生成AI時代とどう向き合うか
こんちは、かわこうです。
最近各自治体でChatGPT活用とか、検討チーム立ち上げとか、続々動きがあっていますね。
僕の所属するところでも検討チームが立ち上がったり、どういった活用方法があるのか提案を受け付けたりしています。
昨日、同僚がChatGPTを使ったことがないと言うので、レクチャーしてスマホで使ってもらったところ、やはり、驚いていました。
始めてこれを知った時はやっぱり衝撃的でしたよね。
「人間いらないじゃん」というコメントが面白かったです。
人間の存在価値を仕事とか、作業とか、こういったAIが生成するものを今人間が担っていることに価値を置いてしまうと、「人間いらないじゃん」になるんでしょうか。
確かに一部、今人間がやっていることが置き換わっていくことはあるでしょう。
特に仕事という分野では、文章はだいぶChatGPTが作ってくれるでしょう。広告代理店に頼んでいるチラシとかポスターとかも精度の高いもの作ってくれそうだし、ホームページについても、もうコード書けるらしいので実現しそう。
まずはこういったツールをある程度使いこなせるように触れておくということは大事ですよね。
AIが仕事を奪うというわけでなく、AIをしっかり使おうということです。
そして、人間らしい行動を増やしていきたいです。
ChatGPTは文章を作ってくれますが、それはネット上にある膨大な情報をインプットして、をれを基に文章を作成するものです。
人間のように新たに何かを体験して感じたものを文章にすることはできません。それっぽい文章を作ることはできるかもしれませんが、全然読む気にならないので、やっぱり人間が書いたものを読みたいです。人間同士のコミュニケーションの要素が必要なんでしょうね。
人と人との生身の触れ合いにも価値があります。
AIと飲み会したいでしょうか。面白そうだから1回やってみたいというのはあるでしょうが、向上的に置き換わっていくということは僕の場合はないと思います。
ホモ・サピエンスは他者と協力しながら反映してきた種族です。
本能的に人との関わりを求めるので、これも大事にしていきたいです。
身体性を伴う活動も増やしていきたいです。
筋トレは人間特有のもので、自分が人間として生きていることの喜びを感じられます。
あとは自然と触れること。技術の発達で擬似的な体験はできるかもしれませんが、現実のものを体験できる人は現実のものに触れたいんじゃないでしょうか。
せっかくこの地球という星に生まれて、この自然を味わい尽くしてから死にたいです。
つまり、人間として生きることをもう1度見つめ直す必要があるんじゃないかという気がしています。
新しいテック技術は受け入れていった方が生産性もQOLも上がる場合があると思います。なので、そういった技術はしっかり触ってキャッチアップしておくにしても、でもそれに奪われるものが人間の価値ではない。
何千万年もかけてホモ・サピエンスが培ってきたこの人間の脳や身体、これが持つ意味や構造、なぜこのように進化してきたのか、こういったことをよく理解して、改めて人間として生きるということが重要なのかもしれません。