年始に思うこと。

ホワイト化される社会

2023年も色々あった。ことにフェミニスト、アンチフェミニスト、MGTOWのいさかいは、当然のことながらなんらかの帰結に至るわけでもなく続いている。
ことに弱者男性、チー牛をめぐる言い争いは毎日続いているように思える。
ここで、少し自分の為に状況を整理してみる。

弱者男性であるが、収入、容姿、学歴などが一般的に劣り恋愛にありつけない、収入が低いので良い生活をしていない。そういった人たちは社会的にヒエラルヒーが低いので発言権が無い。
非モテなので恋愛市場においては価値が無く、さらに収入も低いのでマーケットにも無視されがちである。こういった理解である。

ことに女性からは叩かれている。「お前チー牛だろ」「チー牛のくせに」「非モテのくせに」「弱者男性は~」など目に入らないということは無い。
だが、なぜこんなにも女性はチー牛を嫌うのだろうか。それは当然のことながら、彼女たちからすると恋愛こそが最優先される価値だからだ。
「恋愛にありつけない男には価値が無い」そういった批判をする女性たちはこういう価値観を持っているのだろう。

そして年始に炎上したのは「産まない女性は劣化した男性である」である。
これは出産経験、予定の無い女性を指して「お前らもチー牛だからな」と云う行為だった。

ただ、大人である社会人は社会に対して何らかの形で義務を果たさなければならないというのも常だろう。
多くの人は職業をもってそうしているだろう。職業に就けない者も何らかの形で社会の生産に寄与しており、今現在そうできないのならば、福祉に繋がり生命を保っていると思う。
そのことについて言及するつもりはない。

しかしながら2022年末から「弱者を救う」というNPOの会計に疑惑が生じ始めている。大規模な政治案件になりつつあると思う。
ここに一つエポックメイキングがあったのではないか。

世はブラックからホワイトへの漂白中であり、今までお目こぼしされていた問題もやり玉にあげられるようになったのだ。
ジャニーズ、ダウンタウン松本などもその漂白に晒されている。

では、女性に関してはどうだろうか。
これは私見であるが、今のフェミニズムは1980年代以前からあった「女性にも権限を」「力のある社会参加を」と云った、一種マッチョな考えに基づいておらず「弱者たる女性に優遇を」と云った印象である。
その結果が司法の不均衡や離婚裁判における男性への冷遇、大学生への補助などに表れている。
女性への優遇措置というものは枚挙にいとまがない。

これらをフェミニストは「勝ち取った権利」としている。私はこれについても「勝ち取ったならそうだろうな」としか思わない。
しかし、同じように男性が権利闘争をしたらどうだろうか。しかも、権利を手放す形の闘争である。

MGTOW、チー牛の価値観

MGTOWという考え方を知ったのは2021年辺りだったと思う。
「Men Going Their Own Way」と、云い女性と関わり合いにならずに社会参加する人たちのことだ。
女性と性的なかかわりを持たず、一般社会生活においても最小限の交わりで済ませる人たちである。

女性たちからすると「非モテ、チー牛」にしか映らないだろう。
しかし性的な部分を除いた社会的価値、判断基準を彼らは持っている。それはそうだ「女性らしさは多くの場合ペナルティが大きすぎる利益」と彼らは見做す。リターンの少ない、危険な存在であるという認識なのだ。
今まで「女性だから」という風に見逃されてきた部分を、彼らは追求する。
女性を、言葉は悪いが、獲得することをあきらめた人間は寧ろ公平なフェミニストへと変貌しつつあるのではないだろうか。

男性たちが供給していたものも彼らは供給しない。高価な装飾品や、カロリーの高い食事、プレゼント。そして今まで女性が対価として渡してきた性的資本を彼らは必要としていない。

産まれる疑問

では多くの男性たちがMGTOWという選択肢をとった場合、女性の価値はどうなるだろうか。
一般的に体力で劣る女性たちは「劣化版男性」という誹りを免れることが出来るのだろうか。
労働市場になんの下駄も無い状態で放り出される女性たちは何を思うのか。
やはり他責して「社会が悪い」と云うのだろうか。

MGTOWはその言い訳を許さないだろう。「出産する、労働する、奉仕活動をする」何でも好きな方で社会に対する責任を果たせと彼らは云うだろう。ホワイト社会は当然のことながら環境を維持するための労力と財政を求める。義務を果たさない限りホワイトな環境は手に入らない。無料のランチは無いのだ。
そしてMGTOWだけでなく男性たち(一部か多くかは分からないが)は女性はまだ義務を果たしていない。そう感じていると、私は思う。
私もそう思っている一人である。

債務の履行方法は多種多様だ。
勘違いしてほしくないが、私は「出産のみが女性としての義務履行方法」だとは思っていないし、労働出来ないのであれば福祉に繋がって生を繋ぐことに何ら疑問は持たない。そのための税金である。
しかしながら、ホワイト社会の美味しい部分のみを享受し、義務を果たさない人は誹りを受けるだろう。

「チー牛、非モテ」と誹りを受けてきた男性たちが「それならば」と女性の性的資本を抜きにした価値を求めはじめている。それは、フェミニストが求めていたことなのではないだろうか。
そして俺には彼らが「なんだ、性的資本を抜いた女性って、基本チー牛で非モテだな」と言ってる様に思える。

ハインラインの"There ain't no such things as a free lunch"では無いが、ホワイト社会へと変貌しつつある中で思わぬところから現れた伏兵のようなチー牛とMGTOWたち。
今年はどうなることやら。

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