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ブックレビュー「夏の果て」

早いもので小田嶋隆と岡康道の対談本「いつだって僕は途上にいる」についてnoteに書き、その後「人生2割がちょうどいい」についてもレビューを書いてからほぼ一年が経っている。その岡氏が63歳で亡くなったのも昨年の7月。やっと岡氏最初にして最後の自伝的小説「夏の果て」を読んだ。

本書は岡氏自身を含めて固有名詞こそすべて変えているとは言え、間違いなく岡氏の生い立ち、大学時代の父親の失踪と貧乏生活、営業職時代の苦闘、クリエイティブ局に移ってからの活躍、離婚と再婚、そして円満退社で独立起業したストーリーまでが語られている。「人生2割がちょうどいい」で小田嶋氏との掛け合いで面白話にしていた岡氏の数々の武勇伝(?)が本書にも網羅されていることからもほぼノンフィクションに近いものであるのは間違い無いだろう。

しかし「人生2割がちょうどいい」ではそれらのエピソードが笑えるものだったのが、本書では必ずしも笑えない。それは岡氏と父親の確執、その父親から見放されたことを活力として生きて来たこと、そして最後まで理解不能な父親と似ているのではないかという恐れなど岡氏のダークサイドが本書に脈々と流れているからだ。

不思議なことに最初は岡氏の波乱に満ちた人生を羨み嫉妬さえも感じていた。岡氏の人生に比べて自分の人生があまりにも陳腐に思えたからだ。しかし読み進めていく内に、彼の人生での深い洞察力をもった意思決定の背景や自分の人生さえも客観視する冷徹な視点に尊敬の念を抱くようになった。

彼が持つ客観視する視点が感じられた例をいくつか挙げてみる。

例えば最初の結婚について離婚が決まった後、次のように総括している。

僕は、実のところ「自分が離婚するかもしれない」と微妙に予測して結婚した節がある。「やはりそうか」と納得する部分と同時に、とてつもない失敗をやらかした思いが交差した。自分の内側に、虫のように寄生する「欠陥」が確かに生息していると感じた。

弟の温がアルバイトや専門誌への寄稿を生業として、収入は少ないのに「自由に学ぶ」生活を謳歌している姿について次のように語っている。

年収は何倍も多いのに、僕の方はいつも忙しく貧乏くさかった。彼らには時間がたっぷりあって、圧倒的な「豊かさ」を感じる。豊かに「考える人達」だ。とても真似はできない。僕はすっかり「消費の人」になってしまった。消費には限界がある。(中略)消費は空虚な思い出に過ぎない。人生が「我が事」ばかりではかえって苦しい。

また人生に大きな影響を与えた父との関係については次のように表現している。

父の不在は、まぎれもなく僕の青春期の隠されたテーマだった。不在だからこその「工夫」や「エネルギー」が、僕の行動規範になっていた。人の個性というものがもしあるのなら、僕の個性は父の不在が生んだものだ。

本書がどれだけフィクションが入っているかはわからないが、もしほぼノンフィクションだとすると、本書を登場人物が読むかもしれないだけに、これだけ客観的な視点を赤裸々に語るのには大変な勇気がいるはずだ。それでも本書に自分の視点を記しておきたかったのは、もしかすると自分の死期を覚っていたのかもしれない、とさえ勘ぐってしまう。

今回調べて見ると、本書「夏の果て」を原作としてNHKがドラマ化した「私は父が嫌いです」が2015年にオンエアされていたことを知った。岡氏の独立話は2002年にもフジテレビが「恋ノチカラ」というドラマになったことが本書にも取り上げられていたが、こちらは岡氏は本書の中で「プロジェクトXを想像していたら愛と青春の旅立ち」だった、と残念そうに語っていた。「私は父が嫌いです」の方は観てみたい気がする。

本書では高校時代からの友人である小田嶋隆氏も「若松」として登場している。主人公である「吉田」が手掛けたCM自体を公に酷評したことから絶交していたが、10年以上を経て月刊誌の同級生対談企画で再会する。

その小田嶋氏は岡氏が亡くなった際に、「人生の諸問題 令和リターンズ」の最終回に三人の縁のある人達の一人として岡さんへの追悼稿を掲載している。残りの二人は映画監督の江口カン氏と実弟の敦氏。

敦氏が最後に岡康道氏と電話で話をしたときに、岡さんが「あぁ、歳をとるってやなもんだな」とつぶやいたのに大変驚いたそうだ。

 誰に教わったわけでもないけれど、子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。
 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ。
 とりわけ兄は、そうだった。来るものが来る、それは兄にとっては、新しいゲームの始まりのようなもの。さあどんなふうに乗り切ってやろうか、どう対応すれば面白いだろう、そうだ、こうやってやっつけてやれば、きっとみんな驚くぞ。
 などと想像して目を輝かせ、ワクワクする気持ちを抑えられずにいる。いつも兄は、そんなふうに見えたのだった。
 その兄が、避けることのできない「老化」について、嫌だ、と強い調子で拒んでいる。大袈裟に言えば、その言葉は、ぼくの耳に非現実的な響きを残した。

この電話はちょうど最後に再入院する前だったようだが、少なくともこの時には本人は死が近づいていることを察していたのだろう。

岡氏が本書で書いた自分の人生の客観的な視点。どう見ても私はまだ岡氏のように自分を曝け出す準備ができていないが、少しでも自分の人生を客観的に分析する努力はしてみようと思う。


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