是非彼の音楽観をまとめた文章を読んでみたい気がする。

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