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星野君の二塁打

こんちは、かわこうです!
最近のVoicyで、アベプラなどに出演し、本の出版などで有名な佐々木俊尚さんが、「星野君の二塁打」について話をされていました。

星野君の二塁打というのは、長年道徳の教科書に載っていた話なんですが、子どもの自主性が求められるようになったことや野球の人気低下を理由に、2024年度の教科書からは採用されないようになったらしいです。

あらすじとしては、

少年野球の試合で、同点で迎えた最終回の裏、先頭バッターがヒットで出塁したところで星野君に打席が回ってきて、監督のサインは「バント」。しかし、強打者でありながらその日はノーヒットの星野君は、この打席では打てる気がして、監督のサインを無視してヒッティングに出る。見事二塁打を放ち、ノーアウト2,3塁となったところで次のバッターが勝ち越しの犠牲フライを放ち、サヨナラ勝ちを収めた。英雄となった星野君だが、試合翌日、監督からは、サインを無視した星野君に対し、「僕との約束を守らなかった、チームの統制を乱した」として、次回以降の試合から当面星野君はベンチスタートという処分が下された。

という話です。詳細は下記から。

何とも物議を醸しそうなお話ですね。さすが道徳の教科書に長年載っていただけあって考えさせられる内容です。

僕は小学生の頃、ソフトボールのチームに所属し、まさに監督のサインをもらって打席に立ち、プレーをする立場でした。
この時の感覚を思い出すと、どんな状況であれ、サインを守らないというのは僕の中ではあり得ないものでした。
サインを自分の意思で守らないという子は見たことありませんでしたが、サインを見ていなかったり認識し間違えていたりすると、監督からはこっぴどく怒られたものです。
打席に立つ時も、塁に出た時も、監督のサインを凝視して、それ通りに動くことに最も集中していたと思います。

この星野君の二塁打の話は、子どもの自ら考えて動く力を阻害するというような批判があるわけですが、小学生の頃の自分を思い出すと、確かにその面は否めないかと思います。野球やソフトボールというスポーツは、走塁においては特に、相手の守備が動く中で、自ら考えて次の塁を狙っていく必要があります(ランナーコーチもいますが、ランナーコーチを担う選手も自ら考えて指示を出す必要があります)。
ですが、小学生の頃の僕は、監督のサイン通りに動くことに集中しすぎて、試合の流れ、相手の守備位置、各選手の守備力等の情報を基にどのような走塁をするか、そこまで考えることができていなかったような気がします。

中学からは、ソフトテニス部に入部したんですが、中学、高校と全国大会に行くような厳しい部活でした。そこでもやはり勝利のためにチームの統率というものが最優先されていて、全員坊主頭だったし、誰かが何か悪いことをすれば、連帯責任として全員がさらに五厘の頭にさせられるという部活。練習メニューは全て監督から与えられたもので、ミスすれば体罰が下るので、怒られないようにひたすらそこでミスしないようにと怯えながら練習する日々でした。

元々の性格なのか、こういう環境の中で育ったせいにして良いのか分かりませんが、大人になってから、指示待ちで動いてしまったり、言われたことを無思考で忠実にやろうとしてしまったりということに悩んだことがありますし、今も悩むこともあります。

星野君の二塁打の話に戻って、少年野球という教育の場であればなお、星野君にペナルティが下るのはやはりどうなのかと思うわけです。
もしかすると、監督のサインなんかなくて、子どもたちが自ら考えて動く方が良いのかもしれません。もしくは、野球でサインがないのも、攻めのレベルが上がっていかないので、選手が交代でサインを出すとか、そういう工夫も良いんじゃないかと。
そして、サインを破った星野君に対してやることは、ペナルティを課してチームの見せしめにするのではなくて、きちんと監督と星野君が対話すべきだったんじゃないかと思います。
僕なんかからすると小学生で監督の指示を無視してリスクを取って行動するというのは、尊敬しかありません。
そんな行動に出た星野君の話をよく聞いてあげて、監督の側も、統率を大事にしなければならないと思うのであれば、「自分はこう思う」と話をして、星野君もそれを理解した上での行動であれば、称賛しても良い話だと僕は思うのです。

少し試合の話からは逸れますが、練習メニューを誰が決めるかというのも、少年スポーツや部活動では非常に重要だと僕はいつも感じます。
僕は大人になってから、筋トレを始めました。もちろん誰からもやれなんて言われないので、完全に自主的にやってます。なのでもちろんトレーニング頻度やトレーニングメニューも自分で考えるからこそ、いろいろ調べて試行錯誤するので、知識もつきます。モチベーションの上がらない自分との向き合い方も考えさせられます。
自分を、部活のように誰かの目を用いることで結果を生み出す環境に置きたいと思えば、自らの意思で高額な費用を払ってまでパーソナルトレーニングに通うわけです。

仕事自体は公務員とか会社員であれば正直指示待ちでも困らない場合もあるかもしれませんが、今後はAIの普及でそういう事務作業的なものはどんどん置き換わっていって、人間にはより人間にしかできなクリエイティビティやAIにはできない0→1の仕事が求められると思います。
さらに、もう仕事一辺倒で良い時代がだんだん終ってきていると感じます。定年後なんかもそうですが、仕事以外のやりたいことというのを模索することの重要性が高まっている、そんな風に感じたときに、やはり自主的に何かをやるというのが育っていなければならない。

子どもたちはいずれそんな大人社会に放り出されるわけです。やはり僕としては、自主性が小さい頃から育まれるような教育環境になってほしいなと思います。


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